【International】宗立専門僧堂での安居経験記


長泉寺にて朝課

安居者にとって日本とつながるということは、自国においては未だ歴史が浅いことから、曹洞禅の修行の歴史に敬意を表す巡礼行脚のようなものであったり、自国で行じている進退作法の意味を、文化的な背景からより深く理解させてくれるものであったりもします。さらには、奥深くまで、行持綿密に安居修行をすることが初めての人もいます。

私たち全員は、瑩山禅師がお示しになられた「本分に安住せしむ」の教えを明らかにしているところであります。それはとてもよい修行となります。

私にとって今回は2回目の宗立専門僧堂への掛搭となります。1回目は苔に覆われた緑豊かな山にある瑩山禅師がお開きになった永光寺において、開創700年目にあたる2011年に安居しました。その時は師匠の提案で安居しましたが、今回は自分から再安居を希望しました。私の師僧である秋葉玄吾老師は、修行の原点とつながり、その中で生活することを強く勧め、それを具体化してくれます。そのような目的もあって、師匠はカリフォルニア州に天平山禅堂を建設しています。

托鉢の風景

私は1年の大半をハイチで暮らし働いています。年に数回は師匠のもとへ行ったり、アメリカの禅センターで修行をしていますが、普段は主に私ひとりで坐禅や諷経をしているので、私にとって宗立専門僧堂のようなサンガの中で生活をすることは大変重要なことです。安居者の中には、一年に数回はお寺(禅センター)などに行き修行をしていますが、常住ではなかったり、サンガと共に生活していないという人たちもいました。

今回の宗立専門僧堂は、フランス、アメリカ、ノルウェー、そしてドイツから10名の修行僧が日本にやって来ました。

安居が始まるとすぐに、鐘の鳴らし方、日本語でのお経のお唱えの仕方、太鼓の打ち方など、安居生活の動きを具体的な手順で覚え始めました。また、この部屋に入るには合掌か、それとも叉手か? 献膳の匙はごはんの中に差したか? 香炭はきちんと火がついているか? それともそれはただの幻覚かと思うほど、多くのことを覚えました。

安居が始まった頃、主に坐禅ばかりに精通し、日本の僧堂生活におけるそれぞれの行持の無限の細かな作法に精通していない西洋人にとっては、戸惑うことばかりでした。はじめは、ただひたすら暗記し、その都度実際にやってみて、公務に従うのみでした。時には、指摘されることに憤慨したり、精神的に打ちのめされ、未熟さを感じたりすることもありました。2011年の安居の時、安居者の仲間のひとりが笑いながらこう言いました。

「私はバカではないと思うの。きちんと学んで理解している。しかし、いざやろうとすると覚えていると思っていたことをすべて忘れてしまう」 木版の前に立つと、『1回たたくのか? それとも2回か? 1打か2打?……』そこで仲間に『1打、それとも2打?』と確認すると、その彼が『3打だったと思う!』と答えるので、『わかった、3打にしよう』。

そして、1打・2打・3打。すると、指導役の僧侶が『ノーーー!』と言いながら走ってきました。私も『オーー、ノーーー!!』と思ったのでした。

しかし、修行の真なる智慧は1枚1枚玉ねぎの層を剥がすように明らかになっていきます。自由というのは、私たちがやりたいことをいつでもやっていいことを意味するものではないことに気付きます。例えわずかの間、一度だけ、一瞬であってもその正確な行いは完全に私たちを共に同じ空間に連れ込みます。これらの瞬間は計り知れない機会となります。そして、鐘の音、響き渡る太鼓の音の感覚は、身体と心に深く浸透していきます。

私が住んでいるハイチでは、ドラムを打ち鳴らすことは伝統的な宗教行事における非常に大切な要素です。そして、ドラムの名人になるためには言い伝えがあります。「最初はドラムを叩き、続いてドラムを打つようになる。そしてドラムを演奏し、ドラムの音を聞くようになる。そのうちドラムがあなたを鳴らすようになっていく」。太鼓や鐘を鳴らすことで自己を忘れ、それぞれの音と動きが一体となっていくのがわかります。このプロセスを通して、私たちも自己を見つめ、太鼓が私たちを鳴らすように次第に自己をあきらめるようになります。

平成25年度の宗立専門僧堂のテーマは、道元禅師の有名なお言葉「自己をならう」でした。朝日が長泉寺の周囲にある墓地の丘や幼稚園の庭を照らし始める夜明け前から、真っ暗になるまでそれぞれの音で自己をならいます。

講義の風景

何人かの安居者にとって大変だったことは、僧堂の差定でした。また他の安居者には、新しい文化の中で、他人と常に近い関係で集団生活をすることによるものでした。(ベッドではなく)畳の上で寝たり、箸を使ったり、単の上で坐った状態でスリッパを揃えたりするようなことは、多くの西洋人僧侶にとっては大変な修行でした。

多くの安居者にとって、安居生活は自分自身の持つ生理的に受け付けない感情や行動、例えば神経質な性格や腹を立てることであったり、無意味な考えや行動であったり、そのようなことを学ぶ機会を与えてくれました。相互依存する生活の中で、他人と密接な関係で生活することは、わがままな身勝手さを増長させると同時に、思いやりも育みます。

他の人がまだ作務をしているにもかかわらず、自分の作務が終わったからといって自分だけコーヒーを飲みにいくといった人たちには、身勝手さが見えてきます。そして、私たちは作業が早いと高慢になり、そして彼らは作業が遅いのだと言って、自分自身のおこないを正当化するかもしれません。

また、自分が「わかった。理解した」からといって、全員理解していると思い、昼寝をしようと考えている時に、まだ経験の浅い人が再度ならしをしようと願い出ると腹を立てます。しかし、実際のところ、作務の遅い人は大抵、他の人よりも注意深く丁寧に行っています。また、もう一度習儀をしたいという人は、より研鑽している僧侶です。

安居生活は常に自分たちの身勝手さを学ぶ機会を与えてくれると同時に、他人と調和し思いやる無限の機会を提供してくれます。

ティク・ナット・ハンは、修行することは「嵐の中の不安定な船の中で落ち着いていられる人」になると言っています。私の初めての宗立専門僧堂の時、私は他の数名の安居者との間で感情的になったり、時には腹を立てたりすることもありました。大声で叫んだり、泣いたりすることは日常的な出来事でした。この安居という環境は、自己を学ぶ多くの機会を与えてくれます。他の誰かが動揺しているとき、何が感情的に起こるだろうか? 私はそれに巻き込まれて、同じように動揺するだろうか? 私は冷淡で、薄情なのか? この場合、同情はどのように見えるのか? どのように、智慧は表現されるのか? それぞれの安居において、堂長老師や師家養成所所員、佐々木悠嶂師、吉松聖博師、あらゆる日本人古参僧、講師の方々はこのような状況の時にはどのように乗り切っていくのか多くの手本を示してくれました。

また、掃き掃除、拭き掃除、そして、1日の鳴らし物の作法などを通して、修行の手本を示してくれました。フランスの観照寺から来たひとりの安居者がこのように言いました。「自分の意思は非難されない限り、自覚することができない」

成功しても失敗しても、私たちは自分の心を観察しています。ストレスがある時に他人を非難する傾向があるだろうか? 自分より何か劣っている人に対して、優越感や見下したりしていませんか? 他人に対して辛抱強いですか? これは既に知っているので練習する必要がないと思う傲慢な態度になってきていませんか? この一瞬の可能性に失敗することを心配し過ぎていませんか? 木版を打ち損ねた前回の間違いに捉われていませんか? それならば、殿鐘は鳴り始めないし、修行者全員を混乱させます。あまり集中せずに鐘を鳴らしませんでしたか? それは、誰かが気付くでしょう。私の失敗は、維那を任され大勢の見識のある僧侶の前で日本語で大声で挙経をした時でした(日本語は話せませんが)。予想外にも私の身体は震えていました。親切な指導者と一語一語発音の練習をしたので、もう大丈夫だと思っていました。しかし、本番でみんなの前で挙経するときには、心臓はドキドキし、声はうわずってしまいました。私は何を恐れているのか? この臆病な“わたし”は誰ですか? このような質問がわき起こるとともに、私の声は明らかに震え続けていました。

園児との触れ合い

多くの僧侶は「安居生活のすべては、まるであなたの顔の前にある大きな鏡のようなものです」と言います。西洋人修行者はどちらかと言えば、托鉢や人権学習(今年は仙台市に近い地震と津波の影響を受けた地域に行きました)など心や本能が揺さぶられるような修行を好む傾向があり、その鏡はそのような傾向をよく映し出します。当然ながら、私たちは施す人、施される人と施す物のそれぞれの間、また僧堂での生活と托鉢など路上での行持の間に相互依存の関係を感じます。私たちは世間の苦悩と癒しの中に生きています。

長泉寺での修行の最中に、梵鐘のそばのフェンスの向こう側で遊ぶ幼稚園児を見ては、自分の心の老婆心を垣間見るようなユニークな経験をします。子どもたちが「ボンジュール」を言えるようになり、遊んでいるときに捕まえた毛虫を見せられたりすると喜びを感じるようになりました。また、梵鐘を打った時に耳を押さえ、「外国人のお坊さーん!」と叫びながら逃げて行く子どもを笑う喜びも感じられるようになりました。子どもたちや長泉寺の檀家さんと奥野老師の相互の関係や、鈴木老師の丁寧な礼拝やこのいのちへの喜びの中からは万物への自然な愛情が感じ取れます。

このような鈴木老師や奥野老師を見ていると、ハイチのドラム打ちの名人の演奏を聞き、そこから感じる真髄と同じもののように思えます。―太鼓があなたを鳴らす―この本質を得られなくとも。

道元禅師が「自己をならふといふは、自己をわするるなり」と言ったように、太鼓と自分を区別するのではなく、それらが自然に一体となり、自然に音が鳴ります。その瞬間にはそれ以外に何もないのです。このような経験を通してうまれる感謝は表現尽くしがたいものです。

宗立専門僧堂の開単から閉単までの諸老師方のご尽力、またこの安居を運営するためにあらゆる事務的なサポートをしてくださった方々には感謝するしかありません。彼らは、私たちがさらに修行に精進してくれることが何よりの感謝の表れになるのであると言ってくれました。しかし、この意志と感謝をどのようにしてそれぞれのお寺やサンガに持って帰ればいいのでしょうか? 太鼓と鐘の音は、開単当初より随分良くなりました。そうです、これを持ち帰ればいいのです。様々な事情によって、この僧堂で使用したような梵鐘や太鼓は無いかもしれませんが……。

藤田一照老師の講義で「観世音菩薩は修行をしていないときは無かった」と述べられていました。私たちは修行を深め続けるのです。それ以外に何かあるでしょうか?

シーバート慈証記(アメリカ合衆国出身  宮城県第405番峰仙寺同籍)