過疎問題現地報告 ~能登地域寺院調査に参加して ②

2017.11.20

過疎問題現地報告 ~能登地域寺院調査に参加して ②

報告者:平子泰弘(曹洞宗広報委員)

平成29年8月25日(金)~28日(月)の4日間にわたり、石川県七尾市を中心とした地域の各宗派の寺院調査が行われました。この調査では、過疎地の寺院の抱える問題を研究するため、数時間の聞き取り調査を通して、地域の状況や近年の仏事などの変化、今後の不安などをお聞きかせいただきました。ここでは前回報告に引き続き、調査に同行したなかで感じたところを簡単に報告させていただきます。

⇒第1回目はコチラから見れます。第3回目の報告は11月27日(月)に掲載

近年変貌する葬儀の形態
過疎化に伴う問題として、檀信徒の減少があげられます。今回もそうした減少への声はありましたが、決して大きな問題としては語られていませんでした。一方で葬儀に関しては、その変化やそれに伴う戸惑いの声が多くの寺院であがっていました。葬儀の形態の変化は、全国各地で見られますが、中でも新たな形態として「家族葬」や「直葬」の流行があげられます。今回の調査の特徴としては、そうした変化がこの地域でも、特にここ1~3年のうちに起きており、それが現場の住職たちを戸惑わせているところにあります。直葬についてはまだ経験した住職はいないようでしたが、家族葬については各寺院において「全体の2~3割を占める」との回答から、「昨年の葬儀すべてがそうであった」との回答がありました。
この地域は、従来から地域のつながりが強いといわれ、親戚だけでなく「烏帽子親(えぼしおや)・烏帽子子(えぼしご)」(※)の関係など、血縁だけで収まらない縁で地域がつながっていることが今回の聞き取りでも確認できました。こうしたつながりのもと、従来は葬儀も地域住民がすべてを行ってきましたが、住民が仕事を優先するようになったり、担い手の高齢化、会館の整備などで変化せざるを得なくなってきているとのことです。
また、そうした変化に伴い家族葬の依頼が増えてきているようですが、背景には経費的な負担があるとの意見がありました。地域のつながりが密接なところだけに、こうした変化に葬儀社も、ただ喪主側の要望に応じるだけでなく、家族葬のような簡略化された葬儀後には後日に続々とお参りがくることへの対応の煩雑さを知らせたり、地域住民とのその後の関係などを危惧する案内文を作成し、対応している様子が見られました。そこにはこれまで地域で育まれてきたつながりの大切さと、その中で葬儀が行われることの良さを認識していることがうかがわれます。

葬儀の行われる場所もここ5~10年間で葬儀社の運営する会館にほとんど移行しており、それに伴い近隣住民のお手伝いの関わり方も変わらざるを得なかったことが分かりました。葬儀を執行する寺院側においては、真新しい形態である「家族葬」がどのようなものであるか、戸惑いを感じながら受け入れている段階であることが分かります。「家族葬の依頼を受けて、初めてその執行の仕方を近隣の住職や葬儀社にたずねた」との声が聞かれました。また、この地域の形態としてこれまでは、導師(菩提寺住職)と随伴の僧侶(近隣の僧侶等)4~5名にて行われてきたといいます。これが家族葬においては導師1人のみで執行されることとなったそうですが、式の流れは何ら変わらないとのことです。檀信徒数の多くない寺院がほとんどというこの地域においては、こうした葬儀の用僧が、寺院の経営を維持する上で、互助の意味合いも含めて大きな存在となっていたといいますが、それが成り立たなくなってきている状況を感じます。

今回調査した七尾市ではこうした状況でしたが、半島を更に進んだ珠洲市においては、葬儀時に数名僧侶をお願いする用僧は、いまだに普通に行われていることが分かりました。こうした変化が次第に波及していくことが予想されますし、今後、この地域の寺院の経営を左右する問題として顕在化していくと考えられます。
また、金沢市内や東京・大阪など都市部へと移り住んでいる離郷檀信徒の葬儀への対応について、多くの意見が聞かれました。「葬儀の依頼を受ければどこへでも赴く」という思いを持つ住職がほとんどでしたが、実際には、菩提寺への連絡がないまま、居住地近くの宗門寺院に葬儀社などを通して依頼され執行されているとの実情に対し、不満を感じながらも受け入れている様子を、多くの住職から感じました。宗務庁で刊行した小冊子『お役立ちマニュアル もしものときは菩提寺に』 は、まさにそうした状況の中で、有効に活かせる資料との意見もいただきました。

 

省略進む追善供養
葬儀後に営まれ続けていく供養においても、いくつかの変化を耳にしました。当地においては葬儀後の中陰供養として、七日毎に欠かさずの供養(七日参り)が営まれ、その後も月命日のお経はご自宅で営まれるのが一般的とのことです。そして、年回法要も通常三十三回忌や五十回忌まで営まれる習慣が続いているようですが、「弔いあげ」までの各年忌の実施については、省略される傾向が聞かれました。「七回忌までは行われるが、その後は間が抜けて思い出したかのように三十三回忌をする」などのように、途中の年忌が省略される場合や、「在所では五十回忌まで営まれるが、遠方の檀信徒は三回忌で終わってしまう」という風に、檀信徒の居住環境の違いが年忌の実施に影響している可能性があることを感じました。
また、四十九日忌までの七日参りにおいては、地域の住民が揃って参加する習慣が多く見られるようですが、これも近年の変化として、「地域として三十五日忌で終わりにすることにした」という話も聞かれました。参加する側、営む側双方での負担感や仕事との兼ね合いなどが背景にあるようでした。
真宗寺院においては、毎朝のお参りや月忌参り、家庭報恩講の実施など、年間通して多くの接点を持って寺檀関係の維持が図られていることが感じられましたが、地域住民の高齢化や仕事との兼ね合いなどから、個々の供養儀礼や地域の祭礼などの実施が難しくなりつつあることを感じます。

 

まとめ
葬儀に関しては、各地で見られている変化と同様の状況が見られました。その変化がより最近のこととして直面しつつあることも上記に報告したとおりです。これまでの「曹洞宗宗勢総合調査報告書」からも分かるように、葬儀や年回供養による布施収入が寺院の経済を支えていることは、自明のことと言えます。その葬儀の形態の変化は寺院経済に直接影響を与える要素となります。
今回の調査地のように檀信徒数が決して多くない寺院においては、こうした変化が今後世代交代が進むなかで、寺院の継承にも影響を与えていくのではないかと考えます。寺院の安定的な運営をいかにして確立していくかが、一つの課題となっていくでしょう。
次回は各寺院で続けられている寺院行事の実態を取り上げたいと思います。

 

(※)烏帽子親・烏帽子子 …… 元服の儀式で烏帽子を被せる役で、後見役や相談相手など人生の指南役も担う。仮親や擬制親子などと説明される。親族と同様に付き合いがなされていき、烏帽子親の葬儀や法事にも当然のこととして参列、協力がされていく。葬儀時などで必要な備品を借り出す際も、烏帽子親に頼ることが確認できる。その際に仮の親子関係を結んで貸し借りを行うこともあるという。この地域特有の互助制度。