【人権フォーラム】戦後70年:大韓民国人壱岐市芦辺港遭難者慰霊祭に参列して


戦後70年目に吹いた風
大韓民国人壱岐市芦辺港遭難者慰霊祭に参列して

澄み渡る秋晴れのもと、南からの心地よい潮風が吹き抜ける長崎県壱岐島にある芦辺港に降り立った。博多港から高速フェリーで約1時間。佐賀県北部の東松浦半島から北北西約20キロ、玄界灘に浮かぶ亀甲形の平坦な島、壱岐。壱岐対馬国定公園に指定された長崎県の島々の一つであり、多様な動植物が息づく豊かな森と、リアス式の複雑な地形と白浜が織りなす絶景が広がる。九州と朝鮮半島の海上交通の要所にあり、歴史を辿ると『魏志倭人伝』には「一支国(いきこく)」と記され、島の古墳や遺跡が悠久の時を物語るが、過去の戦乱や大戦の悲劇もあった。

アジア・太平洋戦争終結から70年。日韓国交正常化50年の今年。私どもは、本宗僧侶が中心となって修行される大韓民国人壱岐市芦辺港遭難者慰霊祭に参列するため、壱岐の天徳寺(曹洞宗)を訪れた。

 

1945年8月15日当時、日本に在住していた朝鮮の人々は約240万人と聞く。多くは韓国併合以来、移住や徴用、徴兵で渡ってきた人々だった。日本の敗戦は、過酷な労働下にあって「解放」を意味し、日本在住の多くの朝鮮の人々は、帰国のため祖国を目指した。引き揚げ船には、朝鮮半島などから日本人が帰国する連絡船の復路便などが利用されたが、各地の港は乗船できない朝鮮の人々であふれた。敗戦後の混乱の最中、帰国を急ぐ者の中には、自前で船を調達して海峡を渡る人も少なくなく、運良く出航できても、海難事故によって祖国の地を踏むことが叶わない事故や惨事も相次いだ。

同年10月10日昼、祖国を目指す朝鮮の人々を乗せた引き揚げ船が、折りしも阿久根台風の接近による天候悪化のため、芦辺湾に避難した。木造船は、沖に錨を下ろし停泊するも、夜間、風雨が強まり11日午前1時ごろ座礁、転覆大破した。地元住民の1人が「夜便所に行く際、窓から船が流されるのを見て、怖くなった。そのまま床についたが、『アイゴ―、アイゴ―』と悲しみ叫ぶ声で目が醒め、遭難を知った」と語っている。事故は、船に乗っていた数十名の生存者を除いて、約200体の遺体が重なるように湾内に浮き、海が黒くなったと伝えられ、多くは女性や子ども、老人であったという。遺体は事故現場に近い清(くよ)石浜(しはま)に仮埋葬された。

1967年、仮埋葬された遺体の一部は、清石浜から掘り出され荼毘に付し、「大韓民国人慰霊碑」に納められた。ご遺骨は、広島の三菱重工業の朝鮮人徴用工とみられたため、市民団体が1976年に再度発掘調査している。この時に発掘された約80体が壱岐から広島県・福泉寺(浄土真宗本願寺派)などに預けられたが、実際の発掘状態や遭難時期などから推定し、徴用工のものではないことが判明している。このような複雑な事情と誤った事実認定のまま、2003年日本政府は、被徴用者遺骨として犠牲者の遺骨を引き取り、祖国より遠く離れた埼玉県・金乘院(真言宗豊山派)にご遺骨を委託している。

したがって、ここ壱岐に、遭難された方々のご遺骨はない。

曹洞宗では、日韓首脳会談で交された「朝鮮出身の軍人・軍属の遺骨だけではなく、旧民間徴用者の遺骨返還に向けて協力する」という合意にもとづき、2005年7月、全日本仏教会を通じて政府からの協力依頼のあった委託事業に応じ、戦前・戦中に日本の強制連行等で日本企業での徴用・雇用され、死亡した東アジア〈韓国・朝鮮・中国・台湾〉出身犠牲者の無縁遺骨についての調査を実施し、現在およそ完了している。ここで、先の事実と向きあうこととなった。

宗門は、日韓両政府が遺骨返還の道を閉ざしている今、「帰りたい、私たちの故郷と一番近い島、壱岐へ」という韓国の皆さまの願いを胸に、遺骨返還の要望書を携え、天徳寺住職西谷德道師とともに、本年6月8日に厚生労働省へ要請した。しかし、本宗に対していまだ回答はない。

 

天徳寺の先代住職西谷德琳師の発願から、遭難事故のあった1945年より慰霊法要が営まれるようになった。毎年「十夜歎仏供養」の際に近隣の寺院とともに慰霊祭が行われ、絶えることなく今年で70年目を迎えた。その間、縁あって1998年より韓国の水谷寺(大韓仏教曹渓宗)僧侶と日韓交互の慰霊祭が執り行われている。このたびは節目の年にもあたり、韓国在住の僧侶と遺族関係者約20名と壱岐島寺院や宗門関係者、壱岐市役所、支援者、一般檀信徒など総勢100名超が参加し、2日間に亘る慰霊祭であった。

10月14日夕刻、芦辺港岸壁に設けられた祭壇に「大韓民国遭難者精霊等」と記された位牌をお祀りし、日韓僧侶による読経などが行われた。その後、犠牲となった168人分の灯篭に明かりが灯され、参列者により一つ一つ、波が穏やかな芦辺港に浮かべられた。歌手・李政美氏の鎮魂の歌にのり、二つ三つと重なり揺れながら遠のく灯篭は、再び祖国を目指す、失われた家族や兄弟の姿を思わせた。

10月15日朝、晴天の清石浜で、西谷師は「この慰霊法要は好天になることが多いのです」と話された。初めに、有志によって清石浜に建立された慰霊塔前で法要が執り行われた。その後、天徳寺へ移り日韓合同による遭難者慰霊祭が始まった。

最初に、主催者である西谷師から開式の挨拶があった。

「現在、厚生労働省管理のもと、埼玉県・金乘院に預けられている86体のご遺骨返還の要請は、大変残念なことに認められませんでした。この厚労省の対応には納得できません。

今後は強く要望し、一刻も早く祖国に帰られるよう努力したいと思います。それには皆さま方のさらなるご支援ご協力が必要です。よろしくお願いします」

曹洞宗からは曹洞宗人権擁護推進本部参与の神野哲州人事部長が慰霊祭に随喜し、宗務総長の「挨拶と慰霊の言葉」を代読した。韓国からの参加者にはハングルの翻訳文を配布し、通訳を通して伝えられた。

「遭難された方々のご遺骨とみ霊に対して、生前のご苦労と故郷への深い思いとその無念さを思い起こし皆さまとともに追悼の誠を捧げます。

この慰霊祭と時を同じくして、ご遺骨を安置いただいている埼玉県・金乘院へは当方の僧侶がお参りし、読経を勤めさせていただいております。900キロメートルの遠隔地ではありますが、ご遺骨のみ霊と心と心が繋がりながら、追悼と慰霊の誠を尽くしてまいりたいと思います。

私どもは、韓国、朝鮮と日本との大変不幸な歴史の真実を直視し、その教訓に学びます。さらにいかなる侵略や戦争も厭う釈迦牟尼世尊のみ教えをともにいただいている日韓、韓日の僧侶として本当の理解と平和な未来を切り開いていかなくてはなりません」

続いて、韓国佛国寺の李性陀師より挨拶が述べられた。

「これからも、この慰霊祭が民間交流として両国友好に寄与することを願います。

しかし、70年を経て遭難者遺骨の帰国ができないことは嘆かわしいことです。日本と韓国の政府で円満に解決され、韓国に一日でも早く返還を願うものですが、今できないならば、せめて壱岐島に返還されることを強く希望します。

この席には、韓国の総領事、韓国寺院、日本曹洞宗の方々が来ています。皆さんと力を合わせて一日も早く壱岐島に戻れることを願います」

最後に、白川博一壱岐市長の慰霊のメッセージが伝えられ、引き続き、慰霊法要となった。

日本の僧侶による壱岐歎仏の法要に続き、韓国の水谷寺から来日した僧侶による韓国式の法要が始まった。読経の中、天徳寺法堂を穏やかに風が吹き抜ける。もしかしたら、壱岐へ、そして祖国へ、遺骨をいざなう、鎮魂の風なのかも知れないと感じた。

ここにご遺骨はなく、約900キロもの遠隔地に、返還の見通しも縁もないまま留め置かれていることは、あまりにも不可解である。私どもはこの理不尽な事実に、到底承服などはできない。しかし、今は、埼玉から壱岐へ、そして祖国へとご遺骨のみ霊が距離や国を超えて繋がることに心を尽くす宗教者たちがいることを記しておきたい。

私たちは、歴史の真実に耳をすましながら、宗教者の責務として、国境や民族や政治のさまざまな障壁を越えて、まごころを込めてご遺骨とそれにまつわる記録や記憶を、祖国へ、故郷へ遺族の元へ奉還する決意をあらたにした。(曹洞宗人権擁護推進本部)

 

【参考文献】

・「玄海灘に響く日韓の読経と御詠歌」『曹洞宗報』2008年1月号「人権フォーラム」

・「福留範昭・亘明志「戦後補償問題における運動と記憶Ⅰ」長崎ウエスレヤン大学地域総合研究所紀要3巻1号(2005年3月)

・石田貞「金乘院の遺骨問題」朝鮮人強制連行 2005年6月[資料集17]真相調査団(日本側協議会)

 

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