【人権フォーラム】徴用の現場と遺骨を訪ねて~日韓両政府による「遺骨実地調査」同行記


 遺骨調査とは
本誌で既報の通り、宗門では2005(平成17)年7月の日本・韓国両政府の依頼にもとづき、同年11月から「東アジア出身の強制徴用者等の遺骨の所在および関連情報についての調査」を実施中である。
その主旨と目的は、宗門僧侶と教団の戦争責任と戦後責任の一環として、過去の大戦や植民地支配等によるさまざまな事情から、遺族や故郷に帰れなかった東アジアの人びとの無縁遺骨と、それにまつわる生死の記録や記憶を真心をもってお返しすることである。
私たちは、徴用や強制労働に関わる企業や国家の責任を代行することはできない。責任ある者や組織が誠実に清算すべきである。宗門は日本人として、仏教者として、過去の重い問題と課題をともに担い、東アジアの真実と和解に寄与したいと考えている。
 
遺骨調査の現況
東アジア、特に韓国・朝鮮出身の無縁遺骨調査が開始されてから、5年半が経過している。この間、寺院住職、寺族および檀信徒の方がたの心温まるご支援を頂戴し、宗内の調査と取り組みは概ね順調に進行している。現在、全国148ヵ寺から遺骨の所在や死亡者情報等を提供いただき、その内、134ヵ寺についてはすでに実地の聞き取り調査が完了している。今回の調査目的に合致し、許可が得られた92ヵ寺分は、4次にわたり全日本仏教会を通じて日韓両政府へ情報提供済みである。
日韓両政府は、宗門が提供した情報に基づき、遺骨の返還と遺族捜索に直接結びつくと考えられる寺院を選定して、2007(平成19)年8月24日の秋田・福寿寺から今回の長崎・山口方面の政府調査まで、12回の日韓合同の実地調査を実施(日本政府単独は9回)してきた。
その結果、韓国内で遺骨や死亡者情報から、遺族が6件(遺骨の遺族は4)確認されたり、国内外の身元情報との照合がついたケースも少なくない。個別性を保った火葬遺骨だけでも115体あるが、この中で韓国内の遺族にまでたどりついたのは、3体という厳しい現実に直面している。時間と国家の壁が立ちはだかっている。
 
長崎・円福寺の遺骨1体
6月14日午前、長崎駅から南西約10キロの香焼町円福寺(松尾哲雄住職)を日韓両政府と人権擁護推進本部の調査員10人が訪れた。当地は以前は香焼島という島であり、造船所が隣接して多くの朝鮮出身の労働者が働いていた。当寺には本名「李明順」と記されているご遺骨1体が預骨されている。戦時中亡くなった子どもの遺骨のようだ。
政府調査団は、ご遺骨とそれを大切に安置してきた円福寺さまへの敬意を表するため、焼香礼拝してから調査が始まった。この遺骨を預かってから70年近く時間が経過し、数代前の住職時代のことで、当寺だけでは詳細な身元情報は判明しなかった。地元長崎の行政情報や韓国政府による捜索が待たれるところである。 
私たちは当寺に限らず、いわゆる徴用を受けたであろう成人男性とは異なる女性や子どもの遺骨と対面してきた。強制動員、徴用などの大きな歴史の動乱からは見過されてきた彼ら彼女らの存在にも光を当てていきたい。
 
下関・円通寺には軍属遺骨が 
翌15日午後、山口県下関駅から徒歩10分の高台にある円通寺(兼重憲治住職)に政府調査団が到着した。 
下関は古くから朝鮮半島への玄関口として有名で、徴用期以前から多くの朝鮮出身者が往来していた。 
 当寺では朝鮮出身と推定される大戦後の無縁遺骨を6体預かってきた。
今回の合同調査で新たな発見があった。遺骨調査では戦時中、主に軍需企業の労働力として徴用を受けた日本人以外の人びとの無縁遺骨を対象としているが、当寺では宗門としては初めて「陸軍軍属」者の遺骨が発見された。
骨箱には「李鐘巨」(日本名・岩本鐘巨)の表示のある遺骨がそれだ。
李さんは1915(大正4)年生まれで、1967(昭和42)年に亡くなっている。骨箱に収められている「死体火葬許可証」によって詳細な朝鮮本籍が判明していたが、韓国委員会の資料調査によって、李さんが戦時中は日本陸軍の軍属として徴用されていた事実が判明した。
李さんの遺骨には「釋速證信士」という浄土真宗の法名が付けられている。当寺で葬儀を執行した記録はなく、ご遺骨がなぜ当寺に納められるようになったかについては確証はないが、当寺近隣の朝鮮人世話役との人間関係から、一時預かったのではないかということであった。また、当寺のご遺骨6体では、日本政府による身元照合等により、4体の身元情報が判明している。さまざまな事情があるこれらの遺骨が、韓国・朝鮮の遺族や故郷に結びついてほしいというのが調査団と当寺全員の願いである。
韓国政府から派遣された調査員は寺院へ深い感謝の意を伝え、調査は終了。
 
ふたたび長崎・高島へ
16日午前、小雨の中を私たちは長崎港から南西約15キロにある高島に連絡船で渡った。高島のさらに5キロ外洋にある端島(通称「軍艦島」)は、ユネスコ世界遺産暫定リストに登録されている。端島も高島もかつては三菱資本による海底炭鉱開発で、戦前から多くの朝鮮人労働者が使役されていた。
厚生労働省の担当官と本部調査員の3人が高島港に降りたところで、禅海寺の住職米田新成師の出迎えを受けた。当寺へは2007(平成19)年に当本部が調査に伺い、早期の政府調査の実施を計画してきた。
米田住職は、政府のたび重なる調査の中止や延期にもかかわらず、忍耐強くご対応され、3年越しの調査を快く受け容れていただいた。
当寺には、朝鮮出身者と推定される11霊の死亡者情報があり、その中、3体の遺骨が境内の納骨塔に納められている。納骨塔には「裵岩祐」「伊徳洙」「大原吉の娘」などと記された3体が大切に安置されている。戦前戦中期の高島炭鉱関係者の遺骨と思われるが、詳細は不明である。
米田住職の読経の中、厚生労働省の担当官とともに、納骨塔を調査した時、ひとしきり降雨が強くなった。
もしかしたら、今回は遺骨を持って帰れない涙雨かもしれないと感じた。
日本・韓国の両政府および炭鉱事業所から当事者と遺族特定に結びつく新たな情報が発見されることを願わずにはいられない。
なお、軍艦島で有名な端島には「泉福寺」と呼ばれる宗門寺院がかつてあり、ここで葬儀された炭鉱労働者の無縁遺骨は、同島炭鉱が閉山される時に、高島へ移動されたようだ。禅海寺に納骨されている遺骨はこれらとは異なるものらしいが、数時間の高島滞在の中で、徴用等の歴史の重みや労働者の苦難に思いを馳せた。
遺骨問題に取り組むということは、このような歴史の重みや人びとの声なき声に耳を澄まし、その声に応えることに他ならない。
 
長崎平和資料館
政府調査の合間をぬって、14日午後、長崎駅から徒歩5分の「岡まさはる記念長崎平和資料館」を訪れた。この資料館は岡正治牧師の誓願によって設立された、民間運営の原爆と平和をテーマにした教育施設である。
長崎における朝鮮人問題に関する調査や研究に地道に取り組んでいることでも有名で、私たちは朝鮮出身者の無縁遺骨問題に係る周辺調査の一環として訪問することになった。資料館側で応対されたのは、同館理事長高實康稔さんと事務局長の柴田利明さんで、高實さんは長崎大学名誉教授、専攻はフランス文学だが、永年、東アジアの戦争と平和の問題(特に朝鮮人強制連行)に取り組んでおられる。
長崎市を訪れる機会があれば、駅から至近距離の同館を見学されてはどうだろうか。
古来から異国交流の要衝地、原子爆弾と平和のシンボルの地に加えて、日本人が忘れている過去の重い歴史や人権を学ぶ場として活用できる。