【人権フォーラム】名もなき推定38体の発掘遺骨の未来―北海道猿払村浅茅野旧共同墓地遺骨発掘事業を終えて―


遺骨発掘に集う人々

「いったいどのような集まりなのか?」と事情を知らない人は感じるに違いない。韓国人、在日コリアン、ドイツ人、ポーランド人、そして私たち日本人など、多様な国籍・民族・職業・宗教・世代を背景にもつ50人近くが4月30日夜、北海道宗谷郡猿払村の旅館広間に集合した。

翌日5月1日から3日間の日程で実施される「旧日本陸軍浅茅野飛行場建設強制連行犠牲者第3次遺骨発掘事業」のために、世界各地から集まった市民たちだ。

曹洞宗は近隣宗門寺院にある被徴用者無縁遺骨調査の取り組みの一環として、2006年以降、この発掘調査事業に主催者の一員として参画してきた。(詳しくは本誌6月号参照)

さまざまな言語が飛び交い、明日からの発掘に向けての期待や不安が交錯する中で、人権啓発ビデオ第12作「無縁遺骨 過去・現在・未来―朝鮮出身者の遺骨はなぜ残されたのか―」が、ハングル資料や多言語の同時通訳を入れながら上映された。この映像は宗門の教区人権学習のための視聴覚教材であるが、実行委員会会長教団である曹洞宗の無縁遺骨問題への姿勢と現況を理解してもらうために特別に上映された。

上映後、韓国の参加者は「ぜひとも韓国の市民に見せたい」、地元住民からは「自治会で上映したい」、学校関係者は「授業で使いたい」など予想外ともいえる反応に私たちは驚いた。

参加者に向けての曹洞宗からの挨拶では「みなさんの心温まる評価をいただいて感謝します。明日から始まる遺骨発掘を思うときに、遺骨の霊は生きていらっしゃると確信しました。なぜならば、民族も国籍もそれぞれの文化的背景も異なった人々をこのようなかたちで結び付けてくださったのですから」と結んだ。

 

折り重なった埋葬遺骨

5月1日発掘第1日目。前夜までの氷雨まじりの天候が回復した。午前9時過ぎから発掘現場となる浅茅野成田の沢の旧共同墓地(村民は「焼き場」と呼ぶ)で、遺骨発掘開始式が挙行された。巽昭猿払村村長、村民、日韓考古学チーム、市民団体や国際ボランティアそして私たちが列席した。

発掘はまず表土を10~20㎝剥がし、人工的な墓構跡を捜す。日韓の考古学チームが測量、区画後に慎重に手掘りで掘削していく。発掘初日から数箇所の埋葬跡や焼骨の断片や副葬品などが発見された。掘り出した土砂は、ボランティアが丁寧に篩選別をして、数㎜の骨片や遺品断片も見逃さない。

 私たちは、2006年の第1次発掘、2009年第2次発掘で多くの発掘遺骨と対面してきた。

しかし、今回、北海道大学の加藤博文さんの考古学チームが掘り当てた遺骨は今まで見たこともない異常な埋葬状況だった。

遺骨をすべて掘り出す前に、加藤さんは発掘関係者やマスコミに客観的な現場状況をひと通り説明した後、「乱雑で、人間の尊厳を踏みにじる埋葬だ」と指摘したのである。

今回GP11と呼ばれる区画から発見された埋葬遺骨は、比較的表土に近い穴に推定3体の半分焼けた状態の遺骸が一部着衣のまま、首が45度も捻れた状態で押し込まれるように投げ込まれていた。それだけではない。脊椎や骨盤などからは最低3体の遺骸と推定されるにもかかわらず、頭蓋部分は1体しか発見されていないなど、通常の埋葬としては説明ができない状況であった。

形質人類学者による現場での遺骨鑑定の結果、これら3体遺骨の性別はすべて男性。年齢は30~40才代前半、歯の状況から栄養不良と推定される遺骨もあった。

安信元さんが率いる韓国・漢陽大学の考古学チームも3箇所の墓構跡を発掘し、おびただしい火葬遺骨の断片が発見された。ある墓穴には、背骨と肋骨だけの遺骸が発見されている。

5月7日までの追加発掘も含め、第3次発掘調査で、地上に導かれた遺骨は、埋葬遺骨5体を含めて推定19体である。

発掘遺骨に対する厳密な科学的鑑定はこれから行われる。当時の埋葬場所についての地元住民の証言や、出土品や副葬品からは朝鮮出身労務者の可能性はきわめて高いが、遺骨自体からは証明ができていない。埋葬遺骨については遺伝子鑑定と照合によって遺族や民族の特定が必要である。

 

報告会とシンポジウム

3日間は遺骨の発掘調査に集中し、5月3日夕方、発掘現地で地元のアイヌの方が死亡者の御霊のためにイチャルパ(アイヌ式慰霊)を執り行った。

発掘期間中、穏やかな日和が続いていたが、この時、現場付近だけ天候が急変して、にわか雨が降り注いだ。参加者は「やはり涙雨が降りましたね」とささやいた。

丁寧に洗浄され、保存のために薬品処理を施された遺骨を発掘現場から浅茅野交流センターに捧持し、翌日の報告・追悼行事を待つだけとなった。

5月4日午前10時。第3次発掘事業の報告会が開始。今回の発掘では日韓の考古学チームと遺骨鑑定者による初めて共同調査となった。最初に蔡鴻哲さん(強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム共同代表)から浅茅野発掘事業の沿革の報告があり、次いで考古学専門家の立場から、韓国の安信元さんと朴善周さん、そして北海道大学の加藤博文さんから発掘現場と遺骨についての学術的な報告があった。

報告会の後、引き続きシンポジウムが持たれた。テーマは「遺骨問題の過去・現在・未来」、パネリストは殿平善彦さん(北海道フォーラム共同代表)、水口孝一さん(地元自治会長)と派遣本部員である。殿平さんは市民運動の立場から遺骨問題の取り組みの原則と、真相究明、歴史責任、謝罪・補償と追悼に向けたビジョンと特に浅茅野で発掘された遺骨返還に向けて、民族・国籍・官民の立場を超えて協力すべきだと訴えた。水口さんは地元住民として朝鮮出身者遺骨問題への思いを述べた。曹洞宗のパネリストからは、遺骨保管者としての立場で「発掘の成果を自画自賛するのではなく、返すことのできる遺骨は一刻も早く、そうではない遺骨は地元で大切に祀るということも含め、着実かつ冷静な取り組みが必要だ」と提案した。パネリストの発題後、参加者も含め討論があり、特に曹洞宗の遺骨問題の取り組み特に浅茅野発掘遺骨の展望について熱い期待が寄せられた。

 

すべての発掘遺骨を追悼

浅茅野交流センターホールの祭壇には、これまで発掘してきた遺骨がすべて奉安され、推定38体分の御霊に向け、追悼と慰霊の行事がもたれた。

本宗は渕英德宗務総長が、第3次発掘事業の実行委員会会長に就任し、実際の現場での指揮と追悼式の執行は会長代行として千葉省三本部次長が担った。千葉師は昨年の第2次発掘に引き続いての会長代行としての参加となる。

午後1時5分から追悼会が開式。最初はキリスト教会式の追悼である。日本基督教団の古賀牧師により聖書朗読と賛美歌斉唱。韓国からの学生の多くはクリスチャンである。次いで朝鮮式の儒教による祭祀と拝礼が行われる。

最後は仏式法要である。導師として千葉省三本部次長が入堂し、両班には曹洞宗侶および浄土真宗僧侶3人も参列し、恭しく同音に読経した。

真宗僧侶の1人には、先代住職から遺骨問題には縁があり、地元浅茅野の真宗寺院住職の奈良隆雄師も参列された。今回が最後の発掘事業ということで、特に参加をお願いしていた方である。

地元の巽村長はじめ浅茅野地区の自治会関係者と国際ボランティア参加者を前にして、千葉師が主催者代表として挨拶した。その中で韓国・朝鮮の人々が遺骨にかける思いに触れて、「最後の孝行は父母や祖先の遺骨を出身地の墳墓に祀ることであるという宗教的心情を私たちは尊重しなければならない」と述べた。その上で祭壇上の発掘遺骨については「できる限りとか、一日でも早くではなく、一刻でも早く奉還することに協力してください」と切々と訴えかけた。

観音経の読経中、村長はじめ参加者全員が焼香し献花を手向けた。

このようにさまざまな人々に追悼され供養された発掘遺骨は、4日夕方には再び捧持され、そこでも仮安置式が営まれた。

 

遺骨の未来へ

2005年の試掘から発掘された推定38体分の遺骨は、本宗の「東アジア出身の強制徴用者等の遺骨の所在および関連情報についての調査」の取り組みの中では、もっとも返還が困難な事例である。身元はおろか死亡年月日も名前すら残っていない遺骨である。

さいわい朝鮮出身者も含め当時使役されていた労務死亡者名簿などの情報や、まだ遺骨を受け取っていない遺族のリストが存在する。

奉還可能な遺骨については、日韓両政府の積極的な協力を要請しながら、1体でも多くの遺骨を「一刻でも早く」遺族と故郷へ届けたい。

そのためには、専門家や関係者とも協議しながら精度の高い調査データを積み上げていくことと、無縁遺骨にまつわる記録と記憶を私たちが正しく継承していくことでなければならない。