【International】南アメリカ国際布教総監部管内特派布教巡回報告

2016.01.18
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筆者

この度、南アメリカ国際布教総監部管内特派布教巡回の法縁を頂戴した。この巡回は、亡くなった義父との旅でもある。

私事になるが、義父の家族は昭和12年8月、神戸港から「さんとす丸」に乗船しブラジルへ移民した。しかし、義父(当時13歳)と義父の弟(当時10歳)は、トラホーム(伝染性の結膜炎)にかかり伯父の家に預けられ、家族はサンパウロ州ジャタイへ新天地を求め船出していったのである。

それから78年が経ち、私は義父の遺影を懐に、日本人が開拓した大地に立った。感慨もひとしおであった。

今回は、フォルモーザ地区の小林章一氏宅をはじめに、第3アリアンサ移住地、ラヴィーニァ(棚経四軒)、カッポンボニートを巡回する。南米総監部の小枝崇徳師、田原良樹国際布教師と私の3人は、アラサツーバ市まで飛行機で移動。空港では、南米別院佛心寺ボランティアで今回の案内役である鈴木夫妻、運転手ジャイロさんが待機していた。これから3日間、移住地での特派布教巡回と合同供養が始まる。

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両大本山南米別院佛心寺

ジャイロさんが運転するワゴン車は、3日間で1700キロを走破する。そのハイウェイの大半は、日系移民が切り拓いた土地である。戦前移民19万人、戦後移民6万人、計25万人の汗の結晶が広大な耕作地となり、現在のブラジルの姿がある。この国土に夢を懸け生き、この大地へ骨を埋めた先人に思いを馳せると感慨無量である。

南米布教に当たり、「もったいない」のポスターを持参した。各会場では、法要と法話のために約1時間30分を頂戴し、その後、参加された方々の「持寄り」による食事会が開催された。長テーブルに並んだ日本料理。お稲荷さん、春雨、豆料理、豆腐、味噌汁等、バイキング形式で一人ひとり取り皿に盛りつけていく。

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禅源寺 供養会場

「ブラジルへ来たお客さまに日本料理とは……」と参加者からの声があるという。確かに手作り料理より店屋物の方が合理的である。しかし、世話人は穏やかな口調で、「本日は、開拓移民先亡者への供養の集会です。ご先祖さまが『もったいない、もったいない』と命を粗末にしない教えを私たち子どもたちに残しました。一日中朝から晩まで働き、ひもじい生活に耐えながら現在の基礎を築かれた、その恩に酬いるには、やはり日本食です。引き継いだ家庭の味をご供養することが何よりの親孝行であり『報恩感謝』の姿なのです」と言う。今の幸せは、先人の誓願と志にあることを相承していたのである。この食事会には見事な「おもてなし」の心が現れていた。

こうして法要を迎えられることは、「限りなき命のご縁」によって支えられ導かれたものである。禅源寺本堂内には沢山の灯籠が飾られ、短冊にはご先祖の名前が記され生年順に並んでいる。「おかげさま」として先駆者を今も大切に扱っておられたのである。

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サンパウロ市天随禅堂

ポルトアレグレ市慈水禅堂では、インターネットを利用し曹洞禅普及にあたっている。また、ビラ禅堂は、本格的な道場として整備中である。天随禅堂と大観寺は、地域に立脚した禅堂として活動されている。特に、信者は授戒にあたり絡子、袈裟を自ら把針されている。定例の接心では、浄髪し威儀を整え坐禅に取り組んでおられる。「坐禅とは何ですか」と質問すると、「自己を知ること」と返答がある。その方も自縫の絡子をしている。「絡子は、何日かかりましたか」と質問すると、「1ヵ月です」とのことである。絡子(袈裟)は仏道を志した初心に成立し、その絡子をして坐っているところに自身の命が現成する。常に初心と「向き合い」「如何に」「如何に」と只今の自分に「向き合う」ことが道を歩んでいる姿であると参禅者から学ばせていただいた。絡子や袈裟の一針一針の中に「命」の教えが刻み込まれていたのである。

この度の南米特派布教巡回で、言葉も文化も違う環境の中で真剣に曹洞禅に取り組む真摯な姿に、私自身改めて「初心の弁道」の大切さを気付かせていただいた。このような機縁を頂戴できたことに感謝し、この教訓を今後の生活に生かし精進したいと思う。最後に、南米総監部の諸老師はじめ佛心寺の皆さま方、さらに海外布教巡回に関わっていただいたすべての方々に御礼申し上げ結びとしたい。

合掌

(特派布教師 市川公淳 記)

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