【人権フォーラム】平成28年度第1回 全国人権擁護推進主事研修会報告


 

10月11日から13日にかけて、平成28年度第1回全国人権擁護推進主事研修会が長野県上田市、佐久市において開催された。

1日目は、最初に部落解放同盟辰口支部長の深井計美かずみ氏より「歴史は問いかける」と題してご講演いただき、配付資料に掲載の差別戒名について解説された。

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部落解放同盟辰口支部長 深井計美氏

次に、NPO法人人権センターながの事務局長の高橋典男氏より、「差別戒名、部落差別はいま」と題してご講演いただいた。

氏は、自身が被差別部落出身ということを知ったときのことから話された。

「私が被差別部落出身と知ったのは小学5年生で、しばらくは、被差別部落出身ということを告げることが怖かったのですが、考え抜いて自分自身が被差別部落出身だということを名乗るようにしました」

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人権センターながの事務局長

しかし、高橋氏のその思いは、ある発言をきっかけに打ち崩されることとなった。

「高校の時の同和教育の授業で、クラスメイトから『また同和かよ』『あいつらは柄が悪いし貧乏だし』と言っていたのが聞こえてしまい『ふざけるな』と思いましたが言葉にできなかったのです。それ以来、高校3年間は部落出身ということを隠し通す生き方をしてしまいました」

高校卒業後の進路で悩んだ時に自分が一番嫌なことをやろうと決心し、部落解放運動に取り組むこととなった。

「毎日部落の中に入って本当にがむしゃらに取り組みました。そうでないと自分自身の心が耐えられなかったのです」

そして、部落解放運動に取組み続け、様々なケースに係ってきた。その中で最近の事例を紹介された。

「表札に本籍地が書いている家があります。この家の近隣には長野でも大きい被差別部落があり、一緒にされたくないという思いがあるのです。つまり私の家系は被差別部落の家系ではないと言っているのです。これもごく最近の話です」

最後に高橋氏はこう語る。

「実は、長野では同和教育を受けている人の方が、差別意識が強くなるデータが出ています。何故そうなったかというと、多くの地域の同和教育では、被差別部落の人たちは厳しい差別にさらされ、皮革産業や物乞い等しかできなかった、かわいそうな人たちという教え方だったのですね。それがマイナスのイメージを強くする一因だったと思います。そうではなくて、被差別部落の人たちは差別と闘うという強い主張をしていかなければいけないと思います」

終了後、分散会を行い、第1日目の日程を終了した。

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信州農村開発研究所所長 斎藤洋一氏

2日目は、2班に分かれて上田市、佐久市での現地学習を行った。

上田市では、丸子解放センターで深井計美氏に現地学習の事前説明を受けた後、徒歩で彩りの森霊園に、その後バスで長野県長福寺へ移動し、それぞれの墓前で「被差別戒名物故者諸精霊追善法要」を厳修した。長福寺では法要終了後に荻原広道住職よりご挨拶をいただいた。

佐久市では、佐久市五郎兵衛記念館にて財団法人信州農村開発研究所所長の斎藤洋一氏より、お話しいただいた。

氏は、学習院大学資料館に勤めていたが、1980年北佐久郡浅科村(現在の佐久市)に信州農村開発研究所ができるとともに、そこに入所することとなった。その経緯を次のように説明された。

「浅科村で被差別部落の人々の住む土地は一坪もないから早く出て行けという差別はり紙がはられる事件が起こりました。これに我慢できなくなって浅科村の被差別部落の人々が抗議行動に立ち上がりました。その中でなぜ自分たちはこのように差別されるのか、本当に自分たちの住む土地はないのか。しかし自分たちの被差別部落の歴史はまったく分からない。それなら自分たちの手で被差別部落の歴史を取り戻し、差別されるいわれなどないということを証明したい。そういう部落の歴史を取り戻す闘いが始まります。

そのときに古文書を持っているだろうと思われた旧名主宅を訪ねましたが、そこにはすでに古文書がなかったのです。この事件が起こる前に東京の学習院大学に寄贈してしまっていた。それが分かりその古文書の返還要求をいたしました。学習院大学は当初難色を示しておりましたが、何回も会合を重ね、2万点ある古文書をすべて浅科村に寄託することとなりました。私も交渉の席に連なっておりましたが、部落問題について、何も知らず恥ずかしく思いました。信州農村開発研究所ができるとともに、私もぜひ参加させてもらいたいと願い出て研究所に入れてもらい、部落史の勉強を始めることになりました」

古文書返還の会合の際に、被差別部落に関連する部分だけ返却する形にすれば良いのでは無いかという意見が大学側から出たが、斎藤氏はこう語る。

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佐久市五郎兵衛記念館の見学

「話し合いで『部落の歴史を明らかにしてほしいのであったら、書いてある部分を返したらいいのではないか』とある教授が提案しましたが、部落解放同盟の浅科支部長は『先生たちが見ても差別があるか分からないけれども、私たちが見ればわかるから全部返してください』と述べました。これは後で分かることですがそのとおりなのです。例えば古文書で村の会合があった記述があり、問題の無い文書として当初は見過ごしていたのですが、部落解放同盟からの指摘により気付かされました。被差別部落の方の名前が出てこないのです。これは被差別部落の方々が除け者にされていることが示されている資料なのですが、普通は名前が出ないことの違和感には、差別される立場にならないと気付くものではありません。」

最後に、被差別部落の役目で藩より手厚い対応を受けた記述の説明をされた。

「当時この地域での警備役、現在でいう警察の役目を担っていたのは被差別部落民でした。これは危険な役目で、場合によっては命にかかわることもあります。平原村の警備に従事して、と書かれた古文書ですが、この日は村の秋祭りで茶店の前で芸をしており、皆が見ているところへ外部の者がやってきてその際村の方と揉め、刀を抜きました。このとき仲裁に入った3名の被差別部落民の警備役が刀で切られてしまいました。この際に藩では村の人たちを守ろうとしたということで即座に藩医を派遣し、一命を取り止めました。通常、一般民衆に藩医を派遣することはほぼありませんので、被差別部落民という立場でありながら、大切にされていたということが推察されます。また、同じようなケースでも、半身不随になりましたが、7人が一生生活できるだけの扶持が与えられた記録も残っておりました。」

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パネルディスカッション

講演終了後、五郎兵衛記念館周辺の被差別部落の現地学習を行った。

最終日は、分散会を行い、日程の最後に渡邊雪雄人権啓発相談員を司会に高橋典男氏、久保井賢丈、村瀬法晃、磯田浩隆、五味澤真道の各人権啓発相談員をパネリストとしてパネルディスカッションを行い、1日目で行った高橋氏からの補足説明があり、分散会で出された各班からの意見や質問に回答やアドバイスがなされ、全日程を終了した。

 

 

 

        (人権擁護推進本部)

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