【人権フォーラム】管区役職員人権啓発研修会概要報告(2)


・期日 6月11日~12日
・会場 ホテル「湯の児海と夕やけ」

6月11日~12日の日程で、九州管区研修会が開催された。この研修会では、「水俣病」をテーマに学習を行ったが、このテーマでの研修は、宗門として初めての取り組みにあたることから、今号で掲載させていただいた。

第1日目、開会式の後、一般社団法人「水俣病を語り継ぐ会」理事吉永利夫氏より「水俣病概説」の講演をいただいた。はじめに水俣病資料館のDVD映像を鑑賞し、その後氏より次のようなお話をうかがった。

「チッソ(株)の工場が水俣湾へメチル水銀を排水し続け、その湾の魚を食べ被害にあわれた水俣病患者の方々の60年間の歴史の中で、チッソや国から被害者への謝罪や保証は今まで一度もなく、被害者の闘いは今日も続いている。また、国は『本人申請制度』という都合のよい制度を作った。この制度は、患者自身が水俣病であることを国に申請しない限り、重症であっても水俣病だと決して認められないことだ。これが60年間経過した今も水俣病を終わらせられない事由であり、患者の方々の大きな壁になっている。

かつて水俣病は奇病、伝染病と間違えられ、家に来ることが出来ない、親戚に近付けてもらえない等の患者への偏見差別があった。今は聞かないが昔は、親に反対され水俣出身者との結婚が出来なかったという話も聞いている。また、水俣出身の中学生が隣町でサッカーの試合中に、相手から『水俣病さわるな』と誹謗中傷されたことがあった。

語り部の活動を続ける中でショックだったことは、『水俣病さわるな』と言った中学生が、実際に水俣病資料館の展示を見学して、先生とともに学習し語り部の話を聞いていたことである。それにもかかわらず、なぜこの発言をしてしまったのか。語り部として、このことを数年間考え続けてきた。

子どもたちに水俣病を理解してほしい、差別や偏見がいけないことを伝えるため活動を続けているが、もっと子どもたちや先生とつながって、中に入っていけるような活動をしたい」

続いて、「水俣市水俣病資料館」語り部の吉永理巳子氏より「私と水俣病」と題した講話をいただいた。

氏は、幼い時に父親を水俣病で亡くし、40歳代になるまで水俣病患者家族であることを他人に話すことは避け続けていた。友人に勧められ書籍『水俣の啓示』を読む中から、チッソの排水が意図的に止められなかったことや、漁民、被害者に対するチッソや行政の無責任さを知り、水俣市民の前で患者家族としての講演を行っている。

氏は「水俣病の偏見をなくしたい。また、『水俣出身』であることをすぐに言える次世代の子どもたちを育てたい。水俣病がどのようなことで起きてしまったのか、今どうなっているのかを一人でも多くの人に学習してもらい、歴史を正しく伝えていただくことが偏見をなくすための一歩になる。『水俣病』という病名は変えていい、変えてあげたいと思っている。『水俣病』という病名は、次世代の子どもたちに必要でないかもしれない。けれども、水俣で起きた事実は、きちんと知ってもらい、子どもたちに考えてもらいたい。そのことが、子どもたちに『水俣』を伝えつないでいくことになる。病名が変わることよりも、病名を変える過程こそが大切だと皆が考えている。水俣の人たちが、もう1回病名のことをきちんと考えようという動きが起こり高まることで話し合いが持てるのではないか。

水俣病と向き合うきっかけとなった書籍『水俣の啓示』を読む中で、水俣病がわが家だけの問題ではないことに気づかされたのは、20年前である。 

父親は水俣病が原因で亡くなっているが、父自身が一番悔しい思いを抱いて亡くなっていったことに気づかされた。父は、当時何が原因かも分からずに亡くなっていった。もし、父が生きていれば、原因をきちんとつきとめたかったろうし、裁判もしたかっただろう。けれども、父はその機会さえ与えられなかった。その時の父のことをやっと考えられるようになったが、今も父に対し申し訳ない気持ちだ。自分は父の存在をずっと恥ずかしいと思って過ごしてきた。50年間も父のことを人に話せなかった、恥ずかしいと思っていた自分が、水俣病を一番差別してきたのではないか、ということに気づかされた。

何故病気が起きてしまったのか、水俣のイメージを白黒にしてしまったのか、思い込みはなかったのか、ということを皆さんにこの地で考え感じてほしい」と訴えられた。

休憩を挟み、水俣市民を代表して、大澤菜穂子氏、坂本みゆき氏、浮嶌清己氏より、水俣の現況、各々の報告がされ、分散会へと続いた。

2日目は、水俣病センター相思社の方々に案内いただき、4班に分かれて市内フィールドワークを行った。相思社が1988年から運営する水俣で最初の展示館「水俣考証館」、初期の水俣病患者激発地であり水俣で一番大きな漁村である茂道漁港、水俣病の原因となったメチル水銀の入った排水がチッソ工場から海に排出されていた百間排水口、海底に堆積した水銀ヘドロを浚渫し、水俣湾に封じ込めて作った埋立地・親水護岸を歩き、共に学習を深めた。また、チッソ工場のまわりをバスで半周し見学した。

フィールドワークの後、ホテルへ移動、各グループに分かれ分散会を行い、最後に熊本県第一宗務所所長田中孝典師が総括した。

師は「水俣の地で共に研修ができたことを感謝したい。皆さんには、この地で学習したことをさらに人権啓発へつなげていただきたい」と述べられた。その後閉会式へ続き、2日間の日程を全て終了した。

     (人権擁護推進本部記)

 

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