曹洞宗総合研究センター設立記念
オープンフォーラム

 

「禅と葬祭ー21世紀と禅文化」

1999年10月12日

曹洞宗総合研究センター



目次

ご挨拶

 宗務総長 大竹明彦

 総合研究センター所長 櫻井秀雄

 愛知学院大学学長 小出忠孝

はじめに(奈良康明)

講演

 現代思想と道元(森本和夫)

 文化としての仏教
 −テーラワーダ仏教と禅仏教(青木 保)

 葬儀と禅
−過去を知り、現在を考え、未来を思う(佐藤悦成)

質疑応答

講師紹介



○司会

 ただいまより曹洞宗総合研究センター設立記念オープンフォーラム「禅と葬祭――21世紀と禅文化――」を開会いたします。

 初めに、大竹明彦曹洞宗宗務総長より挨拶をちょうだいいたします。大竹総長老師よろしくお願いいたします。


 ご挨拶

○大竹曹洞宗宗務総長

 ご紹介をいただきました大竹でございます。

 本日は、皆さま方、それぞれ大変ご多用中にもかかわりませず、このオープンフォーラムにご来場をいただきまして、厚く御礼を申し上げます。

 このシンポジウムは、曹洞宗宗務庁と曹洞宗総合研究センターが主催するものであります。曹洞宗総合研究センターは、本年4月1日に発足をいたしました。そのスタートを記念してのシンポジウムであり、全国を縦断して、本日、この名古屋で開催をすることになった次第であります。

 この研究センターは、七百有余年の伝統を誇る曹洞宗が、21世紀においても、世界人類の平和と福祉に貢献するために不可欠の宗教的課題の研究を行うものであります。同時に、宗門内にあっては、寺院教化の現場と直結をした現代的課題の解明に取り組むことをその使命といたしております。

 その一例が、このたびのシンポジウムのメインテーマ「禅と葬祭」であります。これは総合研究センターが発足の第一歩として取り組む共同研究テーマでもあります。今日の葬儀のあり方が、さまざまな変容を見せていることは、皆さま周知のとおりであります。これは、寺院の現場からの課題であると同時に、檀信徒を始め社会全体にかかわるテーマでもあります。この葬祭に曹洞禅の教義からの意義づけを行うことによって、葬祭のあり方に新たな息吹を吹き込むことが期待されるのであります。

 本日は、三先生の高邁なご高見が開陳されると同時に、研究や教化の現場からの貴重なご意見も述べられることになっております。これだけの方々が一堂に会することは稀有な機会でもあろうかと存じます。お互いに期して拝聴いたしたいと思うところであります。

 終わりになりましたが、この会場をご提供いただきました当愛知学院ご当局、また準備から万般のご協力をいただきました東海管区教化センター及び愛知県第一宗務所の各位に深甚の敬意を表しまして、主催者のご挨拶といたします。どうもありがとうございました。(拍手)

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○司会

 ありがとうございました。

 続きまして、櫻井秀雄曹洞宗総合研究センター所長より挨拶をちょうだいいたします。お願いいたします。

○櫻井曹洞宗総合研究センター所長

 禅者の風光を、時に破木杓とか、脱底桶といったような言葉で表現されることがありますが、脱底桶とは底の抜けた桶のことであります。いわば禅者がいろいろな迷妄の水をためることもなく、底抜けに明るい生活をしていこう、そういう生きざまを表現したものでありましょう。そうしたことを願うところの禅者は、みずからがそうであるとともに、他をしていかに導くか、あるいは救ってあげるかということに腐心するのが、その仕事であるといわなければなりません。

 古い書物の中にも、禅の道というのはそう難しいことではない、至道無難である、唯嫌揀択と。ただ、選り好みをしてはならないし、また好き嫌いもいっちゃいけない、そこを抜けさえすれば道人として明白なりというから、すっきりした生きざまを保つことができるといいます。そうしたことを心に念じている禅者でありますから、なかなかそうした情感が抜け切れない、そこに特に人間が免れることのできない死というものに直面して、苦悶し、恐怖し、不安にかられる、そうしたものへの癒しの道として禅者も長いこと葬式、儀礼というものにかかわってまいりました。

 ところが、ご承知のとおり、ただいま宗務総長老師からも話がございましたとおり、社会的な葬祭に対する意識の変革というものがなされつつあるとき、私たちはこれをどう捉えたらいいのであろうかということで、曹洞宗総合研究センターが発足しまして、わずかに半年でありますが、共同研究を重ねているところであります。そこで、いろいろな先生方から十分なご指示と、あるいはご教示を賜りたいということで、このシンポジウムを開いたわけであります。

  本日は、お三方の先生並びに意見開陳者として三師の方々にお出でをいただき、貴重なご意見を賜ることができました。ご快諾いただいたこととともに、厚くお礼を申し上げたいと思います。

  なお、私からも、当愛知学院大学をお借りいたしまして、特に小出学長先生には、私たち当研究センターの顧問を宗務総長老師からご委嘱申し上げたところ、これまたお引き受けいただき、今後ともご指導願うということになっておることを申し添え、大学を挙げてご協力をいただいきましたことに、改めて感謝を申し上げたいと思います。

  なお、私からも、当県各宗務所並びに東海管区教化センター諸老師の惜しみないご協力を賜りましたことについて、深く謝意を表するものであります。

  同時に、ご参集いただいた皆さまには、ご多用のところ、こうしてご随喜いただいたそのことに対して深い敬意を表し、簡単ではありますけれども、ご挨拶とさせていただきます。(拍手)

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○司会

 ありがとうございました。

 続きまして、愛知学院大学学長小出忠孝先生よりご挨拶をちょうだいいたします。お願いいたします。

○小出愛知学院大学学長

 ただいまご紹介にあずかりました主催校、会場校であります愛知学院大学の小出でございます。

 今日はお忙しい中、多数お集まりいただきまして、ありがとうございました。曹洞宗の総合研究センターの設立記念としてのオープンフォーラムを北海道から順番に九州までやるわけでございますが、当中部地区では愛知学院大学でやってくれということでございますので、私ども喜んでお引き受けしたわけでございます。愛知学院の関係者の人も多いと思いますが、外部の方も多うございますので、一言、愛知学院のPRをさせていただきます。

 愛知学院というのは、今日、このフォーラムがございます曹洞宗の設立の学校でございます。明治九年、1876年に設立されました。今から123年前でございます。東大ができるよりちょっと数年早いんです。それも曹洞宗によってできた学校でございます。以来戦前は愛知中学校と申しまして、昔、中学校の教育を行ってまいりました。戦後、学制改革によりまして、大学をつくってまいりました。現在、大学には文学部、商学部、経営学部、法学部、歯医者さんを養成する歯学部、昨年新しくつくりました情報社会政策学部、六つの学部を持っております。そして、ほかに中学、高校、短大、大学院まで持っておりますので、合わせまして学生総数16000名、教職員が1100名、この地域では一番大きい規模の総合学園となっております。内容からいたしましても、私は日本のトップレベルにある学園になってきておると思います。

 これも基本的には曹洞宗というバックがありまして、大きな力になっていただいているわけです。私ども教育の基本方針といたしまして、仏教精神、特に禅的教養を身につけて、報恩感謝、ありがたいという気持ちを持つ、そして社会に出て役に立つ人間をつくろうというのを教育の理念としてやってきています。

 今、評価ということがよく行われています。あの会社はどのレベルだ、あの銀行はどのランクだというわけで、大学の評価も行われておりますが、某雑誌が行いました全国の大学の評価の中に、この地域で21世紀にかなりの私立大学がつぶれるだろうという評価になっていますが、この中部地区で絶対大丈夫なのは愛知学院大学だと二重丸の評価が出てまいりました。それにはいろいろな理由が書いてあるんですが、その理由の一つに、教育の理念が非常にしっかりしておる。社会に役立つ報恩感謝のできる人間をつくろう、禅的教養を身につけさせよう、そういった点で教育の理念が非常によろしい。

 もう一つはバックに曹洞宗がついておる。どんな状況になっても、曹洞宗がバックにおるからつぶれることないだろうということ等で、愛知学院は絶対大丈夫と二重丸が出ています。こういったことも、曹洞宗がバックにあるおかげであるということを私ども大変うれしく思っておるわけです。

 皆さん方、日本で宗教というと、すぐお葬式だ、葬式仏教だといろいろ非難を受けておるわけでございまして、私どもも反省もしておるわけですが、ほかの宗派でもそうですが、曹洞宗では私どものほかに、東京で駒澤大学、東北では東北福祉大学、大学を三つ持っていますし、ほかに高等学校を幾つかもっています。いわゆる教育を通じて若い人たちに本当に宗教心を持って、社会に出て役に立つ人間をつくろうという教育も非常に熱心にやっているということをご理解いただきたい。

 同時に、今日、紹介がありましたように、総合研究センターをつくりまして、宗教とはいかにあるべきかという研究も十分にやっている。その一つとして、今日はこういったフォーラムをやるわけでございます。「禅と葬祭」についてというテーマでございまして、全国からその道の最高権威者の方が今日お集まりで、お話を聞けるわけでございます。こういったチャンスはそう滅多にありません。ぜひ皆さん方、今日あと半日間、宗教に関する立派な先生方のお話を聞いて、これからの人生が有意義になるように送っていただければ幸いだと思います。

 開会に当たりまして、一言ご挨拶を申し上げます。(拍手)

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○司会 どうもありがとうございました。

 これで式典の部を終わらせていただきます。

  それでは、フォーラムの進行は奈良康明曹洞宗総合研究センター副所長老師よりお願いいたします。

 先生、よろしくお願いいたします。


はじめに

○奈良

 ただいまご紹介をいただきました奈良でございます。

 ただいまより「禅と葬祭――21世紀と禅文化――」と題しますシンポジウムを開かせていただきたいと存じます。

 既にいろいろお話がございましたように、曹洞宗、そして曹洞宗総合研究セン

ターの主催によるシンポジウムでございまして、これが第3回目になるわけでご

ざいます。

 現在、何で今、「葬祭」なのか。この問題につきましては、既に大竹宗務総長老師あるいは櫻井総合研究センター所長老師のお話の中にもあったわけでございますけれども、コーディネーターの立場から、今という時点で「葬祭」を考える意味を簡単に申し上げて、本会の趣旨説明とさせていただきます。

 曹洞宗総合研究センターは、ご承知のとおり、宗学研究所、教化研修所、そして現代教学研究センターという宗門の学問的研究、研修の三本の柱を一本にまとめまして、本年4月1日から発足したものでございます。その共同研究のテーマが「葬祭」ということなのですが、では何ゆえに「葬祭」であるのか。その理由、背景にあるものを考えなければいけないことかと思います。

 まず第一に、宗門が新しい時代の波に直面しているという現実がございます。時代が大きく変わり、教団としての新しい対応がいや応なしに迫られている時代になっています。旧来ですと、教団として、宗門として、なにが一番大切かと問われて、只管打坐である、本来の自己を究明することであると答えていました。これは正論ですし、今日でもその通りで、これが禅の本義であることは疑いようもありません。

  しかし、今日では教団の社会における在り方が昔と違っています。これはなにも曹洞宗だけではなく、日本の仏教教団全般の問題であるのですが、あまりに社会的問題への関心が少なすぎた。

 いやそんなことはない。坐禅をしぬいていくことが仏法を自分のうえに働かせ、人びとの上に働かせていく立派な利他行である。自利即利他で、社会につくしているではないか、という反発もあるかもしれません。そういう説明が今までよくなされてきました。これも私はそのとおりだとそのまま肯っているのでありますが、しかし、これは宗教的なレヴェルでの自利即利他ということでございます。社会的な意味での利他行ではありません。

  ところが、現代という社会になりますと、私ども宗侶の社会の中における位置づけが変わってきております。私たちが生きている時代、社会の価値観がガラガラと変わってきています。オウム真理教などを例に出すまでもないと思いますが、宗教に関わる事柄だけでも、あの世、霊魂、生まれ変わり、信仰のありようからはじまって、私どもが伝統的に考えている価値観では、とても律しきれないような現象が出ています。社会的にも平和、人権、環境、生命倫理、学校や家庭の崩壊、等々、社会には大きな問題が山積していますし、私たち宗侶がそれと無関係に坐禅のみを説いていて良し、とする時代ではなくなっています。やはり具体的な形で社会への奉仕、参画あるいは社会的状況の改善、そうしたことへの努力を教団としても考えざるを得ない時代の状況になっています。

 だからこそ、曹洞宗は人権、平和、環境、そして生命倫理などを中心にしながら、新しい現代的諸問題に対応してきています。他の教団も同様ですが、曹洞宗が他教団に一歩、先んじていることは誇っていいことであろうかと思います。全般として、仏教教団は時代、社会の変革に応じた態勢を整えなければ生き残れないし、宗教教団としての社会的責務を果たせない状況になっています。

  そして、「葬祭」ですが、葬儀、祖先崇拝、墓地問題、葬法など、旧来の「葬儀」という言葉では包みきれない多様な問題が社会で議論されています。教団の伝承や宗学だけではなく、民俗学や宗教学、社会学等の助けを借りなければ解決できない問題が多く提起されています。だからこそ、最近では昔の「葬儀」にかわって「葬祭」と広くとらえる捉え方が一般化しています。

  具体的には、散骨とか自然葬、あるいは無宗教葬などの問題があります。お墓の問題もあります。戒名にしても、さまざまな問題が出ていることは皆さまご承知のとおりでございます。高額すぎる葬儀料などという問題もあります。いろいろな批判があることは否定できません。私どもが行っております葬祭というものの宗教的な意味を考え直し、現代社会の疑問に答え、納得できる葬祭を目指さなければいけないのではないか。

 それには私たち宗侶の側の自覚の問題もありましょう。もっと社会的な、「料金」(?)の問題や、あるいは葬儀屋さんの世俗的なセレモニー化との関係とかもあります。さらに教学的な解釈や信仰との関わりも改めて見直す必要もあります。葬儀というものが本当に心と心が伝わる「形」でなければいけないものと思いますが、それが十分には機能しているとは申せない現状がございます。葬祭は教団の経済的な基盤であるだけに、しっかりとした形で葬祭というものを行っていかなければならない問題であろうかと思います。

 こうした問題は、さらに大きく、現代の世界ないし社会の文化のありようの中に位置づけられた禅、仏教を考える必要があります。葬祭を支える観念や儀礼ないし思想は時代の文化の中でこそ、その特色が明らかになるからであります。禅の世界の中にどのように位置づけたらいいのか、こうした巨視的な視野も必要です。

 そうした問題意識の中から本日のシンポジウムを開かせていただいたわけでございまして、早速にパネリストの先生方をご紹介を申し上げ、シンポジウムを先へと進めてまいりたいと思います。

  皆さま方の方からごらんになりまして、右側の方のテーブルの左側、中央に近いところにお座りになっていらっしゃいますのが森本和夫先生でございます。森本先生、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

 森本先生のご経歴、ご略歴は、既にお手元のプログラムの中に書いてございます。『道元とサルトル』といったようなご本もございますし、弟子丸泰仙老師と出会われまして、道元禅師ないし『正法眼蔵』の思想に非常にご造詣の深い先生でございます。

 その右になりますけれども、青木保先生でございます。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

 青木保先生は、文化人類学から入られて、比較文化、異文化の接触と変容などの分野での第一人者でいらっしゃいます。主な著書もそこに書いてございますが、これは最近のご著書でございます。青木先生はお若いころ、今でもまだお若いんでありますが、もっとずっとお若いころにタイへ留学をいたしまして、そこで頭を剃ってタイの僧院で出家者としての生活も経験されている方です。ここでの体験をもとに、『タイの僧院にて』というご本も書かれています。東南アジアの仏教にもお詳しゅうございます。

 一番右にいらっしゃいますのが、佐藤悦成先生でございます。どうぞよろしくお願いたします。(拍手)

 佐藤先生は、愛知学院大学の教授でございまして、地元の方でございますので既にご承知の方もおいでであろうかと思います。

 この三人の先生にパネリストとして、それぞれに問題提起をしていただく時間がおひとり30分ということで、まことに短くて申しわけないんでありますけれども、順番にお話をちょうだいしたいと存じます。

 それでは、早速に三人のパネリストの方々からご意見を伺ってまいりたいと思います。

 最初に、森本先生。どうぞよろしくお願いいたします。

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現代思想と道元

○森本

   一番最初にお話しするわけです、つまり前座であります。私は、すべてに関して素人でありまして、仏教の専門的な勉強をしたことはありませんが、また紹介なんかに哲学と書いてありますけど、哲学の専門的な勉強をしたこともありません。学歴のこともちょっと触れていただきましたが、実は私の学歴の一番最初としては、名古屋で小学校へ入りました。入っただけであります。二年生の時にいなくなってしまいました。大学のことも紹介していただきましたが、そこにも文学部仏蘭西文学科に学んだと書いてありますけれども、フランス文学の専門的な勉強をしたわけでもないのであります。

 大学へ入った時のことを思い出しますが、入学式の日に仏蘭西文学科の主任教授の先生がいらっしゃって、どうおっしゃったかというと、「諸君、本日は入学おめでとうといいたいところだけども、いうわけにはいかない。諸君はみんな死ぬのである」というお話でありました。人間はみんな死ぬことは当たり前ですけど、そういう意味ではなくて、日本が戦争に負けたちょっと後のことで、この日本においてフランス文学なんていうものを勉強しても絶対に職はない。絶対に食い扶持を稼ぐことはできない、みんな飢え死にだ。その覚悟でみんな入っているとは思うけども、見渡したところ、何かいつもより大勢入っているから、中にはぼやぼやしているやつが一人や二人いるといけないから、念のためにいっておくというお話でありました。ところが、後で知ったことによると、その学科の競争率は最高だったそうです。そういうふうに絶対に稼ぎ口もないような、そんなところへ秀才諸君が大変な競争を突破して入ろうという世の中はどういう世の中か、へんてこな世の中だったんですね。しかし、そういうわけですから、そんなところへ入ったって絶対に職はないので、どうしても死にたくないやつは何か適当によそでやるんだなという先生のお話でした。

  そういうわけですから、フランス文学を専門に勉強しても何もならない、どうせ死ぬのであります。だから、仏蘭西文学科へ入ったからといって、フランス文学を勉強するとは限らない。やりたいことをやるといいますか、そんなことをやって暮らしてきたわけです。どうしても死にたくない部類に入ったのか、まだ生きております。それでフランス文学の専門で生きてきたわけではありません。先ほども経歴を紹介していただきましたように、大学を卒業したら新聞記者になりました。新聞記者というものは何の専門もあるわけじゃありません。そのころ新聞記者がよく歌っていた歌の文句には、「新聞記者も人の子よ、ポッポの汽車ではないわいな。それが何より証拠には、酒も飲みます、恋もする」というのがありましたけど、僕は新聞汽車よりせめて新聞電車ぐらいにちょっと近づきたいなと思って、そんなふうに暮らしてきたわけです。

 学歴は、そこに「文學部佛蘭西文學科」と書いてあります。当時はこういう表記をしたのであります。そこを卒業したものですから、そのとおりに書かないと学歴詐称になりますので、気をつけております。ところが、世間では誤解する人もいまして、「何だ、三つもやったのか、フランスとオランダとスペイン」と感心してくれる方もいらっしゃいますけど、そうでなくて、「佛蘭西文學科」をフランス文学科と読んだのです。これを略して「仏文科」といっている人が多かったです。しかし、僕はこれを「ふつぶん科」と読まないで、「ぶつぶん科」と読んでおりました。「仏文」と書くのを「ふつぶん」と読むのはちょっと無理じゃないでしょうか。「ぶつぶん」と読んだり、「ぶつもん」と読んだりした方がいいんじゃないかと思います。それで仏さまにはそれなりの縁があったわけです。

 ぶつぶん科を卒業しまして、やっぱり飢え死にしたくないから、どこか雇ってくれるところはないかなと思って、入社試験などを受けましたけど、結局、雇ってくれるところは朝日新聞社だけだったので、そこへ入ろうかと思いました。そのころは名古屋本社はまだありませんでしたね。東京で入社試験を受けたんですけど、東京で十何人か受かりました。本当の本社は大阪です。明治時代にできた、今でも商法上の、法律上の本当の本社は大阪ですけど、大阪で一人しか受からなかったので、東京で受かった中の四人が大阪へ回って、大阪で入社手続きをするようにということでした。社員になったら二等の旅費をもらえるけど、それまでは社員じゃないからということで三等の旅費をもらいまして、大阪へ行って入社しました。それが働き始めでしたが、初めて赴任したところが四国でした。僕は、世間の人が「ふつぶん科」というところを「ぶつぶん科」といっていたような人間です、濁った人間ですから、世間の人が「しこく」といっているのを「じごく」といっていまして、「ぶつぶん」出て「地獄」で働くのはなかなかいいなと思いました。仏さまに大変縁があったと思います。そのような経歴なんですよ。

 先ほどもちょっとお話ししていただきましたが、フランスの禅にいろいろご縁があります。ところがフランスというのは、さっきからいっていますように「仏の国」と書くので、大変ご縁があるんですね。ついこの間も、八月の下旬から九月の下旬にかけて一カ月余りフランスへ行っておりました。20年余り前から大方毎年フランスへ行きますが、フランスの禅道場へは必ず行きます。フランスの禅のお話などをちょっとしようかと思うんです。フランスの禅道場には何回も行ったのですが、そこでは結婚式には立ち会ったことはありましたけれども、葬式に立ち会ったことはありません。フランスの禅道場では葬式は絶対にやらないことはないかと思いますが、たまたま私が行った時に葬式が行われたことは一度もありませんでした。結婚式はありました。仏式結婚式ですね。日本で紅白のお餅を使うところを、フランスでは白い葡萄酒と赤い葡萄酒を活用して、結構な結婚式をやっていたのに立ち会ったことがありました。そういうわけで、何事についても素人だといいましたが、葬祭に関してはまったくの素人で、何もお話しすることはできないので、今回のテーマにはお役に立ちませんけども、一番最初に皮切りとして、ちょっと禅とのかかわりのお話などをしているわけであります。

 葬祭の話に縁が薄いというのは実感なのです。例えば、私にも姉が一人おりましたけども、こういうふらふらしている弟なものだから、大分前に姉が「将来お前は死んだらどうするんだ」と心配してくれましたので、その時は「死んでからゆっくり考える」といいましたら、姉があきれ返って「それじゃ間に合わないよ」といっておりました。ところが、そのうちに姉が死んでしまいました。その葬式にも実は立ち会っておりません。たまたまフランスにいる時に姉が日本で死にまして、結局、葬式にも立ち会わなかったのです。そういうわけで、葬祭にはちょっと縁がなさ過ぎるというか、無知であり過ぎますので、何もお話しするわけにいかないのです。

 この間一ヵ月余りフランスへ行っていた時のお話でもしようかと思います。パリに何日かおりまして、それからフランスのど真ん中のロワール地方にある大きな禅道場へ行きました。そこはラ・ジャンドルニエールという名前のところですが、漢字を当てて禅道尼苑といっております。尼さんがいっぱいいらっしゃいますけど、尼さんだけじゃありませんよ、坊さんもいらっしゃいます。頭をつるつるに剃った尼さんもいっぱいいらっしゃいます。頭をつるつるに剃った坊さんもいらっしゃいます。女の人の方が思い切りがいいというか、白い着物の上に墨染の衣をまとって、その上に袈裟をまとった方々がいっぱいおられまして、新参の女の人も来てみると、そういう先輩の姿を見て、あまりにも格好いいので、「あら、カッコいいわ、私も剃っちゃおう」とサーッと剃っちゃう女の人がいっぱいおられますが、男の人はちょっと思い切りの悪い人の方が多いです。しかし、私も何遍も何遍も頭をつるつるに剃りました。もう生えてこないでもいいと思うんですけど、生えてきちゃったりするんです。

 ラ・ジャンドルニエール=禅道尼苑には、ほとんど毎年行くんですけれども、今年はいつもと大分違う体験をしました。どういうことかといいますと、日本語で話す機会がいつもより非常に多かったのです。日本人は一人しかおりませんでした。日本人は一人もいないことが非常に多くて、今まで日本人は私一人という場合がかなり多かったですけども、今年は日本人が一人おりました。しかし、その人は食事を作る係で、大変忙しく、あまり話をする機会がありませんでした。夏の間、十日間ずつのセッションが六つありまして、たまたま私が行った第六セッションの時には四百人ぐらいの人が集まっておりました。そういう修行者諸君の食事を作るのは大変な仕事ですね。その食事係の中心になるのは、ご承知のとおり典座といいますが、今年典座を務めていたフランス人は前から知り合いの人でありまして、かつてパリに住んでいる時に彼の家へも訪ねていったこともあります。今は地中海沿岸のある町の近辺に住んでおりますが、夏の間は大禅道場へやってきて、そこの典座を務めておりまして、そのもとで働く何人かの坊さんの中に若い日本人が入っていたのです。彼はフランスの地中海沿岸にある観光地として非常に有名な町、ニースの大学で哲学を学ぶ学生であります。

 ほかのフランス人たちの話によると、あの日本人は大学でジョルジュ・バタイユの研究をしているそうだといっておりました。ジョルジュ・バタイユという人は、私も今から三十数年前に一冊の本を翻訳したことがあるので、縁があります。その翻訳は『エロスの涙』という題の本でした。ジョルジュ・バタイユは『エロティスム』という題の本も出している、二十世紀の思想家として有力な人物であります。日本では絵描きの岡本太郎が若いころ、フランスで彼とかなり接触があったというような話も聞いております。そういうことを研究する学生ですが、ニースの大学で学びながら、ニースの禅道場へ通って、夏の間は禅道尼苑へ来ていたのです。頭をつるつるに剃っておりました。

 日本語で随分話しする機会があったといいましたのは、実は今年の夏行ってみると、永平寺から坊さんが来ているというので、日本の坊さんが来ていらっしゃるのかなと思ったのですが、全然見当たらないので、どうしたことかと思いましたところ、なるほど永平寺のお坊さんが来ておられましたが、その人は日本人じゃなくて、アルゼンチン人なのでした。今、永平寺の国際部に所属していらっしゃる坊さんであります。その人は日本語が大変上手なので、その人と日本語でいろいろ話しました。そこで日本語で話す機会は今まで余りなかったんですけど、今年は珍しい体験でした。

 その人と話しておりますと、女の人が寄ってきて、話に加わりました。その女の人はアイルランドに住んでいるアイルランドの女性でありますが、フランスの禅道場へ来ていたのです。そのフランスの禅道場は、フランス人が一番多いかもしれませんけども、それを運営している組織は、パリに本部を持つ、国際禅協会といいまして、そういうわけでいろんな国の人が来ております。そのアイルランドの女の人も日本語が大変上手でした。「あなた、日本語上手ですね」と彼女にいったら、「私はフランス語より日本語の方が上手なのよ」とおっしゃっておりました。日本に行ったことがあるのかといったら、2、3年おりましたという話でした。日本で、東京大学の大学院で学びましたとおっしゃるので、日本文学でも学ばれたのかと思ったら、全然違いまして、医学部におりましたという話でした。医学部にいて、日本語ぐらいは覚えちゃったんですね。日本においていろんな体験もされたようで、四国八十八ヵ所のお寺を全部歩いて回ってきたというような話もありましたので、僕も若いころのことを懐かしく思い出しました。

 先ほどもいいましたように、初めて新聞記者として働いたあの四国の土地を彼女の話によって思い出したりなんかしましたが、いろいろご縁がありますね。ご縁というと、仏教の根本のことであるというふうに了解して、縁の話をすると、やっぱり仏教の話をしたというような感じになるのですね。そんな話をしているところに、またもう一人の女の人が寄ってきて、日本語で会話に加わりました。その女の人はスイス人であります。チューリッヒに住んでいるのです。スイスは小さい国ですけど、フランス語を使う地域もありますが、ドイツ語を使う地域もあり、また別の地域もありますけど、チューリッヒのあたりはドイツ語を使う地域です。その女の人も日本語が大変上手でした。もちろんいうまでもなく、今お話ししているのはフランスの禅道場の話であります。彼女たちはそこで禅を実践するためにわざわざやってきているわけであります。その人も日本語が大変上手なので、「日本語、上手ですね」といったら、「ごく小さい子どものころ、ちょっと京都に住んでいたことがあるので」とおっしゃっていました。今は随分大きくなっているから、その間大分時間がたっているのによく忘れなかったなといったら、忘れないように日本語をずっとやっておりますという話でした。そのようなことで、その禅道場で日本語で話をする機会があって、いろいろ感じることがありました。

 その禅道場を出て、それからパリへ行きまして、パリにちょっとおりまして、それからブルターニュ地方へ旅に出ました。大西洋に突き出した半島の先っちょへ行ったりもしました。そのころはもう鉄道が走っていないのです。9月の上旬になると鉄道は冬時間になりまして、走らない。仕方がないから、民間会社が経営している長距離バスに乗って出発しましたが、宿のおかみさんが「パリへいらっしゃるのですか」とおっしゃるので、いずれはパリへ行くけど、まずブルターニュ地方のヴァンヌという町にある禅道場へ行くんだといいました。そこの禅の友達はフランス人で、パリで生まれて、パリで育った人ですけれども、3年ほど前からパリを離れて、ブルターニュ地方のヴァンヌという町に禅の道場を開いております。もちろん職業は持っていて、仕事は別にやっています。道場の坐禅会にも参加しましたが、それが終わった後、ちょっと家へ来ないかというので、彼の家へ行きまして、いろんなお話もしました。

 そのフランス人は、実は去年の12月に日本で会ったんです。ご承知のとおり12月8日を記念して修行する期間がありますが、彼は總持寺の臘八接心にみっちり参加して、それを終えて東京へ出てきた時に宗務庁の隣にあるグランドホテルに彼が泊まっていたので、そこで会いました。それ以来の出会いだったのです。彼とはヴァンヌの道場で会ってから2、3日後にパリでも会いましたが、彼は今月から来月にかけて日本へやってきます。瑞世の儀式のためです。両本山の總持寺と永平寺の一日住職をやるんですか、その前に、アメリカで道元禅師生誕800年にちなむ国際的なシンポジウムが行われるので、それにちょっと出て、それから日本へ来るそうです。彼が今回、瑞世に来るので、去年も来ましたが、そういうお膳立てをしている人は、実は名古屋のお寺の坊さんであります。だから、彼は名古屋も必ず来ると思うんですがね、今月か来月あたり。

 その人物は、去年の總持寺の臘八接心にみっちり参加したぐらいですから、總持寺はかなり経験があって、知っているんですけれども、永平寺はまだ行ったことがない、瑞世で行くのが初めてだというので、ちょっと心細いようなふうでした。ところが先ほどお話ししたアルゼンチンから来ていた永平寺の国際部の坊さんにもパリで会いましたので、紹介してやったら大変話がはずんでいました。この人がいらっしゃる永平寺だから、もう安心していけるといって喜んでおりました。その永平寺の坊さんは、フランス語も大変上手で、英語も大変上手で、そのほか何カ国語かできるようですが、アルゼンチン人ですから、もちろんスペイン語が一番上手です。ところが、その坊さんの寺は名古屋だということでした。名古屋には今回いろいろご縁があります。名古屋というところはなかなかのところなんですね。

 彼とはパリで別れまして、日本へ帰るのかと尋ねたら、もちろん日本へ帰って、名古屋へも立ち寄って、永平寺へ帰るけれども、その前に故国へちょっと行ってくるとの答えでした。故国はアルゼンチンです。僕も間もなく日本へ帰るが、日本は遠いといったら、日本も遠いけど、アルゼンチンは日本どころの騒ぎじゃない、もっともっと遠いと彼は言いました。そこで別れまして、そのうちに名古屋ででも会おうかと話していたところです。いろいろご縁がありました。

 今もいいましたように、ヴァンヌのあたりで禅の友達と会ったのですが、彼と初めて会ったのは、ちょうど今から21年前に、アルプスの山の中ででした。フランス領内でしたが、スイスにごく近い、イタリアにも近い、モンブランがすぐ目の前に見える場所で、真夏でしたが、禅の接心が行われていたのです。弟子丸泰仙さんが当時まだおられまして、弟子丸泰仙さんの指導する坐禅会が行われていたところへ行ったのです。そこで初めて会って、彼はまだ非常に若い青年でしたが、あれから21年たって、先ほどからお話ししましたような禅の仕事をしているわけであります。彼自身が書いた本も何冊かありますが、彼はまた本の出版の仕事をやっておりまして、仏教に関する本をいろいろ出版しております。

 たまたまそこで知り合いになった外国人の話をしておりますので、今年の春、瑞世の儀式のために日本へやってきた二人の人物のことを今、連想しました。彼らが總持寺と永平寺の儀式を終わって、やはり東京のグランドホテルに来た時に会ったことを思い出しますが、その一人は大禅道場を経営している国際禅協会の会長をやっております。ニースの道場を主宰しているフランス人は、弟子丸泰仙老師が亡くなられた後、その組織の会長を12年やっておりましたが、一昨年あたりに交代して自分は副会長になって、スイスのチューリッヒの禅道場の中心になっている人が今、会長になっているのです。今年の春に瑞世のために来日した、もう一人はフランス人で、ずっとパリに住んでいたのですが、近年はポルトガルに居を構えて、ポルトガルに禅道場をつくって、そこで活躍しております。しかも、国際禅協会の『ZEN』という機関誌の編集長としても活躍している人であります。そういう人といろいろ会ったりしたことをお話しすることで、私の話の中身は散漫ですが、ご了承ねがいたいと思います。

 国際禅協会の本部のあるところが、パリの道場でもあります。パリの道場での坐禅にも参加しましたが、坐禅が終わった後に皆さんで議論したり、談論風発、いろんなことがあります。それに加わっていたら、「あなたはそろそろ日本へ帰るそうですね」と皆さん知っていらっしゃって、30年近くずっと続けているなかなか経歴のある尼さんですから、指導者の一員ともいえるような尼さんが両方のほっぺたにキスをしてくださいました。それに続いてドイツから来ていた尼さん、彼女もまた僕の両方のほっぺたにキスしてくださいました。両方のほっぺたにキスするのはフランスではごく当たり前の習慣ですが、「日本にはこういう習慣はないそうですね」とおっしゃって、もちろん彼女らはよく知っていらっしゃるんですよ。『正法眼蔵』も読んでおられます。

 話は飛びますが、『正法眼蔵』の今までの翻訳よりももっとすぐれたフランス語の翻訳が去年、今年にわたって何冊か出ました。その中の2冊は女の人の著作であります。一人はチェコスロバキアで1938年に生まれた人です。その人が1968年にフランスへ渡って、そこで日本語をどんどん勉強して、『正法眼蔵』の原文を読みこなすようになって、その中からしかるべき部分を選んで訳したのです。なかなか見事な翻訳で、有力な出版社から出ました。

 いろんな事情を知っていらっしゃる方なんですが、ドイツにもこのようなキスをする習慣はないけれども、ここはフランスだから、フランス式にやりましょうということでした。それはそれでいいんじゃないでしょうか。僕は坊さんといえるかいえないか、その組織においては僕は坊さんということになっておりますけど、へんてこなことだなということになるかもしれないがね、どういうものでしょうか。

 パリにあるその寺は巴里山佛國寺といいます。話がちょっと逸れますが、禅道尼苑という大禅道場に今年いた時に、壁に大きな掛軸がかかっていることに注目しました。毎年行っていたのに去年まで目につかなくて、今年は新しいので、何かと思ったら、ちょっと話をおもしろくしようと思ったんでしょう、「あの字、読めますか」というのです。もちろん僕は読めます。読んでくださいというので、「ぶっこく」と読みました。意味は何だというから、フランスだといったら、みんなゲラゲラ笑う。何かと思いましたら、今年の春、日本に瑞世の儀式にやってきた二人に対して、そのお膳立てをした長野県のお坊さんが、何十年の間非常に大事に持っていた掛軸を諸君に上げるから、フランスのお寺に掲げておきたまえといわれたということでした。「佛國」とお書きになったのは澤木興道老師であります。フランスにはぴったりじゃないかと思いました。澤木老師があの字をお書きになる時に、それがフランスの禅道場に掲げられることになるであろうとは、恐らく想像もされなかったんじゃないかと思いますけど、なかなかぴったりじゃないかと思いました。

 私のフランスの禅の話など、むだ話になったと思いますが、させていただきまして、これで一応話を終わらせていただきます。

  どうもありがとうございました。(拍手)

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○奈良 森本先生、どうもありがとうございました。

 皆さまのお手元にレジュメがございますとおり、森本先生のお話は「現代思想と道元」ということでございます。ご承知のとおり、先生は哲学者でいらっしゃいますし、禅と思想的な面で捉え、お仕事をされていらっしゃる方でございますが、同時に先生は大変身近なエピソードの数々をフランスでの体験談からお話しくださいました。禅というものがフランス社会の中でどういうふうに受け取られているかというお話で、興味深うございました。

  伺っておりまして、感じたことがございます。私どもは禅などというと、非常に難しい教理とか教学、宗学として禅を捉えるという傾向がどうも強いんじゃないのか。そうじゃなくて、やはり私どもとしては、現代社会の中に生きる禅、それを少し別な言葉でいえば、生活文化といってもよろしいかと思うんですが、歴史的な現実の社会、そうしたものを文化として捉える中で、禅の意味を探る重要さをお話しいただいたように思います。

 実を言うと葬祭というものも、文化論からいうと、こうした方向のずっと先の延長線上にあるものかと、こんなふうに私は考えているわけです。

 先生、本当にありがとうございました。

 それでは、続きまして、青木先生、どうぞよろしくお願いをいたします。


文化としての仏教――テラワーダ仏教と禅仏教――

○青木

 ただいまご紹介にあずかりました青木と申します。

 私、この席にお招きいただきましたのは、先ほどコーディネーターの奈良先生からご紹介賜りましたように、タイでバンコクのいわゆる小乗仏教のお寺で、昔半年ほど仏道修行をしたことがございまして、それを本に書いたりいたしました。それがきっかけで何か話せということだというふうに考えております。森本先生は道元について既にご著書もございますが、私はそういう体験談を書いただけで、特に仏教に対して、あるいは禅について深い理解があるなんていうものではございません。ただ、比較文化といいますか、仏教も比較しつつ、その中に文化の比較も考えながら考察するというようなことを30年ほどやっております。それで今日お話ししたいと思うことは、1972年から73年にかけまして、半年ほどタイの王立寺院で修行させていただいた、その経験に発するものでございます。

 タイの仏教は、ご承知のように、いわゆるテラワーダ、ヒナヤーナ、小乗仏教といわれている伝統でありまして、日本はもちろんマハヤーナ、大乗の伝統であります。インドからスリランカ(セイロン)に伝わって、それから東南アジア、ミャンマー(ビルマ)とかタイとかカンボジア、ベトナムの一部に伝わった仏教、南方上座部仏教というようないい方もされております。戒律仏教というタイトルで本も出ていますが、この仏教では戒律を守ることがひたすら僧の大きな勤めであって、完全出家制度でございます。最近では日本でもタイについていろんな情報がありまして、テレビその他で黄色い衣を着た坊さんの姿、あるいは寺院の映像がよく出ておりますが、そういう僧院で出家生活を送るということであります。

 昨日、奈良先生にもお伺いしたんですけれども、日本の仏教も非常に伝統があって禅のような世界的な仏教を生み出しましたけれども、日本の仏教と、例えば韓国の仏教――韓国の仏教もなかなか立派なものがございますね。しかしその間の関係は個別的にはありますが、国境を越えた組織としての国際仏教、例えば共通の組織みたいなものがありません。東南アジアも、タイの仏教はタイ仏教といいますし、あるいは隣の国のミャンマー、昔はビルマと呼んでいましたけれども、ビルマへ行きますとビルマ仏教です。私がよく行きますスリランカも、セイロン仏教といわれていて、それぞれ一国、あるいは一民族の仏教がそれなりに発達して存在しておりますが、その間をつなぐような組織は非常に乏しいのです。例えば、カトリックといいますと、総本山がローマにあって、そこを中心にして全世界にローマン・カトリックを布教したり、司祭の組織もつながっているわけですが、仏教はどういうものか全部国単位に切れてしまって、むしろその間に反目があるような場合が多いわけであります。

   これは非常に残念なことだと思って、曹洞宗の禅運動、これは先ほどの森本先生のお話にございましたように、フランスあるいは西ヨーロッパでも大変盛んに禅道場が活動をしておりますし、またアメリカには、ご承知のように、たくさんございます。全世界的に曹洞禅の一種の信仰運動、あるいは実践活動が繰り広げられているんですが、こういうものが世界の仏教を何か連携させる組織づくりをして、束ねるというんじゃないですが、何か間を取り持ってくれないかなというのが私の希望です。

   私はタイへ行きまして、半年ほどタイの僧院で修行させていただいて、その後ミャンマーへ行きました。首都のラングーン、今はヤンゴンといいますが、そこにシュウェー・ダゴンというアジアで一番大きなパゴダ(仏塔)のあるお寺があります。そこへお参りするのが東方アジアの仏教徒の目的でもあるわけですが、私は1973年に行ったきりでながい間もう一度お参りしたいとお思っておりましたが、今年の1月に25年ぶりぐらいにお参りを果たして非常にうれしかったです。

 それで、その昔ヤンゴンのお寺を訪ねたとき、バンコクで修行した話をしましたら、あれはだめだといわれました。どうしてかと聞いたら、タイの僧侶は戒律を幾つ持っているかというので、タイの僧侶は227の戒律を授けられるので、227といいましたら、ビルマは500だというんですね。タイはビルマの半分以下だから大したことないというわけです。つまり上座部の一つの大きな特徴に、戒と律をどれだけたくさん授けられるかというのがありますね。たくさん授けられた方が偉いという考え方がございます。僧の偉さは戒律をどれだけ厳しく守るかということもあるわけです。

   例えば、タイ仏教では比丘尼という尼さんは五百年ぐらい廃止されて存在いたしませんけれども、実際に女性の修行者はたくさんいます。普通は白い衣を着て頭を丸めていられますが、この人たちはメイチーとよばれていまして、女性の仏教修行者ではありますが、僧侶ではありません。227の戒律を授けられないと僧侶といいません。メイチーは八戒しかもらっていないので、僧侶とは呼べないわけです。実際は女性の修行者の要求が非常に強くて、タイでは僧侶のいない無人寺があり、そこではメイチーが主宰していることもあるわけです。これはテラワーダ仏教の今後に課せられた大きな問題だとおもいます。

  どうしてタイで僧侶になれたかといいますと、タイはアユタヤ時代からの三百年ぐらい続く慣行で、男子は二十歳で健全ならば、一度は僧籍に入るということがございます。一時僧ともいわれていますが、実際は一時僧と永続僧の区別はありませんで、一時僧として入る場合にも完全な得度式を行って入るわけです。ですから、227の戒律をいただくわけで、私もいただいたわけです。タイの仏教の場合は、入りまして一週間でやめる人もいますし、また一週間と思った人が一生いて、高僧になられる方もおります。大体の慣行としては、7月の満月から10月の満月の間の約3ヵ月間をカオ・パンサーという雨安居の時期と呼んでいまして、その3ヵ月間に僧修行するのが一番いいといわれております。タイの高級官僚とか、あるいは企業に勤めている方で、二十歳を過ぎて結婚するまでの間の独身者は一番僧侶になるのによい時期だといわれていますから、大体二十代の後半ぐらいの人がこの時期に大挙して寺に押しかけて約3ヵ月間の修行をする。そうすると、10月に還俗するとき寺でちゃんと証明書をいただきまして、また還俗して社会に帰ってきますと、これは立派な人間だと。僧の生活をするまでの人間はコン・クルーンといいまして、半人間といわれています。僧を経験しますと、熟した人間といわれます。社会では非常に尊敬度が高くなるような傾向があるわけであります。

   タイ社会では90パーセントぐらいの人がテラワーダの仏教徒で、もちろん憲法では近代国家として信教の自由をうたっていますから、キリスト教徒もあれば、イスラームもいますし、ヒンズー教の人たちもいますし、また華僑の間では中国仏教が盛んで、そういうお寺もあります。タイ仏教のいいところは、つまり信者であるか信者でないかという区別をしない、これが非常に大きな特色かと思います。キリスト教ですと、キリスト教徒であるための洗礼を受けなければならない。また、イスラームですと、割礼をしなければなりませんで、イスラム教徒としての非常に強い刻印が押されるわけであります。ユダヤ教徒もバー・ミツバーという割礼をいたします。仏教は世界大宗教の中で唯一、非教徒と仏教徒の間の区別がそういう形でありません。ですから、タイの場合も仏教寺院に何らかの形で寄進をしたり、僧侶に食事を施すような行為をすれば、仏教徒であるということになるわけです。ヒンズー教徒のインド人が仏教寺院に来て、僧侶に会って話を聞いたり、何らかの寄進をしますと、もうこれは仏教徒だと。

 何が仏教徒かという仏教徒の概念が初めよくわからなくて、戸惑ったことがあります。日本の場合は宗派がありますから、うちは浄土宗で、私はその檀徒で育ったわけですけれども、日本人の大半の人はどこかの宗派に属する、家の宗教としての仏教を持っているわけであります。ですから、アイデンティティーにその点では仏教徒であることに疑いがありませんけれども、タイの場合は寺にあらゆる人が来ますので、一体誰が仏教徒なんだろうかと私には最初よくつかめませんでした。

 修行させていただきまして、いろんな戒律があります。例えば、得度式は大行事です、そういうタイ仏教の説明をしているときりがありませんので、ごく簡単にいたしますが、坊さんになる人を出すことはその家族だけでなく、町を挙げてのお祝い事になります。大体夜の12時ごろに入るお寺から僧侶が来て、髪と眉を剃るわけであります。眉を剃るので、タイのお坊さんは中性的な感じがいたしますが、そして白い衣に着替えさせます。白い衣を着ると、おまえはもう人間ではない、けれどもまだ僧侶ではないから、アタマーという全くの存在しない存在だというので、非常に不安定な存在になります。一種の「さらす」といいますが、むき身にして、全く人間の素に戻して、素に戻った後で初めて戒律を授けて、黄色い衣を着れば僧侶になるというわけです。

 私は仏教の国から来た人間なので、パーリ語のお経さえ覚えれば得度させてやるというので、白い衣の期間は一晩だけでした。キリスト教徒のアメリカ人とかフランス人とか、いろんな方が日本の禅に来るように修行に来ますけれども、そういう人たちは大体3ヵ月か4ヵ月ぐらい白い衣のまま僧院の見習い僧みたいなことをして、置いておかれるのです。これはどうしてかと聞きましたら、彼らはキリスト教という非常に違った宗教から来るので、一度元に戻して、それから仏教徒にさせるんだというような説明をしていました。

 ただ、戒律というのは非常におもしろくて、私は必死になってパーリ語を覚えて得度したんですが、一晩明けまして、次の朝はもう僧侶で托鉢に行かなくてはいけない。その前に「ちょっとトイレへ行かしてくれ」といって、トイレに行きまして、実は立ったままジャーッと音を出してしていたら、後で先輩僧から、トイレで音を立てては絶対いけないといわれました。どうしてかというと、227の戒律の中に書いてあって、トイレをする場合にはしゃがんでしろということです。これはお釈迦さんの時代と社会でのしきたりですから、ほかの国ではそんな形ばかりではないんですけれども、そういうことまで決めてある。例えば、黄衣を干す時に、ひもにこっちからかけるか、向こうからかけるか、それを向こうからかけてはいけない、こっちからこうやらなければいかぬとか、そういう細かいことも定めてあるのが戒と律であります。

 また、托鉢に行った場合に施しを受けるわけですが、現在あれだけ経済発展し近代都市になったバンコクにおいても、朝6時ごろに僧院の周りを一時間ぐらい歩きますと、バーツとよばれる鉢に施しの食べ物で山盛りいっぱいになります。僧院に帰って、デクつまり見習いの小僧が、洗面器なんかを使いながら、ご飯はご飯、スープはスープ、おかずはおかずというふうに分けて、それを捧げてくれると初めて僧侶が食べられることになります。大体7時ごろに朝ご飯を食べて、11時ごろにお昼ご飯を食べて、正午からは、ショウガは薬だということになっておりますので、ショウガ以外の固形物は一切とれませんから、次の朝まではひもじい時間を送るわけです。ミルクを昼の12時以降にとれるかどうかがタイ仏教での大論争で、まだ決着がついておりませんが、ミルクは水と同じで流動したものだからとってもいいというのと、ミルクは食料だからとってはいけないという二つの派がありまして、これは宗派じゃありませんで、戒律の解釈の問題ですが、私はとってはいけないという厳しい方に入りましたから、ミルクもとれないということがありました。

 ここで申し上げたいことは、タイ仏教は非常に安定した仏教社会の中にありまして、国民にとってもアイデンティティーの根拠にもなっています。また、施しに行きましても、これだけ現代生活になっても、一般の人たちが炊き出しをして待っていてくれまして、そこに僧侶が行って、施しをもらう。その場合に、最初に行った時に非常に強く注意されたのは、どんなおいしいものをもらおうが何をもらおうが、絶対に頭を下げたり礼をいっちゃいけない。礼をいいますと、俗人は僧侶に施しをすることによって徳をもらうことになる。それに対して、僧侶の方はものをもらうことによって徳を与えるんで、もしその時に僧侶がありがとうとか、そういう言葉をいうと、俗人にとっては徳行をしたことにならぬ、徳が消えてしまう、だから、礼だけは絶対いったらいけないと非常に強く注意された経験がございます。見えるものを俗人は僧侶に施しとして捧げる、見えない徳を僧侶は与える、そこには人類学でいうレシプロシティー、相互交換の法則がちゃんと成り立っているということを実地経験して、興味深かった思いがあります。

 私は、タイ仏教を知るにつれてスリランカの方が原点だと思いまして、1978年ぐらいからスリランカに行くようになりました。タイの仏教との比較研究をいたしますと、非常におもしろいのは、タイ人はある点では要領のよい人たちでありまして、いろんな面でのはしょりの仕方が非常にうまい。さまざまな仏教儀式の場合、お経をとなえることが中心の儀礼が行われるわけですけれども、これがタイだと普通一時間を超えることはまずないのです。式典に連なっている時にタイだと非常に気が楽で、大体一時間ぐらい我慢すれば全部終わる(笑)。暑いところでもありますし、限度をちゃんと心得て非常にうまく回転させるんです。ところが、スリランカに行きますと、全く同じ儀式を36時間ずっと続けてやるので、こっちはへとへとになります。内容的にチェックいたしますと、読んでいるお経も大体同じですが、タイの方は適当にはしょりながらエッセンスだけやる。スリランカは経典も全部読むというようなことで、同じテラワーダの伝統であっても国や社会によって大分違うことがわかります。

 スリランカは西洋の植民地になって、ポルトガル、オランダ、最後にはイギリスという植民地時代を経験して、仏教はある点ではキリスト教徒であるイギリス人とかオランダ人に分裂させられたり、痛めつけられたりいたしました。また、隣の国がインドでありますから、インドの影響が非常に強くて、インド系のヒンズー教徒のタミル人がおりますが、仏教徒のシンハリ人との間にいろんな抗争があって、現在は内乱みたいになっているわけです。宗教・民族対立が激しく、仏教徒がヒンズー教徒あるいはイスラーム教徒と対立しながら、少数民族のゲリラ・テロ活動も大統領暗殺も含むような戦争状態をつくり出しております。むしろ仏教の僧侶が先頭に立って人びとをあおる面も一部でみられシンハラ人仏教徒も巻き込まざるをえない。

   それに対して少し誇張して言えば、一般のヒンズー教徒は、仏教のことをまともな宗教だと思っていない面もみられます。これは奈良先生が詳しいと思いますが、ヒンズー教の信仰では仏陀はかなり後ろの方に位置する単なる一つの神であって、中心ではないです。コロンボに仏教寺院とヒンズー教寺院が通りを隔てて隣どうしになっているところがありますが、仏教徒はヒンズー教の寺院にお参りに行く人がいますが、その逆はまずみられません。何といってもヒンズー教のインド文明はアーリア大陸の大伝統の一つですが、それに対して仏教は今ではインドではマイノリティーであります。もともとカースト制度を打破して、信仰がカーストという集団のものではなくて、実は個人のものであると主張してでてきた、プロテスタントとしての仏教ですから、改革の気持ちが強かったわけです。インドではアショカ王のときなど例外はみられますが、ヒンズー教徒の中心の宗教体制となり、スリランカとかビルマやタイ、ラオスなど周辺部の小さな国へ広まったという経緯があるのは肯定できません。

 仏教徒は、仏陀はさとりの人であって、ともかく大悟達の人でありますから、我々の救いということに対しては非常に大きな力を発揮します。正道を極めるという点では仏陀は尊敬されていますが、人間として生きる場合には日々の御利益が必要になるわけです。交通事故に遭うかもしれぬ、あるいは何か経済的に困った時にどうしたらいいか、病気になったらどうしたらいいか、そういう日々の悩みにこたえてくれるのはヒンズー教系の神々なわけです。ヒンズー教にはヴィシュヌといった生命の神さまとか、カタラガマという勝利の神さまとか、いろんな神さまがいて、それぞれの力を人間に与え、保護を与えるわけですから、スリランカに行きますと、ヒンズー教との関係が非常にはっきりとあらわれていて、どの仏教寺院にも本堂には仏陀の像が厳然として置かれているわけですが、その裏側にはヒンズー教の重要な三つか四つの神さまが祀られております。仏教徒は本堂で、さとりの大道について仏陀に対して祈って、その後に日々の御利益についてはヒンズー教系の神さまに祈るという二重構造が見れるわけであります。

 私は、比較的そういう信仰のあり方を自然に受け入れてしまい、今年(1999年)の9月にコロンボへ行ったのですけれども、私の右手首に巻いてある白い糸ひもですが、これはピットヌルといって、僧侶にこういう白い紐を巻いてもらって、護呪経といいますか、お守りのお経をしてもらうわけです。これのために一年に一回は必ずスリランカに行かなくてはいけないことになっていて、コロンボの寺院で知り合いの僧侶にしてもらうんです。それでスリランカから日本に帰るにも道中無事だと安心できます。ちなみに私はお参りが大好きで、世界のどこへ行ってもお参りをするんです。

 それでお参りにつきましては私は八方美人というのか、大体お参りが大好きですから、例えばニューヨークへ行きますと、ニューヨークのマンハッタンにあるセント・キャサリンズ・カテドラル、ケネディ大統領の葬儀が行われたような有名なカトリックの寺院がありますが、朝早く起きますと、そこへ行ってお参りをするのです。土地の神さまに礼をしないと、その土地ではうまくいかぬだろうという気持ちがあって、この夏にはミラノではドゥオーモ、またパリにも行きましたが、パリの空港から地下鉄でノートルダム寺院があるサン・ミッシェルに着きますから、ノートルダムへ行ってお参りをする。これはどういう信仰かなと自分でも思いますが(笑)、日本だと、どこでも土地にある神社仏閣に必ず行くことにしておりまして、これはお参りをするだけです。こういう気持ちはどういうのかなと自分ではまだはっきりとしないんですけれども、お参りという行為は非常に意味があるというふうに自分では思っておるわけであります(笑)。

 スリランカはヒンズー教と仏教が民族に分かれて対立している面がある。また、カースト制度がありまして、沿岸部は大体アウトカーストの人たちが多いのですが、そういう人たちはみんな強固なキリスト教徒で、非常に熱心です。もちろん少数派ですが、イスラームもいまして、非常に熱心です。とにかく信仰的には世界四大宗教が集まって、非常に信仰的に熱心な国ですが、私はそこへ行っても、もちろん仏教寺院に行きますと同時にヒンズー教の寺院にもお参りに行きます。キリスト教の教会にもお参りに行くので、ひところそういうお参りをしているとだんだん周囲がおかしな目で見て、あいつは一体何者であるか、仏教徒といっているけれども、カトリックの寺院に行ってもお参りしている、イスラームまで行こうとしているということで、不審の目で見られたことがあります。あれだけ民族と宗教が対立していますと、必ず人間は一つの宗教に属する。非常に強固に信仰することが当たり前ですから、そういう聖なる場所を渡り歩くのは言語道断である、あらゆる者から怪しい人間であるということになりましたけれども(笑)、こちらは日本人なのかな、神仏集合八百万の神信仰ですが、けろりとしてやっておりました。しかしこれはあくまで私個人の問題であります。

 最後に、二つのことを申し上げたいと思います。そういうことをいろいろと経験しまして、私はとくに熱心な信者とか、深い仏教理解を持つ者というわけじゃ決してありませんが、とくにテラワーダ仏教に接するようになりまして、非常に印象に残っていることがあります。

 一つは、言葉と行いの関係です。タイ仏教の場合も最初、修行に入ってゆきますと、坐って、呼吸調整中心の瞑想を行っていくわけです。その場合に、これはどういうことのためにやるのか、どういう意味があるのかという説明が一切ないのです。ともかく坐れ、呼吸を調整する。その辺で私は退散したんですけれども、ともかくそれを毎日やらなくちゃいけない。いろいろ聞いてみると、いわゆる修行の段階は一段、二段とありまして、一つの概念、あるいは一つの言葉の意味は、ある状態に達して初めてわかるものであって、それまで幾ら説明しても、坐禅はもっとうまいのでしょうが、瞑想を行って修行を重ねていかないとわからない。だから、初めからそんなものを説明してもしようがないんだ。つまり行うことによって初めて言葉の意味がわかるということをいわれたんですね。

   現代社会は情報化社会とか言語中心の社会で、あらゆるところで言葉で説明しないと人びとは納得しない。ともかく説明過多の時代であって、しかも実態がはっきりとしないことが多いわけですが、言葉の説明は行いとともに理解しなくてはいけないんではないのか。私ども近代社会の人間はどうも頭でっかちで、言葉と本を通して入っていくものですから、どうしても頭の方で言葉からいくんですが、実は行いからいかなくてはならない。聖書の言葉の「初めに言葉ありき」は、キリスト教、ユダヤ教の前提で、言葉があって初めて人間は存在する、また信仰が存在するということなんですが、どうも仏教の伝統、あるいは東洋の宗教といってもいいかもしれませんけれども、そこでは仏教でもヒンズー教でも初めに行いがある、行いがあって初めてその後に言葉がついてくるんだというような教えではないかと思います。禅はまさにそこのところが徹底されていると思うんですけれども、そういう面で私は初めて言葉と行いの関係を考えさせられました。

 今の現代社会はいろいろと混迷しておりますけれども、マス・メディア社会、情報化社会は言葉と映像が先行する社会でありますから、行いはどうしても空虚になりやすいわけです。そこで、こういう仏教的な捉え方、初めに行いがあって徐々に言葉がついてくるというようなことは、我々が現代社会を渡っていく場合にどこかに思っていていいことじゃないかというふうに思いました。

 それと似ているのですが二つ目のことは、先ほど葬祭のことが大きな話題であるといわれまして、私はそれについてお話をしてきませんでしたけれども、もう一つの仏教の大きな問題は死というものを恐れないことになります。死というものは人間にとって一番恐怖の対象であることは事実だと思いますが、死を恐れない、死を克服する教えであり、思想である。修行をやっていた時に非常に大きな印象に残っているのは、かなり上の僧侶の方がお歩きになる時は、必ず先導する小僧が歩かれる道を箒で掃きながら行く。どうしてかと聞いたら、どんな生物がいるかもしらぬ、もしお坊さんがそれを踏んで殺したらいけないので、必ず気をつける。それからゴキブリが死んでおりましたら、上の先輩僧が「アニチャ、アニチャ」という。アニチャは無常と訳されていますが、万物流転移ろい行くということです。一つとして定かなるものはないというのが仏教の根幹的な思想であって、そこに死が組み込まれておりますね。現代人にとっての最大の問題は、いかに生きるかということと同時にいかに死ぬかということです。これからもお話があるかもしれませんが、さまざまな面で現代社会の大きな課題になっておりますが、仏教というのは死というものを正面から見つめるところに大きな救いをもたらすのではないか。

 これは私が昔書いた本で、そこに引用しておきましたけれども、タイの僧院では毎日、僧侶が夕方に、私のいた寺院では夕方の読経は7時から8時まで1時間行うのですが、読経の時間の一番最後にみんなが本堂でパーリ語で斉唱する。パーリ語のお経は非常にきれいですが、その中で「アピニアパチャベカーナ(いつも心にとどめおくこと)」を最後に唱えます。私ども立膝でやっているので、下は座蒲団なんかありませんから、足が非常に痛いので、必死になってこのお経がこないかと思っていると(笑)、最後にこのお経になると、これで終わるというのでほっとしていたんですが、「いつも心にとどめおくこと」というお経の内容を簡単に申し上げます。もちろん専門家の方はよくご存じだと思います。

  年をふる、朽ちていくのは私の定めだ。年をふること、あるいは朽ちることを越えることはできない。病をすることは私の定めだ。病を越えていくことはできない。死ぬことは私の定めだ。死を越えることはできない。愛するものも楽しいことも、今私の手にあるものはやがて他のものにかえられ、私から離れていってしまうのだ。私は自分のカルマを持っている。私のカルマを引き継ぎ、私のカルマに生まれ、私のカルマに結びつき、私のカルマに支えられることは変わらない。私が行うであろうカルマがどれであれ、善であれ、悪であれ、それを私は引き継いでいくことになる。このことをいつも覚えておかなくてはならない。

 こういうような意味なんですけれども、これを毎夕唱える。死ぬことは定めだということをパーリ語でいうから、私は非常にきれいに聞こえるんですが、これは基本的に死を辞さないといいますか、死を恐れないという思想だということを、私は思想の深い意味はわかりませんけれども、感じました。これはあらゆるところに引用して、去年NHKで12回ほど異文化についてのお話をした時に、『タイの僧院にて』も一回、紹介したのですけれども、これが一番反響がありまして、番組の一番最後にお経を流してもらったんです。死というものを正面から自分の定めとして考えるような教えは、我々現代人がどこかに必ず必要としているような考えなのではないかというふうに強く思います。

 いろいろ申し上げたいことはございますけれども、死を超克する、日本でも仏教が、結局、死というものを扱う、葬祭を扱う。葬祭というのは、あらゆる日本人が仏教の手を通して行うことを歴史的にやってきたわけですが、これは多くのアジア諸国でも大体そうです。仏教の中で葬儀の儀式そのものが一番発達しているのは日本かとは思うんですけれども、カルマと輪廻転生という教えが日本では余り強調されておりませんので、先祖供養、祖先崇拝と結びついた死を仏教がみとるということですから、それは盛大に、また繰り返し行われるわけです。タイやスリランカでは死んでしまえば次は生まれ変わるわけですから、これはまた全然違った考え方でありますけれども、死に関与する、死というものをきちんと見つめるというのは仏教の根幹にある考え方であって、これを仏陀が自らお示しになったということは世界大宗教の一番特徴のある、イスラームでもキリスト教でもユダヤ教でもできなかったことのように、仏教の偉大な特色であると思います。ですから、葬祭というものは仏教にとって非常に重要だということは、やっぱりここからもきているのではないかというふうに感じております。

 余りこなれた話でなくてお恥ずかしいんですが、体験談からのお話をさせていただきました。どうも失礼いたしました。(拍手)

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○奈良

 青木先生、どうもありがとうございました。

 日本の仏教徒、それから東南アジアに定着しておりますテーラワーダ仏教、同じ仏教でありながら、かなりなところが違っております。違っていながら同時に同じところもあるので、違っているところと同じところをもう少し整理していきながら、仏教の普遍的な本質部分を考えていくところに、将来、東南アジアの仏教と日本の仏教とがもう少し相互に理解し合い、協調しながらやっていけるのではないか、そんなようなことを感じながら、前半の方は聞かせていただいておりました。

 それから最後の方で、タイでは人間というものは無常で、絶対に死ぬんだということをしょっちゅう言いきかせていって、それがそのまま亡くなった時の葬儀にも引き続いていく。生きている間に死ぬということを明らかにみてとらせていく、一種のデス・エデュケーションというんですか、死への対応というんですか、そうした面があるのですね。死をおそれない思想が仏教の特質であるとも指摘されて、これは私たちが日本の葬儀を考える際にも重要なことと思います。葬儀は死んだ人に対してなされる儀礼ですが、儀礼を支える死についての観念は生死を問わずに一貫しているものでしょうから。

 青木先生、ありがとうございました。

 それでは、続きまして、佐藤悦成先生、どうぞお願いをいたします。


葬儀と禅―過去を知り、現在を考え、未来を思う―

○佐藤

 佐藤でございます。

  お手元に資料がございます。それに従いながらパネリストとしての役目を果たさせていただきたいと存じます。

 先のお二人の先生方からのお話にもありましたように、「葬る」というのは人としての自然な感情の発露といえます。であるにもかかわらず、今の日本の社会では「葬」への批判がございます。それは、葬ること自体への批判ではなくて、儀式を主導すると申しますか、喪主の依頼を受けて葬儀を催行する宗教者に対する視点といえます。日本では多くの場合それは僧侶ということになりますが、宗教者の側になんらかの反省すべき点がある、という受け止め方をすべきであろうと考えます。

 今日の日本の仏教と申しますと、宗派を問わず葬儀を行います。その意味でいきますと、現在の日本仏教は「死んだら宗教」なんですね。誰かが亡くなったら宗教が必要になる、または、宗教に関わるのだ、という意味ですが、これでは宗教本来の姿ではありませんし、宗教の本義でもありません。生きているからこそ宗教が必要である、という捉え方をしないといけません。生きている間にどう自分の一生を見定めて、死というものを誤りなく認識するのか。人として生まれた以上、いつかは死ぬわけですから、死を嫌悪して、逃れようのないものから必死に逃れようとあがくことで、自ら苦悩を生みだしてしまってはいけないのです。生まれてから死ぬまでの間をどう自覚を持って生きるか、そこに目を向けていかなければいけないわけですから、その意味で「死んだら宗教」では困るわけです。

 もし、人が永遠に生きられるとするならば、自分を律して苦しい思いをしながら修行することなど、誰も考えたりしないでしょう。しかし、現実には人の命は有限ですから、たとえ千年生きられるほど科学が進歩しても、人が年齢というものを数えるかぎり、命は時間の中に閉塞された存在といえますし、誰もが限られた時間の中で生きていかざるを得ないわけです。そうすると、人は人としての理想の生き方を求めるようになります。それが宗教発生の道筋ということでしょう。

 例えば、仏教がインドで始まります。開祖である釈尊は80年の生涯をクシナーラーの地で終えます。正覚の内容である「縁起の理法」がさまざまな方法で人びとに示されます。四法印も四諦八正道もすべての教えは縁起の理法の敷衍といってよいのですが、根本の教えを示した釈尊が80年の生涯を終えて入滅される。これは実は仏教にとっては非常に重要なことであります。釈尊の入滅が何を意味するかと申しますと、釈尊が生前教えてこられた教えそのものが、嘘や偽りではない証しとなるのです。仏教の教義が誤りではないという証明が一体どこでできるのかといえば、すべての存在は移ろいゆくと教えた釈尊自身が亡くなることで証明ができるわけであります。これ以上確かな証明はないわけで、その意味からいきまして、仏教というひとつの思想が完成をするには、釈尊自身が亡くならなければいけない、永遠に生きて例外をつくってはいけないわけです。ですから、釈尊の入滅によって仏教が完成したと観ることもできます。

 釈尊の入滅は、仏教にとって荼毘の始まりになるわけであります。そして、仏教の伝播によりまして、中国に火葬も伝わってまいります。中国の人びとにとって火葬は余り歓迎しない文化だったようではありますけれども、仏教と一緒に入ってまいります。

 例えば、中国の人びとにとって葬るとはどういうことかと申しますと、仏教が伝わるずっと以前、殷の次に周の時代がまいります。周の時代の葬制は、上層階級は陵に葬りました。陵墓と日本ではいいますが、本来両者は別な存在で、陵は遺体の上に土をのせてこんもりさせる。庶民はどうかといいますと、穴を掘って埋めるわけですね。これが墓ですから、庶民が土をかけて陵をつくることはできない。支配者が穴を掘って埋められることはないということです。そうしますと、ここに既に葬儀としての制度ができていることがわかるわけであります。まだ孔子も出てこない時代で、礼という概念も定まっていない。しかし、ここに既に葬制ということが見てとれるわけであります。

 では、仏教者はどうでしょうか。鳩摩羅什は荼毘に付されています。お墓が西安の南の圭峰のすぐ脇の草堂寺にございますけれども、この著名な訳経僧は荼毘に付されます。

 禅宗の始祖になります達磨は土葬で、熊耳山に葬られます。北魏の宋雲が葱嶺で片方の草履を手に持って東から歩いて来る奇妙な僧侶と出会います。帰国して達磨の龕を開けてみたら、草履の片方しかない。さてはあの僧は達磨であったかということになるわけです。火葬にしてしまっては宋雲と出会えないわけですから、土葬になります。もちろん伝説です。六祖慧能も広東省韶州曹溪山南華寺には真身がございまして、ミイラになって残っているといわれておりますので、やはり火葬ではないわけです。また、道元禅師が入宋するころの中国ではどうだといいますと、歴史書には庶民が火葬するのを政府が制限をしているという記事もあります。これがどのような意味を持つのかはよくわからないのですけれども、みだりに火葬が行われるのは、異国の習俗として、時の政府にとっては余り好ましからざることであったようだとも、見て取れます。

 さて、資料の1のところで、曹洞宗における葬儀の歴史と題しました。そこに『正法眼蔵随聞記』から一節を引用いたしました。

(資料1)『正法眼蔵随聞記』(長円寺本)卷二

大宋国の善知識の会にて修し死にて、よき僧にさばくられたらん、先ず結縁なり。日本にて死なば是ほどの人々に如法仏家の儀式にて沙汰すべからず。                 

*「さばくられる」は葬られるの意味 

 右は、中国で道元禅師が修行されておりました時に、どのように修行を続けるのか、これ以上坐禅を続けていいのだろうか、病気になってしまうぞと迷った時、思い切って修行を続けたことを門下の学人に語った一節です。ここに「如法仏家の儀式にて」とあり、既に仏制として僧侶の葬儀式が定められているとことがわかってまいります。

 道元禅師の宗旨は「只管打坐」でございます。ですから、そのように理解をいたしますと、「只管打坐」という実教、聖諦といってもいい、第一義諦といってもいいのですが、その立場に対してすべての儀式は権教、世俗諦といいますか、方便と申しますか、そのように位置づけられていたといってもいいだろうと思います。そのようなことが『宝慶記』にありましたので、資料2のところに引用いたしました。

(資料2)『宝慶記』 

 「堂頭和尚」というのは如浄禅師のことでございます。「参禅は身心脱落なり。焼香・礼拝・念仏・修懺・看経を用いず。只管に打坐するのみ」、ないしは「只管に打坐する時、五欲五蓋を除く」と記されており、坐禅を実践すると、人の基本的欲望・煩悩である五欲五蓋を離れることができると位置づけて、「このほかにすべて別事なし」というのです。

 そうしますと、坐禅を行ずることで五欲五戒が除かれるわけですから、戒が保たれていることになりますね。それを禅戒一致といいます。新たに別に戒を立てなくても、坐禅をすることでもって、理念として戒は保たれていることになります。これは後ほど重要な点になってまいります。

 次に、日本で曹洞宗の祖師方は一体いつの時代から葬送儀礼を行い始めたのかが問題になります。これは尊宿葬儀、つまり住持職にある方を葬るとか、修行僧を葬るという意味ではなくて、在家の方の葬儀をいつぐらいから始めたのかということでございます。それが資料3でございます。

(資料3) 中世曹洞宗祖師の語録に見る葬祭項目

     語録名

著者

生没年

坐禅項目数

葬儀項目数

   永平寺広録

永平道元

1200〜1253

115

1   

  通幻禅師語録

通幻寂霊

1322〜1391

17

15   

器之為禅師語録外集

器之為

1404〜1468

0

36   

  川僧禅師語録

川僧慧濟

1410〜1475

1

62   

 

中世曹洞宗の各祖師の語録に見られる葬祭に関係した項目を坐禅に関係した項目と比較した表でございます。これは圭室諦成氏の『葬式仏教』から引用したのですが、道元禅師の『永平広録』には、坐禅に関する項目が圧倒的に多く、少し時代が下がりまして、通幻寂靈禅師のころになりますと、坐禅と葬儀が半々になってまいります。これが14世紀の初頭から14世紀末のころのことになります。それから『器之為禅師語録』下集は下炬法語のみが記録されていまして、坐禅の項目はありません。それから遠江一雲斎の川僧慧済禅師の語録を見ましても、やはり葬儀の項目が大半を占めていることがわかります。

 そうしますと、通幻寂靈禅師のころがほぼ中間点であり、それ以降、つまり15世紀に入って葬送儀礼ということが熱心に曹洞宗で行われていくようになると見ることができます。葬儀の対象は支配者層に限ったことではなく、もちろん庶民も含まれています。

 葬儀の論理的な根拠と申しますと、出家者に対しては尊宿葬法であるとか、亡僧葬法であるとかが「清規」の中に明文化をされておりますので、何も新たな工夫を加える必要はないのですが、出家をしていない、言い換えますと戒を受けていない在家の方々の葬儀をどう行えばいいのかについては、問題があったのであります。在家の方の葬儀をまさか亡僧葬法でするわけにはゆきませんし、ましてや尊宿葬法ではできません。

 そこで、死後に戒を授けて、形だけでも出家の手順を踏み、僧となった人ならば亡僧葬法が援用できることに着目したのです。あくまで便法ではありますが、人びとの要請に真摯に応えようとした祖師方の苦悩が伝わってまいります。このことを「亡後作僧」とか「滅後作僧」「没後作僧」などと申します。

 資料4のところに「葬儀における授戒の変遷」を表にいたしましたが、これは各清規で、在家の方の葬儀においてどのような戒を授けたのかとういう点を記したかったためです。

(資料4) 葬儀における授戒の変遷

清規名

剃髪

懺悔

三帰戒

三聚浄戒

十重禁戒

禅苑清規(参考)(1103)

誦戒(梵網戒?)

 

諸回向清規(1566)

小叢林略清規(1684)

五戒

修訂行持規範(1950)

*亡後作僧の方法は日本の『諸回向清規』以前には見られない。実際にはそれ以前にも在家葬儀はなされているが、亡僧葬法を借用したものである。

 最初が『禅苑清規』で、この清規は禅宗が等しく規範にしています。在家の葬儀と思われる箇所には次のように記されています。

 

城隍にあって葬を送るの法は、・・・・亡人に囘向して骨を収めて普同塔に入れ、或いは水内に散ず。

 *城隍は街の意味。普同塔は亡僧の供養塔。水内とは、河川等への散骨の意  味であろう。

 

 回向をどのように行うのかは記されませんが、『梵網戒経』などの経典の読誦と考えられます。そして普同塔に入れるのですから結果として亡僧と同じ扱いになっています。

 日本に入りまして『諸回向清規』、1566年となっておりますが、これは成立した年でありまして、1657年に版本が出ておりますので、一般に広く知られるようになりますのはこの百年後の、17世紀の半ば以降です。それから『小叢林略清規』ですが、これは無着道忠が編纂をいたしました清規でございます。日本の臨済宗では『諸回向清規』と『小叢林略清規』の二つが初会の清規になっております。

  表にありますように、この『諸回向清規』になりますと、在家の葬儀の時に剃髪を行っています。懺悔は『諸回向清規』はありませんが、三帰戒を授け、三聚浄戒を授け、さらに十重禁戒も授けています。十六条の戒をすべて授けて僧とみなして葬るのであります。『小叢林略清規』になりますと、最後の十重禁戒が世俗の信者が守るべき五戒になります。在家戒五戒なのですが、儀式としての剃髪を行ってしまいますので、ここには少し矛盾がございます。しかし、五戒とした点に在家の方の葬儀であることが明らかになります。

 曹洞宗ではどうかといいますと、『瑩山清規』の尊宿遷化・亡僧の項目は『禅苑清規』・『勅修百丈清規』に依拠しておりまして、在家葬法は記されていません。実際には行われていた在家葬儀が明文化されましたのは、1950年の昭和修訂『曹洞宗行持規範』からと思っております。

 その方法は、『出家略作法』に則って剃髪からすべてを行い、十六条戒を授けて葬儀を行う形式を採ります。再び申しますと、在家の葬儀を行うには、まず僧になすことから始め、剃髪をして外形を整え、十六条の戒を授けて没後作僧とか亡後作僧とかいいますが、亡くなってしまってから出家の手順を踏ませて、その後に葬儀を行うということを行ってきたわけです。

 昭和修訂『曹洞宗行持規範』から在家の葬儀の項目が入ったと申しましたが、それ以前はどうしていたかと申しますと、それを明かすのが資料5のところです。    「中世後期における授戒会の開催と葬儀の関係」と題しましたが、授戒会がポイントになってまいります。

 太源派下宇宙山乾坤院は、尾張緒川にありまして、資料5は乾坤院の二世になります逆翁宗順 のメモ書きでございます。

(資料5) 中世後期における授戒会の開催と葬儀の関係。太源派下「宇宙山乾坤院」資料

「如仲下諸師の戒弟数」

  @橘山二代夭上 902人 応永戊戌

  A法山和尚   119人 永享十年

  B月因夭上   331人 五年住文安

  C茂林夭上   256人 宝徳四年壬申

  D霊嶽夭上   89人  寛正三年八月三日

  E宗之夭上   157人 文明六年甲午

  F石宙夭上   203人 文明十年戊戌

  G盛禅     146人 文明十六年甲辰

  H宗順     276人 文明十九年丙午

 最初に橘山二代和尚とあります。これは遠江橘谷山大洞院のことでありまして、喜山性讚禅師のことです。応永25年、1418年に902人の戒弟に戒を授けたというのです。法山和尚以下同門の兄弟子たちがその後に列挙されているのですが、九番目の宋順というところが自分自身のことです。永享10年119人とか、文安5年331人、宝徳4年256人等々と知るしてあります。宗順の文明19年は1487年ですから、約七十年間にわたって一門の宗匠が在家の人たちへ戒を授けた記録といえます。生前授戒ですね。各地で授戒会を催して、集まった戒弟に戒を授けたのです。この人数をみることで、曹洞宗の祖師方が宗勢拡大に非常な努力をされたことがわかります。各地で戒弟を募って授戒会を催すというのは、大変な布教の努力がそこにあっただろうと思います。

 この授戒会に参加をいたしますと、戒を授かって血脈をいただきます。そうすると、この信者が亡くなった時には、葬るための方便は何も要らないんですね。そのまま亡僧葬法を適用すればいいわけです。ですから、在家の方といっても生前に授戒をしていれば、僧侶に準じた扱いでもって葬ることができたのです。これが中世後期の曹洞宗における授戒会と葬儀との関係なんですね。本来別個の意義を持つ行事がはからずも作用しあって、何の方便も用いずに在家の方の葬儀に臨むことができたのです。

 祖師方の布教への情熱があって授戒会ということが盛んに行われるようになり、そして、民衆の側からは葬儀という要望が出てくるのです。ところが、規範には尊宿、修行僧の葬儀方法はあるものの、在家の方の葬儀方法は記されていません。どうすればいいのか。「この方は授戒会に参加して戒を受けましたか?」「授戒しました」「それなら、亡僧葬法で葬儀を行いましょう」ということになっていったと推察できます。

 授戒会の催行と葬送儀礼がこれまで別個に考えられてきたわけですけれども、年代的にいえば非常に密接にかかわっていたのです。例えば、先の資料の器之為禅師の生涯は15世紀の初めから15世紀の後半までですね。応永25年は先ほどいいましたように1418年で、15世紀の初頭です。それから一番最後の文明19年は15世紀末ですから、これは図らずも年代がぴったり符合してくるわけでございます。

 資料「律宗にみる葬儀」は、時代としてはもう少し後になるのですが、律宗も葬儀を非常に熱心に行います。実は禅宗の僧侶が葬儀を行うようになるのは、律宗が行っていたのを手本にした形跡がございます。戒律を守っている律宗の僧侶は、戒律によって清浄であると主張します。ですから穢れの概念がないのです。戒律に保護されて穢れに染まらないということです。だから、旧来の宗派の僧が嫌がって手を出さない葬儀という庶民の要請に応えられたのです。葬送儀礼を容易に取り込めたのは、先ほどいいましたように、禅僧も禅戒一致ですから、律宗と同じ考え方です。禅定修行によって我々は穢されないということです。

しかし律宗では、在家の方々を授戒に導くことをしないで、そのまま葬ってしまいます。それが尼崎の律宗の墓所規則に出てまいります。

(資料6)律宗にみる葬儀。唐招提寺末摂津「大覚寺」資料

 「定 於尾崎家墓所条々事」

一火屋 荒牆 四方幕内地付一端宛聖方へ取之引馬導師方迄蓋是迄不可取

  於此分者百疋可取之 収骨者五十文

火屋 荒牆 幕方者不定地付一端如前龕於此分者三百文可取之 収骨者廿文

一あらかき こし

  於此分者十疋可収之 収骨者十文 新輿作る時不可違乱

一定輿入土葬同之於此分者五十文可取之

一筵付無縁取捨於此分者拾文 小愛者十文 此外雖為一事不可違乱也

一石塔塔婆等ちり失る時者、ひしり方より可弁之

各々墓所を阿らたむる時、不可有違乱也

右於此旨者為地下可制敗□也

 天文元年壬辰十一月卅日 菩提寺 

 ここには6項目記してありますが、前の5項目は葬儀のランクです。最初がもっとも丁寧な葬られ方です。火屋があって、荒牆があって、四方幕が張られて、龕を輿に乗せ、それを引く馬がある。それから導師も馬に乗るわけですから、馬が何頭か必要になるわけです。そういった葬儀を行える人の供養料は百疋ということですから、大変な金額になります。ランクが下がりますと、火屋、荒牆、幕があって、龕はあるんだけれども、馬がない。そうなる供養料は三百文であると記されています。ここで目を引くのは、導師を勤めるといいますか、葬儀を主導する僧侶は三百文を供養料として受領しますが、火葬した後に遺骨を拾う役目の僧侶には二十文の供養料が渡されるという点です。これは律宗の組織の問題ですから、ここでは触れません。ご了承下さい。

 この資料から読み取れるのは、この時代既に僧侶と葬儀は経済的に結びついているということです。幾つかランクがあって、一番最後は莚に包んで捨ててしまう遺棄葬になります。それから小愛の者という項目が終わりから5行目のところに出てきますが、これは子供のことです。

  このような葬儀のランクづけを律宗では設けてゆきますが、曹洞宗の祖師方はそれをいたしません。どなたが亡くなろうと亡僧葬法に則って行っています。ですから、身分が高かろうが庶民であろうが、曹洞宗の祖師方が行った葬儀の方法はただ一つだったのです。これは非常に画期的なことです。身分が高ければ何らかの儀式が付け加えられ、身分が低ければそこが省略されても不思議ではないのですが、それをやっていません。法号に違いは見られますが、儀式の進行に差異はないのです。清規に準拠する以上、勝手な改変はできないのですが、とはいうものの、当時の社会背景を考えますと、曹洞宗の祖師方は卓越した識見を持っていたといってよいでしょう。

 それでは、現在の各宗派では葬儀をどのように行っているのでしょうか。

資料「現在の宗派別葬儀法の授戒項目」を見ていただきますと、天台宗から始まって真言宗、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、時宗と列挙いたしました。もちろん、葬儀の方法は時代・地域によりまして大きく異なりますから、この資料は小生が知る範囲の内容になります。

現在の宗派別「葬儀法」の「授戒」項目

天台宗 儀則を宗派で定めていない。

  1. 「葬送作法」 阿弥陀経の読誦を中心とする。 剃度式として剃髪、授 三  帰戒をおこなう。
  2. 「光明供葬送作法」 光明真言供養法に基づく。 剃髪授戒の項なし。

真言宗 宗派で定めていない。各派で伝承を異にする。

  1. 「古儀真言」(高野山真言宗)棺前作法で、剃髪、授三帰戒、授五戒をおこなう。
  2. 「新義真言」(智山派) 剃髪授戒作法で、剃髪、授三帰戒、授五戒をおこなう。
  3. 「同」(豊山派)智山派に同じ。

臨済宗 現在15派からなるが、各派ともに定めた儀則はない。

 各派ともに無着道忠の『小叢林略清規』を基本としている。

 葬儀の最初に、剃髪、授三帰戒を行う。

曹洞宗 宗派で定めた儀則がある。『曹洞宗行事規範』(旧称『洞上行事規範』)

 葬儀の最初に、剃髪、授三帰三聚浄戒、授十重禁戒をおこなう。

 明治28年に『洞上行事規範』が制定されたが、在家葬法の規定はない。昭和 25年の改訂で檀信徒葬儀法が加えられた。『禅苑清規』の「亡僧葬儀法」を柱とし、無着道忠の『小叢林略清規』の「在家送亡」と、『仏説無常経』の「臨終口訣」を加え、得度作法と下火念誦を組み合わせて構成した形式。

黄檗宗 『黄檗清規』に「遷化章」があり、それを在家に応用。『津送須知』が現在の基準。

 葬儀の最初に、剃髪、授三帰三聚浄戒をおこなう。

浄土宗 宗派で定めた儀則がある。『浄土宗法要集』(昭和28年制定)。

 剃度作法で剃髪、授三帰戒をおこなう。しかし必ずしも統一はとれていない。

浄土真宗 すべてを勤行とする。各派とも、宗旨にしたがって剃髪授戒なし。

日蓮宗 授戒等なし。

時宗 浄土宗とほとんど同じ。剃髪、授三帰戒をおこなう。

 天台宗は儀軌が複雑でして、幾つか葬法があります。僧葬作法と光明供僧葬作法と二つありまして、僧葬作法の方は剃髪を行い、三帰戒を授けます。光明供僧葬作法の方は剃髪も授戒も行いません。真言宗の古義真言ですと、剃髪を行い、三帰戒を授け、五戒も授けます。新義真言も同じです。臨済宗が一番意外だったのですが、『諸回向清規』・『小叢林略清規』で、既に十六条戒を授けたり、在家五戒を授けたりしていたのですが、現在十五派に分かれていることもあるのでしょうか、統一がとれていないのです。剃髪を行って三帰戒を授けるのですが、十重禁戒は授けていないようです。黄檗宗は三帰三聚浄戒を授けています。浄土宗も三帰戒を授けます。浄土真宗は阿弥陀如来の世界ですから、授戒はありません。日蓮宗もありません。時宗は浄土宗とほとんど同じです。

 先ほど申しましたように、剃髪を行ったのに在家戒を授けたり、三聚浄戒で終えてしまったりというのは、ひどく矛盾をはらんでいるといわざるをえません。ですから、亡後作僧ないしは滅後作僧という形式を採るのならば、作法として十重禁戒まで授けないといけないはずです。

 曹洞宗が唯一、十六条戒を授けて、僧となして葬るのです。これが現在行われている葬儀の形態ですから、曹洞宗の葬儀のアイデンティティーといってもいいでしょう。

 この点を葬儀を主宰をする宗侶の側がきちんと認識をしないといけません。亡後作僧は単なる形式と軽くみてはいけないのです。十六条戒を授けて、僧として葬るということの意義を自覚して葬儀を主導することが必要といえます。

葬式仏教という言葉は、過去の祖師方が護ってこられた、儀式を催行することへの誠実さをどこかに忘れてしまった点を、現代社会から指摘されていることと言い換えてもよいでしょう。

 葬式仏教という言葉に、妙に腰が引けてしまったり、自嘲の笑いで通り過ぎようとするならば、社会の信頼は取り戻せません。葬儀は布教の大切な実践の場であることを認識して、仏教者としての自分に自信を持つことが必要ともいえます。

4年前になりますけれども、愛知第三曹洞宗青年会で、「お葬式ってな〜に」というイベントが行われました。1300人ほどの方々がお越しになりましたが、その時アンケートを配布いたしまして、日ごろ感じていることを書いていただきました。その中で、自由記入のところの目についたものだけを挙げてみました。自由記入の内容は大別して二つに分けられます。一つは教義、儀式に関する疑問、もう一つは金銭の問題です。非常に生々しい話になるのですが、大体この二つに分けられます。

  

(資料) 現代社会と葬儀 

 曹洞宗愛知第三宗務所青年会 設立二十周年記念「お葬式ってな〜に」資料

 アンケートにみる葬儀への意見(1995年12月)

     入場者数 1287名   回収数 861通

  [自由記入の内容]抜粋

 1 教義・儀式の内容に関する問題 

  ・インド仏教と日本の仏教が大きく違うのはなぜか。           

  ・曹洞宗は坐禅の宗派だが、葬儀をどのように位置づけているのか。    

  ・なぜ葬儀で剃髪・授戒をするのか。                  

  ・仏教は霊魂の存在を認めるのか否か。                 

  ・葬儀の内容が都市と地方ではなぜ違うのか。

  ・都市の方が葬儀が短く簡単なのはなぜか。

  ・死後はどこへ行くのか住職に聞いてもはっきりしない。        

  ・葬儀の内容、その後の法要について知りたいが、僧侶が知らない。    

  ・葬儀で仏になって救われたのに、施食会を毎年するのはなぜか。     

  ・仏教について知りたいことがあるが、僧侶に聞いても納得できない。 

 2 経済的問題

  ・戒名料・葬儀料について不明な点が多い。              

  ・葬儀料が決められているのは、儀式をお金で買っている気分になる。   

  例えば、曹洞宗は坐禅の宗派だけれども、葬儀をどのように位置づけているのか、とその場で聞かれても、なかなか簡潔に要点を踏まえた説明はできにくいかもしれません。なぜ葬儀で剃髪・授戒をするのかといったことも同様です。

 何から何まで説明すればよいというのではありませんが、儀式にどのような意義があり、作法にどのような意味が含まれているのかが少し説明されるならば、施主の側は大いにそれを納得して葬儀という儀式を厳粛な気持ちで見つめることができるはずです。

 また、一部の方からは戒名料、葬儀料について知りたい、または、疑問に思うことが多い、という記入がありました。このような質問が出ること、ないしは疑問が出ることに反省すべき点が見えていると思います。

 現代社会においては、寺院と信徒の結びつきが希薄になってきています。しかし、死は人間にとって永遠の課題です。死を通して生を問い直す機会を仏教者の側から提示しないといけない、そういう時代がもう来ていると思います。

 社会で生きるための知識とは別の、自己を見出すための知識を僧侶はたくさん持っているわけですから、それを自分だけのものにして閉じ込めておかないで、生きるとはどういうことなのか、生と死について、禅とはなにか等々を広く発信していく手段を考えないといけない時代が来ていると思います。

 「寺院を情報発信の基地にしよう」というのは、曹洞宗が力を入れているグリーンプランの発想ですが、まさしくこれからの寺院の役割はその点にあるといえます。葬送儀礼はその端緒になるはずです。

 御静聴ありがとうございました。

目次へ


○奈良

 佐藤先生、ありがとうございました。

 大変詳しい資料をご提示していただきながらのお話で、大変に勉強になります。おっしゃられたことのなかに、特に重要なポイントが二つあったように思います。一つは、私どもが現在やっております葬儀に関して、授戒、つまり十六条戒とは何かとい言う意味をはっきりさせなければならない。僧にさせて、その上での葬儀なんだということをはっきりと認識した上で葬儀を行っていくべきではないのかというお話があったかと思います。それから、生死という問題に関して、これは具体的にどうということはおっしゃいませんでしたけれども、葬儀というものを考えていく時に生死の問題をきちんと指導しなければならない。それも、家ではなくて、個人レヴェルで、生死の受け止め方をさまざまな形で発信をしていくべきではないのか。そうした問題提起をしていただいたかと思いまして、大変参考になったわけでございます。

 以上で三人のパネリストの方々の発表を伺ったわけでございます。お疲れのことかと思います。先生方もお疲れのことかと思います。本当にどうもありがとうございました。


―休憩・意見発表―

《意見発表者(遠島満宗・粟谷良道・別府崟芳師)の発表(省略)》

○フロアからの発言者

   私は在家の俗物でして、今日ここに出席することが間違っておったん かと思っているのですが、と申しますのは私は宮崎の田舎の出身で、そこのお寺の檀家でございます。お墓は名古屋の方に20年前ぐらいに持ってまいりましたけれども、その間、葬式にもあれこれタッチしております。

 いつも思いますことは、今日、先生方の、特に遠島先生でございますか、それから粟谷良道先生のお話を聞きましても、死んだ者にばっかりお経を唱えるのがお坊さんの役目だろうかということを、若いうちから疑問に思っております。遺族の方が一番打ちひしがれておるわけでございますので、葬式の日は儀式がありますから、遺族の心をなぐさめる、助ける、これが仏教ではないのか、お釈迦さんの教えではなかろうかということを私なりに、俗物なりに考えております。そうすると、ここにも書いてございますが、その機会というのを、やはり葬式の当日はなかなか儀式が多うございますから大変ですが、お通夜の場合、あるいは法事の時には、お説教をしていただけないものでしょうか。道元禅師の教えなのなかで、これとこれだけは一般の在家の信者にも伝えるべきだというものがあるはずですから、なるほどというお話を5分間でもいいから信者にしていただきたいと、葬式のたびに、法事のたびに考えてまいりました。これは希望でございます。どうぞひとつ我々は何か求めておりますので、よろしくお願いいたします。ご無礼しました。

○奈良

 ありがとうございました。まことにごもっともな質問でございまして、今のご質問に関しまして、私の立場から一つだけご報告申し上げますと、お通夜、葬儀の際にはお説教すべきである、伝えるものはたくさんあるんだからという提案は、第一回のシンポジウムの時も、第二回のシンポジウムの時も出ましたんです。今日では、皆さんがお焼香をしておりますので、その時になかなかできない。しかし、その流れを断ち切ってもいいから、お焼香を一時やめてでもいいから、しかるべき時にお坊さんが遺族の方に慰めの言葉と同時に法を説くべきであろうという提言は、実は前二回の時にも出ております。本日もでました。

  先ほど申し上げましたとおり、本日のシンポジウムは、何らかの形での結論を求めるものではございませんし、またできるものでもございません。曹洞宗総合研究センターとして、いろいろ本気になって考えて勉強していこうという時でございますので、そうしたことは考慮すべき一つのテーマとして、私どもも勉強させていただいているところでありまして、今のご希望も重要な提案として受け取らせていただきます。

  今回、先生方のお話を伺っておりまして、実は前二回のシンポジウムとはまた違った形での大きなポイントが出されてきたのかなというふうに感じております。それは一言で申すならば、例えば葬儀というものを教義的にどう位置づけるとか、あるいは遺族の心が痛んでいますからその心を慰める、今の言葉でいうヒーリング、癒し、をどういうふうにするとか、そうしたような問題は今日はほとんど出てまいりませんでした。むしろ葬式儀礼の原点に返るべきではないのかといったご意見が圧倒的に多かったように思うんですね。

  現在、私どもがやっております儀礼や方法には、いろいろ改善していくこともたくさんあるかと思いますが、しかし、長年月の間にそれなりに洗練されてきた儀礼、つまり、形です。そして、単に形になずんでしまって、心も何も入らないでやっていくという点に、現代の葬儀というものの不毛性があるのではないでしょうか。もう少し心を込めて、本来の意味を考えながら儀礼を行っていく。そうしたことのご提案が多くありましたし、またそのためにこそ、例えば十六条戒の意味を考えろとか、生死の問題を考えろとか、あるいは無常なる世界を死者とともに生きている人間が、ともに無常を観ながらともに歩こうと呼びかけようとか、さまざまな問題が出てきていたかと思います。

 もう一つ、それと関連するんですけれども、単に死んだ人だけではなくて、末期医療と申しますか、死に面している方々のところに行って何か励ましの言葉ができないのか、そうしたことがそのまま葬儀の方に引き続いていけないものなのか、そうしたご提案もあったかと思います。

 それから、いろいろな形での習俗というものを見直す面がありはしないかといったこともございました。

 また、非常に基本的な問題ということになりますと、何か禅というと教理、教学、宗学、坐禅など高踏的な事柄に取みが置かれ過ぎている。もっと、社会の現場というか、文化というか、そうしたものとの関わりを教学の方でももっと重視してくれないと困る。

 まとめれば、そうしたようなご意見が多かったと思います。

 こうしたことはテープもとってございますし、後で記録が出ます。私どもとしてはいろいろなご意見をありがたくいただきながら、今後の研究に資したいと考えております。

 本日はあっという間に時間が過ぎてしまいましたけれども、あらためまして、三人のパネリストの方、森本先生、青木先生、佐藤先生、に心からお礼を申し上げたいと思います。皆さまとともに拍手をもって、どうぞ先生方にお礼を申し上げていただきたいと思います。(拍手)

 同時に、別府老師、粟谷老師、遠島老師にも、現場からのいろいろな貴重なご意見をちょうだいいたしました。心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)

 以上をもちましてシンポジウムを終わらせていただきたいと思います。コーディネーターとして、不手際な点が多かったことと思いますが、お詫びを申しあげながら、本日のシンポジウムを閉じさせていただきたいと思います。ご協力どうもありがとうございました。(拍手)

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○司会

 ありがとうございました。

 本日の会を締めくくりまして、佐藤良彦曹洞宗教学部長よりお言葉をちょうだいいたします。


○佐藤曹洞宗教学部長

 長時間ありがとうございました。ご挨拶を申し上げます。

 本日、曹洞宗総合研究センターオープンフォーラム第三回を開催させていただいた次第であります。皆さまには、公私ともにお忙しい中、お差し繰り多数のご参会をいただきました。おかげをもちまして盛会裏に有意義に円成させていただ

いた次第でございます。主催者といたしまして、改めて厚くお礼を申し上げます。

 今回は「禅と葬祭」をテーマに各先生方のご意見を伺いながら、この問題を研鑽していただきました。講師をお務めいただきました森本、青木、佐藤の三名の諸先生方に、そしてまた三名の意見発表をしていただいたご老師方に、また、コーディネーターをお務めいただいた奈良先生、そして会場をご提供いただきました本学院の関係の方々に、地元宗務所の皆さまにも、あわせて厚く厚くお礼を申し上げる次第であります。

 禅を学問的に深めるならば、これほど難解な研究対象はありません。しかし、この禅を私どもの生活の中で体験し、信仰として捉えていただくならば、そう難しくはないことと思っております。最も人間らしい生き方を教えてくれるのが禅であろうかと考えております。大切なことは、禅の心を日常生活に生かしていただくことにあると思っております。また、葬祭のあり方につきましても、いろいろと勉強させていただきました。時代とともに変遷を重ねまして、今日に至っておりますが、時代に即した形でも、ご遺族の立場に立って死者に真心を尽くすことにあると私なりに理解いたしております。

 宗門も、いよいよ新しい世紀に向けて、時代に即した開かれた教団として力強く進んでまいりたいと念じております。今後ともよろしくご指導賜りますようお

願い申し上げまして、簡単でございますが、閉会のご挨拶とさせていただきます。

 今日はどうも長時間ありがとうございました。(拍手)

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○司会 大変長い時間にわたりまして、ご清聴いただきまして、まことにありがとうございました。

 これをもちまして閉会とさせていただきます。

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講師紹介(敬称略・五十音順)

青木保(あおきたもつ) 政策研究大学院大学教授 比較文化論・文化政策論

略歴

1938年、東京都生まれ。
東京大学大学院修了。
大阪大学で博士号取得(人間科学)。
大阪大学教授・東京大学教授を経て1999年4月から現職。

主な著書

『アジア・ジレンマ』(中央公論社)、『「日本文化論」の変容−戦後日本の文化とアイデンティティー』(中央公論社)、『逆光のオリエンタリズム』(岩波書店)、『異文化理解への12章』(NHK出版)

佐藤悦成(さとうえつじょう) 愛知学院大学文学部宗教学科教授 禅学

略歴

1950年、愛知県生まれ。
駒澤大学仏教学部卒業、 同大学大学院修了。

主な著書

主編・共著『禅へのいざない』全4巻(大東出版社)、『総持二祖峨山禅師』(大本山総持寺出版部)、『葬儀の知識』(タイキ)、和訳『敦燈新本六祖壇経』(曹洞宗青年会)

森本和夫(もりもとかずお) 駿河台大学教授・東京大学名誉教授 哲学

略歴

1927年、奈良県生まれ。
東京大学卒業(文學部佛蘭西文撃科)。
朝日新聞社入社。
東京大学助手。
東京大学教授を経て、1988年から駿河台大学教授。

主な著書

『沈黙のエロス』(現代思潮社)、『道元とサルトル』(講談社・現代新書)、『正法眼蔵−花開いて世界起る』(大蔵出版)、『道元を読む』(春秋社)、『海と空と光と一正法眼蔵購読I』(春秋社)、『鏡と時と夢と−正法眼蔵購読U』(春秋社)、『禅のすすめ』(潮文社)、『正法眼蔵入門』(朝日新聞社・朝日選書)、『正法眼蔵を読む』(春秋社)、『デリダから道元へ』(筑摩書房)