彼岸会(ひがんえ)


 

今年の秋の彼岸会は、9月20日(月)から9月26日(日)までの7日間になり、お中日は23日(木)の秋分の日に当たります。彼岸会という行事は、特に日本にて盛んに修行されるもので、古い記録では『日本後紀』巻13の「大同元年(806)3月辛巳の条」に、「諸国の国分寺の僧をして春秋二仲月別七日に、『金剛般若経』を読ましむ」と出ています。心ならずも死することとなった崇道天皇(早良親王)の無念を鎮めるためであったということです。それが、徐々に世間に広まり、お寺参りやお墓参りを行うようになります。

「彼岸」という言葉ですが、「彼方の岸」の略ですから、つまり煩悩の激流である海の「此岸(しがん)」から、修行によって海を渡りきり、輪廻を超えた涅槃の境地に入ることを意味します。特に菩薩の修行には「六波羅蜜(ろくはらみつ)」と呼ばれる修行の種類がありますが、この「波羅蜜」というのは[パーラミター]の音写で、意味は「修行の完成」になり、それを表す意味の語が「彼岸到(到彼岸)」とされます。したがって、「波羅蜜」=「彼岸到」とは、「修行の結果、行くことの出来る理想的な場所」です。その修行の完成を期する期間が、彼岸会の一週間になります。「波羅蜜」は、具体的には「六波羅蜜」とされ、以下の内容に分かれます。

 

布施 ふせ
(檀波羅蜜、衣食住という財物を与える財施と、法を教え安心を与える法施と、他人の恐怖を除く無畏施とがある)与える喜びを知ります。持戒 じかい
 (尸羅波羅蜜、身口意の三業に関わる戒律を護持すること)してはいけないと思うことはしません。忍辱 にんにく
(羼提波羅蜜、他からの迫害や苦難に耐え、恨みを抱かないこと)感情に流されず、辛抱強くものごとにあたります。

精進 しょうじん
(毘梨耶波羅蜜、六波羅蜜を修めることを努力すること)するべきことに少しずつでも励みます。

禅定 ぜんじょう
(禅那波羅蜜、坐禅を修行し、心を集中させること)心穏やかにすごします。

智慧 ちえ 
(般若波羅蜜とも訳すが、智慧を得ること)ものごとの道理を、正しく、深く理解します。

 

それぞれに難しい修行になりますので、容易に完成することはかないませんけれども、お寺へのお参りの中で、少しでも心を安らかにし、この実践を目指していただきたいものです。

 

なお、大本山永平寺をお開きになりました高祖道元禅師は「波羅蜜」や「彼岸到」について以下のように示されます。
波羅蜜といふは、彼岸到なり。彼岸は去来の相貌蹤跡にあらざれとも、到は現成するなり、到は公案なり、修行の彼岸へいたるべしとおもふことなかれ。彼岸に修行あるがゆえに、修行すれば彼岸到なり。この修行、かならず遍界現成の力量を具足せるがゆえに。

     『正法眼蔵』「仏教」巻

 

この一節からは、道元禅師が修行しているまさにその場所が彼岸であるため、修行して別の場所にある彼岸に渡ると理解してはならないと仰っていることが分かります。したがって、我々が春3月と秋9月に行う「彼岸会」には、お墓にお参りをし、お花や線香を供え、真心の合掌を捧げる修行が必要ですが、これはつまり、一度行ったから、後はほったらかしにするのではなく、何度でも何度でも繰り返し行うことが肝心なのです。先に挙げたように日本の彼岸会の習慣は聖徳太子の時代からありましたが、現代的な祖先崇拝と近かったともされています。そのような伝統に則って、お墓参りを忘れずに行っていただきたいと思います。暑さ寒さも彼岸までとは申しますが、ちょうど気温も朝晩はかなり涼しくなってきました。気持ちの良い朝には、菩提寺のご住職の顔を見に来てみてはいかがでしょうか。その日一日が、何やら良い気持ちで過ごせるかもしれません。

 

お寺というのは、もちろん死者を追善供養する役割も重要ですけれども、ご自分やご家族に何かあったときはご住職に相談されるのもよろしいと思います。死んでから葬儀の場という最後だけ会うなんて寂しすぎます。お彼岸の機会にお参りに行った際、合わせて一言ご挨拶されるのも良いことだと思います。