【人権フォーラム】管区役職員人権啓発研修会概要報告(4)


宗門では、各宗務所などの人権啓発活動において、役職員が指導者的立場で活動していただくために、各管区と人権擁護推進本部の共催で、管区ごとに宗務所・教化センター役職員人権啓発研修会を開催している。この度、9月に北海道管区、11月に近畿管区、12月に四国管区の人権啓発研修会が開催されたので、概要を報告する。

 

北海道管区

・期日 9月17日~18日
・会場 浅草ビューホテル(東京都)

今回の研修会は、皮革産業から部落差別問題を学ぶことをテーマに開催された。

1日目は、開講式の後に産業教育資料館きねがわへ会場を移し、同和教育研究協議会会長・東京学芸大学講師である岩田明夫氏よりご講演いただいた。

氏は会場からすぐ近くにあった木下川小学校の教師で、皮革産業に携わっていた家庭の子どもたちの話をされた。

「習いごとで他の地域に行くここの子どもたちは、この地域で住んでいるということを見せないんですね。バスに乗っても一歩手前のバス停で降りて歩いてくるとか。あるとき、とある女の子が習いごとを休んでしまった。保健の先生が心配して家に訪ねてきた。先生に私がここに住んでいるのが分かってしまった、それでその子は大泣きしたということがありました。

また、他地域の子どもの親から、その地区の子とは関わっていけない、あの地域の人は罪人の家系を引いている等の差別発言が出ていることも報告されています。東京都内では被差別部落の存在は認められておりませんが、実際にこの地区では部落差別が起こっているんです。それが私の解放運動の始まりでした」

講演終了後、皮革工場及び会場近辺のフィールドワークを行った。

再び資料館に戻り、部落解放同盟東京都連合会副委員長・墨田支部書記長の藤本忠義氏よりご講演いただいた。

氏は、現代における部落差別について、表面的には少なくなってきたが、インターネット等で匿名性を悪用した部落差別事件が増加傾向にあることに触れられた。また近年、在日朝鮮人・韓国人を対象としたヘイトスピーチ(憎悪発言)が発生したことについて、これまでとは次元が違う差別を扇動する差別集団が現れたことに、深い懸念を抱いていることを述べられた。

2日目は、会場を浅草ビューホテルに移し、曹洞宗人権啓発相談員の佐藤明彦師よりご講演いただいた。

師は、娘の何気ない発言から、偏見による自らの差別意識に気付いたという。今現在起こっている様々な差別事象は、偏見によって植付けられた固定観念が引き起こしてきたと述べ、どんなに努力してもどうにもならないことに対して、それを理由に排除される、これが差別だと述べられた。 

しかし、差別は無くならないという意識でいると、永遠に差別は無くならない。差別を無くしたいという意識で学習し、話し合えば絶対に差別は無くなる。その意識を強く持っていただきたいと述べ、締めくくられた。

講演終了後、北海道管区の各宗務所の人権主事より、4年間の総括があり、全日程を終了した。

 

近畿管区

・期日 11月10日~11日
・会場 ANAクラウンプラザホテル神戸(兵庫県)

来年で20年の節目を迎える阪神・淡路大震災から「防災と人権」をテーマに学習した。

1日目は「災害時負傷者トリアージと災害から学んできたこと」と題して加古川西市民病院救急部長の切田学医師よりご講演いただいた。

トリアージとは、大規模災害のような非常事態に陥った状況で、最善の結果を得るために、治療対象者の優先度を決定して選別を行うこと。トリアージを行うには日常の訓練が不可欠であり、優先度判定が人の生死を決定することにつながるので、医療者の心のケアも重要であると話され、さらに、災害弱者と呼ばれる人々の人権的課題などについて語られた。

続いて震災・学校支援チーム(EARTH)の福西和彦氏より「阪神・淡路大震災の語り継ぎ」と題して大規模災害時の学校支援と災害対策についてのお話をうかがった。

枕元に履物を用意する等の災害時への備えや、現場に負担をかけない支援の方法、また避難所ともなる学校での授業の早期再開への取り組みや、生徒・児童の心のケアと日常の取り戻し等、教訓から得られた多くのことを次に活かしてゆく活動について話された。

2日目は「人と防災未来センター」で語り部の方による体験談の聴講と館内見学を行った。震災直後の記録、復興の様子を伝える多くの資料と最新の防災用品や設備について学んだ。

平時よりの備えの重要性と「その時」どの様にして命と人権を守るのかを考えさせられる2日間だった。

 

四国管区

・期日 12月1日~2日
・会場 田川人権センター(福岡県)

1日目は、開講式オリエンテーション、宗門の取り組みと現状報告の後、田川人権センター前事務局長・福岡県人権研修所理事の堀内忠氏より、人権センターの取り組み、田川の部落形成史、フィールドワークについての説明をいただいた。

「当センターでは、田川地区での大きな特徴とも言える識字に関する様々な啓発資料をはじめ、国際社会と人権、性差別、障害者の人権問題などの資料を作成している。

また田川の部落史を考えるとき、小倉藩が領内の人口や職業を調べた1622年の人畜改帳を見れば、惣庄屋が7軒7人、本百姓・小百姓、名子、町人と記されており、江戸時代初期では被差別部落を示す職業がないと分かる。あるとすれば、非人身分とされた御境目道番の2軒だけである。

田川地区の特徴として、豊臣秀吉が朝鮮半島から連れてきた陶工が窯を開いた上野焼に代表されるように、その陶工の指導を受けた焼物師、作られた焼物を背負い売り歩く焼物売子、山伏などがこの地区の独特の職業であり、皮革産業などの職種は見られない。

また、1732年江戸時代中期から西日本一帯で起きた享保の大飢饉により、田川地区では7000人近くの人たちが飢えで亡くなった。そのため、農業をする人たちも減ってしまったが、村全体に課される年貢の量は変わらなかったため、年貢を納められずに土地を捨てて逃げ出す者が多くいた。

この理由から小倉藩では、他の地方から来た人たちを農業の労働力として積極的に受け入れたが、その人たちは『他所者・流民』と呼ばれ差別された。元々その土地で働く本百姓と比べられ、地方から来た人たちには存する身分がないとされたため、『新百姓』と呼ばれ差別され、被差別(エタ)身分に組み込まれていったと考えられる。 

江戸時代後期の調査によれば、田川地区では85の村のうち48の村に被差別部落があり、人口比率が3000人以上の大きな被差別部落が形成された。つまり、江戸時代の田川地区での被差別部落の形成は、農業に従事した『新百姓』とされた人々の存在があったことが分かる。

また、江戸後期~明治30年の間には違う形で被差別部落が形成された歴史がある。当時の田川地区の多くは炭鉱労働をして生活したが、炭鉱が閉山されると、働けなくなり貧困に陥った。

さらに、地元の者でない他所者に対する『排除』が、被差別部落を形成していった原因といえる。それは江戸時代に見られたし、明治以降の炭鉱労働においても共通しているのではないか。明治後期から大正昭和にかけては、日本の資本が石炭産業に入り近代化され、この産業が花形となっていくが、田川地区は石炭産業との関わりの中で今日まで生き続けてきたことをまず理解していただきたい」

堀内氏が部落形成史、フィールドワークについて説明した後、田川人権センター事務局長の光武均氏に案内いただき、現地学習を行った。

はじめに、1960年の豊州炭鉱の水没事故により犠牲となった67名の名が刻まれた慰霊碑において、供養を捧げた。その後、民家の敷地内にあり田川で唯一中に入ることのできる排気坑口(高さ1・5メートルの馬蹄形コンクリートの排気坑)に入り学習を深めた。この排気坑口は、炭鉱の歴史を伝える文化財として、故柏木栄治さんが大切に守り続けてきたものである。 

続いて、かつて三井炭鉱が北九州から僧侶を連れてきて建立されたといわれる法光寺を訪ね、朝鮮人炭坑殉難者慰霊之碑「寂光」の御前で供養を捧げた。この慰霊碑は、1975年4月に建てられ、寺内には炭鉱労働で亡くなられた11体の御遺骨が納められている。

2日目は、田川市石炭・歴史博物館を訪れた。石炭の成り立ちや、炭鉱の歴史、その中で生まれた文化が分かりやすく展示されている。館内2階の展示室には、日本初のユネスコ世界記憶遺産として登録された、炭坑労働者山本作兵衛氏による筑豊のヤマの仕事と生活を描いた記録画(墨画・水彩画)が数多く展示されている。絵と余白に書かれた解説文からは、石炭の採掘にいたる詳細な作法や注意などが記されており、当時の炭鉱の歴史を生々しく伝えている。

屋外にも種々の展示物があり、特に堅坑櫓、排気用大煙突は迫力があり、当時石炭は主要産業であったことを偲ばせた。

その後、石炭公園内の2つの慰霊碑、炭鉱殉難者慰霊之碑、韓国人徴用犠牲者之碑を訪れ、続いて、田川市営霊園内に残る無縁墓碑を伺った。この地は以前、三井鉱業所の霊園であったが、現在は市営の霊園となっており、墓地内には、70数基の墓碑が点在している。墓地の奥へと進み、開けた場所に建つ翔魂之碑(かつて炭坑で亡くなった人々を葬るための共同墓地)で、供養を捧げた。

現地学習の後、田川人権センターへ戻り、四国管区教化センター統監の矢野通玄師が研修会を総括し、閉会となり全ての日程を終了した。

(人権擁護推進本部記)

 ~人権フォーラム バックナンバー~