【International】平成24年度曹洞宗宗立専門僧堂聖護寺


私はフランス人の尼僧です。今年度、熊本県の聖護寺で開設された宗立専門僧堂に安居させていただき、未熟ながらそこで感じたことや経験したことを、感謝を込めて報告させていただきたいと思います。
今回の安居者の内訳は、ヨーロッパから11人、アメリカから2人、メキシコから1人の総勢14人でした。平均年齢は50歳、うち最年少は28歳。ちなみに私は42歳で、安居者の中に尼僧は私を含め3人おりました。
今年の3ヵ月間の修行テーマは「Departingfromtheegocentricself」(吾我を離るる)でした。このテーマは、西洋人である私にとって大きな挑戦といえます。まず念頭においていただきたいのは、私は今まで、社会のジャングルは自分1人の力で切り開かねばならないという文化の中で生きてきたということです。そういった文化のなか、私は仏教に興味を持ち、僧侶の道に足を踏み入れ、自主的に修行に励みたいという気持ちになったのですが、今までの人生においては、長い間、知らず知らずのうちに自己の強さを頼りに歩んできました。


僧堂念誦(手前 筆者)

この吾我は人生のなかで選択しなければならない時に確かに影響を与えてきたと思います。 しかし、この「吾我」はどういうときに働き、そしてどこまでの吾我が必要で、どこで手放すことができたのでしょうか?
我われが吾我の強い文化に生き、このような混乱があるからこそ、役寮の方がたは、自己を忘れ、法にのっとった修行を信じ、身心ともにその道に励むという安居中の基本の姿勢を指導してくださったのだと思います。
私たちはまず修行の基本を見直すことから始めました。すなわち、作務、東司や洗面の作法、就寝法、法式など、僧侶としての日常を正しく行うということです。役寮の方がたは、いつ何が起きても、私たちが自然に正しい所作ができるようになるまで、しっかり指導してくださいました。私もその通りできるように真剣に取り組みました。履物を脱ぐときは、足で直したりせず、心を込めて手でその履物をそろえる。鐘の音が聞こえたら、自己を忘れ、他人が自分をどう思うかなどといったことも考えずに、ただ合掌するということです。  
朝課
心を込めて行うと、自己意識もなく、愛される必要を感じることもなく、よく思われたいために行動することもなく、好き嫌いもなく、自分が存在するという事さえもなくなるように感じます。そういう時、心が作り上げた吾我から開放され、自由になるのだと思います。 
しかし、このバランスを維持することはとても難しいことです。気を付けていないとすぐに自分の作り出した思いに閉じ込められ、私の周りにある存在から分離した生活を送ってしまうことになります。私は規矩に従うことで、このバランスを保つことができるようになりました。それを知ることができたことはとても大きく、私は規矩を完全に受け入れるようになっていました。 
安居修行は、集中的に自分を見つめることができ、世界の存在や社会の常識では測れない、いのちの営みを探求する良い機会になると思います。
私たち14人はみな、ここで修行できる喜びを感じながら、坐禅や作務、法要でも、今やるべきことに集中し、日常の行持を務めました。特に法式については、それぞれの音の意味や鳴らし方を覚えるのにかなり時間がかかりました。たくさんの失敗をしましたが、失敗しても1番重要なのは一生懸命やろうとする姿勢です。音が聞こえれば、そこには私同様、戸惑いながら鳴らし物を打つ仲間が想像できます。
 
托鉢
これらの修行を重ねるうちに、私の他人を見る目は柔らかいものとなり、また仲間の私に対する目も同様に変わりました。我われは自己をよく学ぶことで、他人がよく見えるようになりました。誰にも弱さがあり、また困難を抱えています。私が感じるに、皆それぞれに持ち合わせているそれらの困難の中で、共に自己を見つめようとした3ヵ月間の経験は、とても豊かなものであったと思います。
しかしながら、いつでもすべてを受け入れられるというわけでもありませんし、時にはさらに困難なことが起こります。しかし、それも結局は自己の閉単式問題になるのだと思います。時に良い方向に進むこともあれば、時にそうでないこともあり、私たちはそれを受け入れ、信じ、その場その場で最善をつくし、自分よりも他者を思いやる。それこそ安居修行の素晴らしい魅力であり、仏さまの教えだと思います。
何の見返りも求めずに、少しずつでもそのみ教えを身につけることができれば、我われはこの鼓動するいのちに応えられることになり、本来のありかたに気づくことになるのだと思います。このことを共有できたのはとても大きな贈り物です。
今回、私たちを大きな心で温かく指導してくださった日本の僧侶の方がたのほとんどは、ご自坊を長く離れ、この安居を実現させてくださいました。私の出会った素晴らしき仏法者の方がたに、この場を借りて敬意と感謝を申し上げます。合掌
 
閉単式
  (セルヴァン倖川記)