【人権フォーラム】大本山總持寺集中人権学習会


6月6日~8日の3日間、大本山總持寺集中人権学習会が、被差別戒名物故者諸精霊追善法要に先立ち開催された。今号はその概略を掲載する。


総合研究センター委託研究員・福島県昌建寺住職 秋央文師

参加者は情報がある程度限られている修行僧ということで、配布資料の福島県地図を使用し、原発事故からどの方向に放射線物質が拡散していったか、そして現在でも線量の高い地域、秋師の自坊の放射線量について説明。現在、ガイガーカウンターが手放せない現状にあることなどを話された。

また、震災直後の風評被害として、他県で給油をしようとした福島ナンバーの車が給油を拒否されたこと、ホテルの宿泊を拒否されたことを挙げ、「『福島、被曝、危険』のイメージから安易な穢れの発想で排除の論理が働いている」指摘した。

次に、参加者を4人1組に分けたロールプレイ形式の学習を行った。これは僧侶が相談者の悩みを聞くという実践形式の研修で、4人がそれぞれ、相談者・僧侶・観察者に分かれて役割を演じる。相談のテーマは秋師が実際に福島原発に関連して受けた相談をベースに作られた。

これは、役割を実際に演じることにより、今、福島でどのような悩みがあるのかを体験して気づく狙いがある。参加者はそれぞれ5分程度ずつ役割を担当し、その後、感想や問題点などを出し合った。

まとめでは「皆さん、演じてみて葛藤があったと思います。大切なのはその葛藤です。しかし、僧侶に相談した意味を考えてください。目の前に悩みを抱えている人をどう受け止めるか。直接的な支援はできなくとも、信頼関係を築く努力をして、相談者の心を受け止めることが大切です」と述べ、最後に「日本人はハンセン病差別などで同じ反省を繰り返してきた。見えない、分からない事への恐怖や思い込みによって知らず知らずに差別に加担してしまうことを心において、私たち僧侶はこの方がたにも向きあっていく必要がある」と締めくくった。

 

部落解放同盟松山市連絡協議会書記長 松尾幸弘氏

松尾氏が解放運動に取り組むきっかけは自身が結婚差別を受けたことだったという「酒癖が悪い、金遣いが荒いのは自分の責任で直せば済むが、部落に生まれたことは、生まれ変わる以外に直す方法がないんです。でもそんなことはできない。その時にこの問題は差別される側の問題ではなく、する側の問題。それを支える社会のあり方の問題だと気付いたんです」

さらに、結婚時にも反対があった。「長い手紙を書きましたが、連れ合いは自分の差別性に気付いたそうです。『お母さんが反対しているからそれに押されてというよりも、それに応えてしまう自分がいることが分かった。その自分の差別性に気づいて嫌になった』と後に語ってくれました。」

最後に参加者に向け「どんなに大きなものもまず小さな一歩から。水平社も奈良や京都と小さなところから始まった。それが今、世界で平等と自由を希求する運動に繋がっている。さまざまな分野でグローバル化が始まっています。そこで何が通用するか考えると、この『人権』は世界的な大きな繋がりを持っています。自分の殻だけに留まらず、いろんな経験をしてください。失敗もありますがそれが糧となります」とメッセージを送った。

 

元人権擁護推進本部事務局長・三重県正興寺住職 伊東俊彦師

最初に「同宗連」結成30周年記念映像『ともに未来へ―宗教者のさらなる実践―』を視聴した。映像には、宗門の「差別戒名」改正の取り組みなどが取り上げられており、その中で伊東師もインタビューに答えている。

伊東師は、20回以上の糾弾会出席の経験があり、第3回世界宗教者平和会議での差別発言事件以後、部落解放同盟からの申し入れ文書を受け、その対応も含めて中心的に関わった。

まず、第3回世界宗教者平和会議差別発言事件について第1回糾弾会で、部落解放同盟より「差別戒名」「差別図書」「身元調査への加担」事実を突き付けられた時に受けた衝撃など、時系列で詳細に説明、さらに、差別発言に対して当時出席していた他の宗教関係者から拍手があったことなどを挙げ、これが曹洞宗だけではない宗教界全体の問題であったことを指摘。その後の「同宗連」結成となった経緯について併せて説明した。

「同宗連」の30年の活動意義についても「反差別への視点が開かれたこと」「各教団の連帯により、互いに切磋琢磨して教団相互の理解が深まり、教団の民主化に繋がった」などと述べた。

最後に、経験した糾弾会を振り返り次のように締めくくった。「糾弾会は怖いというイメージがあるが、部落差別によって満足に義務教育さえ受けられずに来たたくさんの方がたの思いが糾弾会でぶつけられたのであって、今まで差別の物差しを全く知らずに生きてきた自分の方が恐ろしく、糾弾会で自分の人生の半分以上を否定されたような思いを経てそれに気づくことができた。申し入れ文書から糾弾会までの約1年の間、初めて対峙する曹洞宗について部落解放同盟が勉強していたことを考えると、糾弾会は糾弾する側もされる側も、準備も含めて多くの労力を注いで開かれる」

 

宮城県宗務所東日本大震災災害復興支援室長・宮城県玉秀寺住職 佐竹孝喜師

講演に先立ち人権啓発映像第14作『向きあう 伝える 支えあう』を視聴した。映像のエピソード4「未来と向きあう」で佐竹師が出演、震災後の宗務所の対応等について語っている。

まず、今年4月末時点の宮城県内と宗門寺院の全体的な被害状況を説明、多くの方がたに支援いただいた中、宗教者の活動はとても大きかったと振り返る。「私たちは祈る、供養する、復興に向けて祈願することができます。瓦礫の撤去、炊き出しもできます。もっと大きいのは、相手の苦しみを自分の苦しみとして受け入れられる。私たち宗教者はそれができるんです。慈悲をもって支援ができる」

そして映像で佐竹師が語った「忘れない」という言葉について想いを述べた。「阪神淡路など、今まで多くの震災がありました。宮城にいても映像や新聞で大変なことは分かりますが、本当に分かっているかというと、分かっていなかった。21年前に湾岸戦争がありました。ニュースで空爆の映像を見て、何の罪もない人たちが犠牲になっていると頭では理解していたんでしょうけど、本当に自分のこととして捉えられていたのかは、今思うと足りなかったです。忘れないということは、常に関心を持つことです。無関心では何も解決しません。また、阪神淡路と東日本を比べる人もいます。被害の範囲や亡くなった人数とか、なぜ比較するのかと思います。比較することは差別の第一歩だと思います。今回の大震災は2万人が亡くなった東日本大震災と言いますが、一人ひとりの命のことを思うと2万人と一括りにできない。ひとりの命を奪った2万件の大震災だと今、思うようになっています」