梅花流詠讃歌「高嶺」の歌碑除幕式が行われました



この歌詞は、江戸中期の禅僧、但馬(たじま)諸寄(もろよせ)(現在の兵庫県美方郡新温泉町)の曹洞宗龍満寺(りゅうまんじ)12世、玄楼 奥龍(げんろう おうりゅう)撰述の『道用桑偈(どうようそうげ)』に所収さている「常在霊鷲山(じょうざいりょうじゅせん)」と題される道歌がもとになっています。

このたび建立された歌碑

「鷲の高嶺」とは、お釈迦さまが説法をされた霊鷲山のことです。玄楼奥龍がこの道歌を詠んだとされる、ここ出石「入佐(いるさ)の山」に限らず、お釈迦さまはあらゆる場所で、今もなお「説法」を続けられている。そんな意味がこの歌詞には込められています。

永く梅花流詠讃歌として詠い継がれているこの曲の歌碑が、梅花流師範有志の発意により、梅花流創立60周年記念事業の一環として、入佐山のある兵庫県豊岡市出石町の臨済宗大徳寺派、宗鏡寺(すきょうじ)に建立され、2013年4月19日、その除幕式が行われました。

冬に逆戻りしたかのような前日からの寒さにもかかわらず、

梅花講員による除幕

会場には梅花流専門委員、全国から梅花流特派師範、地元の梅花講員、関係者などおよそ80人が訪れ、導師に齋藤裕道伝道部長、さらに宗鏡寺住職 小原游堂老師、兵庫県第2宗務所所長 岡本肇也老師、NPO法人但馬國出石観光協会理事長 中易培根様らが参列され、厳粛の中、除幕式が修行されました。

午前10時、導師が石碑の前に就き、地元梅花講員によって幕が落されると、万雷の拍手が送られました。
その後、齋藤伝道部長が碑文を奉読、梅花流専門委員による散華道場、般若心経読経、そしてそれぞれの思いを込め、全員で「高嶺」を奉詠しました。

ご挨拶では次のようなお言葉をいただきました。

導師を勤めた齋藤伝道部長



齋藤伝道部長「梅花の仲間とともにゆかりの地でお唱えできる喜びを感じている。今後、より多くの方がたに足をお運びいただき、梅花流とこの地の発展に繋がることを祈念します」。

小原住職様「宗鏡寺中興開山である沢庵和尚も入佐山の歌をいくつも詠まれている。この入佐山が曹洞宗の寺院と梅花流講員の皆さまとのご縁の架け橋となってくれたならありがたい」。

岡本宗務所長「梅花流の歴史の1ページに残る。地元にとっても、梅花流を学ぶものにとっても、より一層の励みとなり、心の支えとなる記念の事業である」 。

宗鏡寺住職へ感謝状が送られた


出石観光協会 中易様「今回建立された歌碑が歴史的遺物とともに、出石町の観光スポットのひとつとして訪れた皆さまに喜んでいただければ幸いです」 。

その後、伝道部長より曹洞宗宗務総長の感謝状が、宗鏡寺住職小原老師、歌碑の建設にご尽力いただいた、かどおか石材工業様に贈られ、感謝の意が伝えられました。

式典後、梅花流特派師範による「慶祝御和讃」が奉詠されるなか、参加された講員の皆さまが焼香されました。

特派師範のお唱えのなか焼香する梅花講員


玄楼奥龍和尚は1720年に伊勢国で生まれ、9歳のときに臨済宗海徳寺の祖屋長老について出家し、その後、上総、越中、出雲など全国で修行し、1767年に龍満寺の12世となります。この歌「常在霊鷲山」はそのころに詠まれた歌だと言われています。和尚は1793年に龍満寺を出て、後に京都宇治の興聖寺の22世住職にもなっています。

また、この宗鏡寺は別名「沢庵寺」と呼ばれるよう、沢庵和尚ゆかりの寺であます。沢庵和尚といえば、出石に生まれ、漬物のたくあん漬を広めたことで有名ですが、柳生宗矩、宮本武蔵の剣は沢庵禅法に依るものだとも言われています。
(宗鏡寺ホームページ)http://sukyoji.com/
(出石観光協会ホームページ)http://www.izushi.co.jp/

梅花流創立60年の記念事業として数々のご縁をいただき、また、宗鏡寺様をはじめたくさんの方のご厚意のもと、この地に梅花流詠讃歌「高嶺」の歌碑が建立されました。

今後は、全国の梅花講員さまにこの場所に赴いていただき、玄楼奥龍和尚の時代に思いを馳せながら「高嶺」をお唱えし、さらに梅花に親しんでいただけることを望みます。