【人権フォーラム】平成23年度第1回全国人権擁護推進主事研修会報告


昨年、10月31日から11月2日までの2泊3日の日程で、岡山市内を主会場に、2011(平成23)年度第1回全国人権擁護推進主事研修会が、「ハンセン病およびハンセン病回復者への差別問題」をテーマに開催された。
初日午後2時、開会諷経、開会挨拶、オリエンテーションに続き、「同宗連」30周年記念映像を視聴した。約30分の映像には、宗門の「差別戒名」改正の取り組みなども取り上げられている。
休憩をはさみ、「今、ハンセン病諸問題から問いかけられていること」と題して、瀬戸内ハンセン病人間回復裁判を支える会・難波幸矢代表にご講演いただいた。
国のハンセン病政策は1907(明治40)年の法律第十一号「癩予防ニ関スル件」に始まる。以降、「癩予防法」「らい予防法」と大きな2度の改正を経て、1996(平成8)年に廃止されるまで、90年にわたり徹底した「隔離政策」が行われた。
難波氏は、この90年に及ぶ最大の悪法下の状況について述べられた。
「治療といって寝まき数枚を持って入所したら強制労働が待っていました。洗濯や開墾をはじめ、同病者の治療や介護、果ては火葬に至るまで『相愛互助』の名のもとに重労働が課せられました。そのために軽症で入所したのに病気が重くなり、後遺症が残る人が多いのです。さらに、ハンセン病の撲滅が目的だったために、結婚する者には断種を、妊娠したら中絶を、産まれたら殺されてどこかに持ち去られる。ひとりの大切な人間としてではなくて、国辱病、国の恥の病として抹殺することが目的でした。この法律が、今になっても変えられない差別と偏見、恐怖を国民に植え付けたのです」
次いで、世界の国々の隔離政策についても触れた。
「ヨーロッパでは1940年代半ばに強制隔離を解いています。アメリカは1940年代から強制的に収容するのではなく、リハビリテーションでいいという状況でした。さらに、韓国や台湾、フィリピンでは1963~4年に隔離を解いています。普通の病気の扱い、衛生法でいいということが、国際ハンセン病学会で言われているわけです。もし、その状況にならっていたならば、日本はこんなに被害者を出さなくて済んだのではないかと思います」
最後に、今も植えつけられた偏見がなくなっていないと実例を挙げて指摘する。
「2004(平成16)年に起きた黒川温泉の宿泊拒否事件は、昔も今も差別意識は変わっていないことを現わしています。黒川温泉の件は全く同じ心の構造で差別があったということを覚えていただきたいと思います」
終了後、7班に分かれての分散会が行われ初日の日程を終了した。
2日目は、瀬戸内市の国立療養所長島愛生園で現地学習を行った。
午前10時に到着した参加者は、まず、納骨堂へ移動し、追善法要を修行した。その後、屋内へ場所を移し、まず最初に、中尾自治会長より講演いただいた。
自身が療養所に入所した経緯や、その後の家族、親戚との関わり、そして自身が受けた差別について述べ、最後に療養所の将来構想について述べた。
「現在、入所者は303人、平均年齢82歳という高齢者の集落です。動くとか社会復帰ということも非常に難しい状況ですので、最後までこの愛生園で私たちを看て欲しいと交渉中です。さらに、愛生園には歴史館を始め、歴史的建造物が残っております。それを保存しながら、人権回復・人権学習の島として残していこうという方向で進んでおります」
続いて、真宗大谷派解放運動推進本部・訓覇浩委員に宗教者が隔離政策で果たした役割などについて講演いただいた。
宗教者と隔離政策との関わりについて考えた時に「私立の療養所を宗教者が作った」「療養所内での宗教活動」「世論喚起」の3点があり、特に、療養所内での宗教活動、いわゆる「慰安教化」が大きいと指摘する。
「療養所に入っていった宗教者の目的は、慰め安らぎなのですが、『隔離を受容しなさい』『この現実を受け止めることこそ、あなたの救いなんですよ』という慰め安らぎなのです。つまり、隔離を絶対的に肯定していく前提で行われていたんです。そして、隔離を受容するということは、『自分自身が隔離されて当然の者なんだ』と、自分で自分を見てしまうことなのです」
次に、宗教者がこの問題に取り組む視点で、特に見えてくる大きな被害の内容は「子どもを産むことと、名を奪われる」ことだという。
「『あなたは、子どもを残すことが許されない命なんだ』ということを療養所では強制されたのです。子孫を残すという人間にとってある意味でかなり基本的なことを否定される存在。療養所の中でどうして子どもを産めなかったのか。それは、表面的な理由ではなく、ハンセン病を患った者の血を引く子どもさえもこの社会に存在することを許さなかったわけです。
隔離政策はそこまで徹底してハンセン病を患った、その命の営みそのものを絶対否定しようとしたのです。さらに、本名を奪い園の中で違う名前をつけることによって、故郷に迷惑がかからないと言われますが、実は、社会で存在することが許されない者としての自己認識を強いるためだと言われています」
最後に、宗教者としてハンセン病差別問題をどう捉えるかについて述べて締めくくった。
「人権は何なのかと言えば、それは『私が私である権利』。言い換えれば『独尊』。われひとりにして尊い。この独尊という言葉です。『唯我独尊』我ひとりにして尊い。私が私のままであることにおいて尊い。そういうことに対して刃を向けることが人権侵害であり差別です。
ハンセン病諸問題については、私たちは完全に加担してきてしまった。したがって、私たちがここから解放されていくには、徹底して私たちが隔離の加担によってしてきてしまった人権侵害の質を自分の中でもう一度なおし、本当に回復されるとはどういうことかに的確に向き合っていくことだと思うのです。色々な取り組みや役割があると思いますが、宗教者であるからこそ見過ごせない問題があり、徹底してこだわらなければならない問題があるのです」
昼食をはさみ、2班に分かれ歴史館の見学と、フィールドワークをそれぞれ説明を受けながら2時間にわたり行った。終了後、岡山市内会場に戻り、2度目の分散会を行い、さらに学習を深めた。
最終日は、伊藤謙允人権擁護推進本部事務局長より「宗門の取り組みと現況報告」があり、引き続き全体会が行われ、分散会での議論を集約、各班からの発表があり、正午に全日程を終了した。
現在、13ヵ所の国立ハンセン病療養所には、すべて納骨堂がある。これは、社会の厳しい差別・偏見によって亡くなられても故郷のお墓で眠ることができないためである。
私たち宗教者はこの現実を忘れてはならない。
今後も、自らの差別・偏見を克服するべく取り組みを進めると同時に、ハンセン病諸問題について学習したことを広く発信していく努力もしなければならない。