タイトル

2000 (平成12 )年1月22日 香 里 梅花新聞 第22号

梅 花 新 聞 第22号
題  字 : 管長 宮崎奕保 禅師
発 行 者 : 大 竹 明 彦
発 行 所 : 曹洞宗宗務庁
企画編集 : 伝道部詠道課

 


〜 お誓い 〜

  • 私達は梅花流詠讃歌を通して、正しい信仰にに生きます。
  • 私達は梅花流詠讃歌を通して、仲よい生活をいたします。
  • 私達は梅花流詠讃歌を通して、明るい世の中をつくります。

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高祖さまの仏法
曹 洞 宗 管 長 宮 崎 奕 保
大本山永平寺貫首
宮崎禅師

 老衲(ろうのう)も本年数え100歳を迎えました。20世紀最後の年が、高祖道元禅師さまの満800歳ご誕生の年に当たり、その2年後の2002(平成14)年には750回大遠忌(だいおんき)をお迎えするという難値難遇(なんちなんぐう)の勝縁(しょうえん)に恵まれております。

 高祖さまのお伝え下さった仏法(ぶっぽう)は、いわゆる仏教ではなく仏道(ぶつどう)であります。仏教という「おしえ」ではなく、仏道という実践を伴った仏作仏行(ぶっさぶつぎょう)を伝えられました。我が宗の宗旨(しゅうし)は修証一如(しゅしょういちにょ)であります。「証(し ょう)」とは何ぞや。「朝々(ちょうちょう)日は東(ひんがし)より出て、夜々(やや)月は西に沈む」という天地自然の道理の姿を「証」と名付けます。 仏(ほとけ)には10通りの代え名があります。如来(にょらい)といい、真如(しんにょ)といい、証といい、悟りといい、別々の名がついておりますが一つのことです。違うことのない道理の姿を一般的には「真理」と申しますが、仏法では「真如」といいます。仏さまのことを「如来」と申しますが、「真」からたということで如来さまと言うのです。生仏一如(しょうぶついちにょ)ですから我々一人一人もまた、如から生まれ出た真理の一分子なのです。

 諸悪莫作衆善奉行(しょあくまくさしゅぜんぶぎょう)と申しますが、良いことをせよ、悪いことはするなというくらいのことは、3歳の童子でも知っていることですが、80の老翁も行い難しといって、なかなかできることではありません。良いことと悪いことの境目が分かりますか。何が良いことで何が悪いことなのか。それは真理にたがわない大自然の法則にさからわない生き方をすることが即ち良いことなのです。そしてこの大自然の営みと一つになること、これが坐禅です。

 最初に申しました高祖さまの安心(あんじん)は只管打坐(しかんたざ)、つまり大自然と一つになった姿です。坐禅は手段ではありません。只管打坐がそのまま真如の実相(じっそう)です。でも人間は生きて行くために一日中黙って坐っておるわけにもいきません。「一時凡夫(いちじぼんふ)を縁(えん)ずる」と高祖さまもお示しですが、児孫(じそん)であるという自覚に立てば少しでも坐に親しむことを忘れては

なりません。曉天(きょうてん)icchu(いっちゅう)から一日の生活 を始めれば、すべて如から来た日暮らしができるのです。明日とは言わず今日から、たとえ朝五分だけでも早起きして、お仏壇にまっすぐにお線香をたてて、自分の鼻すじとお線香と、そして仏さまの鼻すじがまっすぐになるように坐って下さい。

『同道唱和』

 「ご先祖さま、よくぞ私を生んで下さいました。ありがとうございます」これだけで結構ですから、感謝の坐禅を五分間でよろしい、実践して下さい。その後でご飯を炊けば「ご飯炊き如来」、お掃除をすれば「掃除如来」です。梅花流詠讃歌の奉詠も同じ「ご詠歌如来」「奉詠如来」です。詠える人と詠讃歌が別々でなく、詠える人と詠讃歌が一つになった尊い如来さまです。物を二つに見るのは二見対峙(にけんたいじ)といって迷いの姿です。詠讃歌の奉詠もまた、立派な如来行(にょらいぎょう)です。心をあわせ、声をあわせた尊い仏行(ぶつぎょう)であります。一層ご精進して下さい。

 すべて朝icchu(いっちゅう)の坐禅から出た如来行であれば、良いことはせねばおれない、悪いことはできない仏祖の児孫です。悪いことをしても警察に捕まらなければ、見つからなければ罪にはならないのではなく、悪心が起こった途端、すでに罪なのです。

 どうぞ、たとえ一時なりとも朝の坐禅を励行(れいこう)して下さい。

【註】

icchu(いっちゅう……一本、一片のお香を焚くこと。 転じて一本のお線香が燃え尽きるまでの時間ということから、坐禅の時間の単位として使われることもある。


幅広く愛される梅花講に
宗 務 総 長 大 竹 明 彦

 2000(平成12)年、20世紀の最後の年を迎えました。今年は道元禅師がお生まれになってちょうど800年になります。1月26日が降誕会ですが、今年は1年間にわたって全国の寺院や団体などで多彩な慶讃(祝賀)行事が行われることでしょう。

 梅花講もまもなく誕生から半世紀を数えることになります。講の数も6350余、講員さんも178000人というマンモス組織となりました。この梅花講員のみなさまが、日々詠讃歌をおとなえし信仰を深めておられることを思うと、限りない力強さを感じます。

 来年からはじまる21世紀の特徴のひとつは、高齢化社会の到来ということです。政府もその対策に余念がありません。今年の4月に発足する高齢者の介護保険制度も一例です。こうした政策も大切ですが、いくら優れた制度を定めたとしても、それに心がこもらなくては無意味なものとなります。

 この保険制度が検討されたとき、「子供が親の面倒をみるのがあたりまえだから保険制度はいらない」とか「金銭目当ての介護が増えないか」などといった議論が報道されました。 「親孝行」は他人があれこれ言うべきものではありませんが、親と子の強い絆があれば、自然となされるものでしょう。この絆のもととなるより糸は慈愛の心です。観音さまのような慈悲の念です。この思いがあってはじめて介護も温かいものとなります。「親孝行」の原点もここにあります。

 観音経には「慈眼視衆生(じげんじしゅうじょう)」と示されています。観音菩薩は、親が赤子を見つめるようにほのぼのとした温もりをもって私どもをみつめ、片時も目をはなさず守ってくださいます。介護を含んだボランティア活動の精神は、「慈眼視衆生」を原点としています。

 お経は続いて「福聚海無量(ふくじゅかいむりょう)」と示されています。慈悲の思いと慈悲の行動を人にも物にも自然界にも行ってこそ、私たちの世界に幸せがやってくるという意味です。私たちはこのことを深く学ばなければなりません。

 梅花流詠讃歌はすでに70余の曲が作られています。それぞれの歌詞はみな味わい深いものがあります。詠唱を学ぶときに歌詞の意味をよく理解して、信仰を深めるように精進していただきたいものです。

  今年から2002(平成14)年までの3年間は、曹洞宗にとっては、大変重要な年になります。ご生誕800年に続いて、来年は道元禅師750回大遠忌の予修法要が全国で行われます。さらに2002(平成14)年は大遠忌の正当の年です。

  梅花講員のみなさまは、つねにも増してご精進くださるようお願いいたします。新世紀には、若い人からお年寄りまで幅広く愛される梅花講に発展するように祈ってやみません。宗門あげて努力しなければと思います。


歓迎のことば

ようこそ「越山若水」の地・福井へ

福井県知事 栗 田 幸 雄

 本年5月17日・18日の両日、武生市の「サンドーム福井」にて開催されます平成12年度梅花流全国奉詠大会に参加されます14000余名の梅花講員の皆様を心から歓迎申し上げます。

  福井県は、古くから「越山若水(えつざんじゃくすい)」と呼ばれるように、越前の緑豊かな山々と若狭(わかさ)の清らかな海に囲まれ、その四季折々の変化に富んだ美しい自然は、日本の典型的な風情を漂わせております。

  また、本県には、多くの歴史的文化遺産を基盤にした多彩な伝統工芸と繊維、眼鏡、機械といった近代産業が調和して活況を呈しております。

雪の永平寺 東尋坊(世界三大奇勝)

 私たちは、このようなすばらしいふるさと福井を心から愛し、誇りに思っており、目前に迫った21世紀に向け、豊かなふるさと福井を築くため、力を合わせ、たゆまぬ努力を続けております。

 全国各地からお越しいただく梅花講員の皆様には、本大会を機会に本県の自然や産業、文化に触れていただき、住んで良し、訪れて良しの福井県を満喫していただければ幸いでございます。


 

 

雪の中にさく梅  春 日 佑 芳


道元禅
ご生誕800年海外向けポスター

みなさまは、「梅花流」という名前の由来をご存じですか?

 これは、若くして宋(そう)の国(中国)に渡った道元禅師の、お師匠さんであった如浄(にょじょう)禅師の言葉がもとになっています。この方が仏道の根本を詠(うた)った詩の中に、「雪裏(せつり)の梅花」(雪の中にさく梅)という言葉が出てくるのですが、その一句にちなんだものです。

  道元禅師は、この「雪裏の梅花」という言葉が、とても好きでした。 その著作『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』には、「梅花」と題する巻があり、また語録『永平広録(えいへいこうろく)』にも、この言葉がなんども出てきます。

 では道元禅師は、なぜこの言葉が好きだったのでしょうか? それは、その中に仏法(ぶっぽう)の道理(どうり)が見事(みごと)に語り尽くされているからです。

  この言葉は、「春は、人がそれと気づく以前に、雪をかぶってひっそりと咲いている梅の花の中に、もうすでに来ている。その蕾(つぼみ)の中から美しい顔をのぞかせている」ということを語るものでした。ここで道元禅師が教えているのは、「春が、雪の中の梅花にいつのまにか来ているように、仏が見た証(しょう)(さとり)の世界、つまり仏の心というものは、自分がそれと気づくより早く、すでに菩薩道(ぼさつどう)の中にこもっている」ということです。

 またこのことが、「証の世界、仏の心は、修(しゅう)(菩薩として生きること)の中にあるので、修と証とは全く同じものだ」とも説かれています。これが道元禅師の修証一等(しゅしょういっとう)の教えです。この修証一等の道理とは、けっしてむずかしい理論ではありません。この点について思うことを、次に述べることにします。

  先日、不思議なご縁で、神奈川県内のあるご住職が発行している「寺院だより」を拝見しました。その中に檀家さんの、あるおじいちゃんの話がありました。このYさんは、亡くなったおばあちゃんの看病を3年間したのだそうです。

  そのとき、長いあいだ入院していたおばあちゃんは、病院の食事に飽きてしまいました。そこでYさんは毎日、おばあちゃんの好きな食事をつくり、こっそりと病院に運び、帰りには病院の食事をもって帰り、それを家で食べたというのです。

看病 この話を読んで、私も感動いたしました。昭和ひとけた生まれの私の料理の腕前は、残念ながら、ただ煮炊きができるといった程度なので、よけいにうなってしまいました。直接お聞きした話ではないので、くわしいことはわかりませんが、おそらくYさんは、よいご家族に恵まれて、その協力によってこのような世話もできたのではないでしょうか?それにしても、これはなかなかできないことです。道元禅師のいう菩薩道に生きるとは、たとえば、このような生き方をいうのでしょう。

 私は、Yさんにとっては、このときやるだけのことはやったという、深い意味での心の安らぎがあったと思います。それが仏の見ていた証の世界であり、仏の心なのです。このことを道元禅師は、修証一等といい、また「雪裏の梅花」という言葉をもって語ったのです。

 このような話は、私にとっては人ごとではありません。というのも、私も昨年で70歳になり、妻とともに老後の生き方を考えなければならないからです。そこでこのごろは介護や看護の問題が、だんだん切実なものになってきました。このことを考えるとき胸に置くのは、道元禅師の「菩薩道に生きよ」という教えです。そしてそれが私にとって、どういうことかと考えるのです。人間の力は限られていますから、無理なことをやろうとしても長続きはしないでしょう。ですから私は、そのときの状況に応じて、できるだけのことをやって、そのほかのことは仏様におまかせするほかはない、と思っております。みなさまはどう考えておられますか?

【著者紹介】

春日佑芳・かすがゆうほう
1929(昭和4)年、福島県国見町安養寺に生まれる。
東京大学文学部倫理学科卒業。防衛大学校名誉教授。
主著に『道元とヴィトゲンシュタイン』『道元・正法眼蔵の言語ゲーム』『新釈正法眼蔵』『新釈永平広録』などがあり、新著『正法眼蔵を読む〈全六巻〉』が刊行中(以上、ぺりかん社)。

  以上、「梅花」という言葉の由来について述べさせていただきました。みなさまもどうぞ梅花流の詠唱をとおして、道元禅師の教えを胸に刻み、「雪の中にさく梅の花」のように、この世の菩薩として、美しく生きていってください。そして周囲の人びとと喜びを分かちあって、明るい世の中をつくっていってください。


座談会 − 伝道部長さんと話そう
梅花の輪を広げましょう

 

1999年11月24日から26日までの3日間、大本山總持寺において檀信徒講習会が開催されました。その折、黒柳祖道伝道部長を囲んで、講師の原田道俊師範にもご出席いただき、全国各地からご参加の八名の講員さんたちと座談会を持ちました。紙幅の関係で、その一部を掲載いたします。

黒柳祖道伝道部長

皆さん全国各地からご参加いただき本当にありがとうございます。自己紹介をかねてお一人ずつ何でも結構ですのでお話し下さい。それでは右回りでまいりましょうか。

ご本山
「ご本山はありがたいです」

横島義男さん(岩手県三光寺講)

全国からご参加の皆さんにお会いできるのが楽しみで今年も参加しました。今年で18回目です。町の議員を10期つとめましたが、町議会選挙中で父親の死に目に会えなかったことがあり、さらに亡くなった戦友たちの供養のために梅花を始めました。私は短気で人の話を聞かない人間だったのですが、妻と言い合いをしたときでも、報恩供養御和讃の一節をお唱えすると、自分がいたらなかったなと反省させられますし、人の話も聞けるようになりました。

黒柳部長

お唱えによって心にゆとりが持てるということでしょうかね。

宇佐川章子(山口県法明院講)

うちの方丈さんはとても梅花に熱心で、わずかずつですが若い講員さんもお入りになっています。うちのお寺では尺八もやっていまして、御詠歌を尺八で演奏するのはなかなか難しいのですが、お友だちなどが亡くなったときに、追弔御和讃を尺八で吹き、ご遺族の方などに感謝されています。

黒柳部長

押しつけでなく、素晴らしい梅花の曲を多くの方にお聴かせする。とてもよいことですね。

牟田静江さん(長崎県西蓮寺講)

御詠歌をやっていたお陰でご本山参りができました。初めてで地理が不案内でしたが、栃木にいる娘が知らせてくれたメモとその場その場で出会った方のご親切で總持寺さままで迷わず来ることができました。病気で入院していたときも、必ず元気になって、またお友だちと一緒に御詠歌をお唱えしようと思い、家族に教典を持って来てもらって枕もとに置いておきました。お陰さまでご本山にお参りができました。

裕次郎
裕次郎さんのお墓参り

黒柳部長

きっと、ご本山のお導きがあったんでしょうね。

工藤豊美さん(北海道禅徳寺講)

稚内(わっかない)からまいりました。ご本山参りは2度目ですが、ぜひもう1度お参りしたいと思っていましたところ、今回、念願かなって先輩に連れてきてもらいました。7年ほど前に夫を交通事故で亡くしまして、落ち込んでいたところを、お友だちに誘われて入講しました。御詠歌をやることによって悲しみを乗り越えることができたように思います。

黒柳部長

稚内からですか、遠いところご苦労さまです。梅花で悲しみを乗り越えられたということですが、お唱えにはありがたい働きがあるんですね。

石川ひさ子さん(京都府西福寺講)

13、4年前にお姑さんが交代してくれまして、それからは私の方が梅花をするようになりました。方丈さんのご指導は「そこは拍が違う」「半音違う」とか、たいへん厳しいのですが、梅花だけでなく時々童謡なども教えて下さいますし、お彼岸のときなどは「宗歌」とか「修証義の歌」なども歌って、皆で楽しんでおります。

黒柳部長

より多くの方たちに梅花の楽しさを知っていただくためには、本筋のところは外さずに、おおらかにやっていただいてよろしいのではないでしょうか。

佐藤サワ江さん(神奈川県広沢寺講)

はじめはお寺に行くのが怖いような気持ちがありました。でも、今ではお寺さんとお近づきになり、練習帰りの暗い夜道でも、お友だちと大きな声で習った曲をお唱えしながら帰って来ています。大先生と若先生がご指導下さっていますが、方丈さまも去年まで宗務所の梅花主事をおつとめでした。お寺をあげてご熱心に梅花をやっていただいています。

黒柳部長

そうですか、それはありがたいことですね。お隣りの方、どうぞ。

受講
イスで受講できました

薮崎きよ子さん(静岡県梅林院講)

10年ぐらい前に先輩から誘われ、お姑さんに相談したところ「ぜひおやりなさい」ということで梅花を始めました。月2回ご指導いただいています。梅花講に入ってお友だちも増えました。心の落ち着きをもてたように思いますし、なによりも仏さまが身近になった気がいたします。毎日、手を合わせないと気持ちが悪いですし、嫁も、何も言わなかったのですが、自然と仏さまにご飯やお茶をあげるようになりました。

黒柳部長

後ろ姿を見て、自然とそうするようになる、熏習(くんじゅう)というのでしょうか。自然とよい家風が受け継がれるのでしょうね。

小柳(れいこ)さん(新潟県瑞泉寺講)

 私はお寺で生まれたのですが、まだ、お勤めしていたときに母がなくなりまして、そのとき近くのお寺の寺族の方たちが来て下さって、御詠歌をお唱えして下さったのです。これが強烈な印象でして、退職したらぜひやってみたいと思っておりました。梅花をはじめて14年ぐらいになります。実家のお寺にもいっぱい思い出がありますが、今は御詠歌がふるさのような存在になっています。

黒柳部長

これで発言が一巡しましたけれども、ご本山での講習会について感想をお聞かせ下さい。2泊3日、座りづめですから、さぞかし足も痛いでしょうね。

佐藤さん

それは痛いのですけれど、苦になりません。言葉ではうまく言い表せないのですが、ご本山はただただありがたいです。

工藤さん

梅花をやっていたお陰で、こうしてご本山に来ることができました。とってもありがたいです。

掃除
朝のお掃除

黒柳部長

地元の講習会とは違いますか。

全 員

それはありがたいですし、勉強にもなります。

横島さん

「渓声」をお唱えして、ご本山のお話をしますが、ご本山参りをした人と、まだしてない人では受け止めが違うようです。梅花を通して信仰を深めていくのが、わたしたちのつとめであり、自分だけでなく周囲の方たちも信仰を深めていただければいいなと思っています。

黒柳部長

明るい社会を作りましょうという「お誓い」も、実際に具体的にやらないといけないし、周囲の方たちに及ぼしていかないといけないんですよね。皆さんも教えを求めてらっしゃる。

小柳さん

お陰さまで私たちは梅花を通して仏さまの教えを学ぶことができますが、世の中には教えを求めている人たちがたくさんいると思います。いろんな事件が起こっていますが、これは心の救いを求めている姿だなと思うんです。部長さん、もっと積極的に教えを広める工夫をお願いします。(笑い)

全体講習
全体講習

黒柳部長

そうですね、工夫したいですね。何かいいアイデアはないですかね。

牟田さん

梅花をやっていると、みんな忘れて打ち込めて、とっても楽しいのよとお勧めしています。

薮崎さん

四国88カ所とか板東の札所めぐりとか、楽しいのよ、と誘っています。

石川さん

全国大会に行けるのも梅花をやっているお陰ですし、毎年、楽しみです。

黒柳部長

私の地元の長野に「おんかはれて」という言葉があるんですが、大義名分がたつという意味です。「あなた、梅花大会よ」と言えば、説明しなくとも「ああ行っておいで」ですよね。

横島さん

かつて『禅の友』に歌詞解説が連載されていて、たいへん勉強になったのですが、終わってしまって残念です。梅花を広めるためにもよいことだったと思うんですが………。それから昔の曲は荘厳な感じがしましたが、最近の曲はどうも少し軽いような感じがしますが、どうでしょうか。

小柳さん

たとえ意味が分からなくとも小さな子どもがお仏壇の前で三宝御和讃をお唱えするというのもいいと思います。それから私は、新しい曲の「正行」に出会ったとき、これが私が探していたものだと思いました。私たちが地球環境に及ぼす力、どれほどのものか分かりませんが、人びとの間に梅花が浸透し、地球を救うことができたらいいなと思いました。

宇佐川さん

まだ若いからと言って梅花講に入らない人がいます。梅花に偏見があるようですね。

囲んで
黒柳祖道伝道部長と原田道俊師範を囲んで

黒柳部長

荘厳さに欠けるというお話もありましたが、多くの方に梅花を広めるために、いわゆる昔の御詠歌と梅花とは違うんだ、新しいセンスのメロディーだと言ってよいのではないでしょうか。さて、時間もなくなって来ましたので、この辺で原田先生におまとめをいただきましょうか。先生お願 いします。

原田道俊師範

皆さんのお話を伺っていて、たいへん考えさせられました。 そしてそれぞれが、素晴らしい梅花とのご縁を結ばれ、信仰をもとに日頃から精進されていることが分かりました。私が先輩からよく聞かされたことですが、梅花というものは法悦楽(ほうえつらく)でなければならないということです。楽しみながら教典に説いてある仏さまの教えを味わうよろこびというのでしょうか。これが一番大事です。ですから言霊(ことだま)を旋律(せんりつ)にのせて、ありがたいお唱えをするにはどうしたらよいか。それが究極(きゅうきょく)のところだと思っています。

手足がご不自由になってもお止めにならないで、どなたでもご一緒にお唱えができる梅花流でありたいし、楽しみながらお互いが接することができる世界、私たちの目標はやはり「お誓い」だろうと思っています。若い方たちにも梅花の輪を広げてまいりましょう。

私たちもがんばりますが、ぜひ、皆さまのお力をお貸し下さい。ありがとうございました。

黒柳部長

原田先生ありがとうございました。短いお時間でしたが、皆さまに直にお会いし、いろいろなご意見をお伺いすることができまして、たいへん嬉しく存じました。ありがとうございました。皆さまのますますのご精進をお祈りいたしまして、座談会を閉じさせていただきます。ありがとうございました。

サンドーム
平成12 年度梅花流奉詠大会会場。(サンドーム福井)

全 員

ありがとうございました。

(文責・伝道部詠道課)

 

 

詠道課からのお知らせ

曹洞宗のホームページ「曹洞禅ネット」で詠讃歌が聞けます。

http://www.sotozen-net.or.jp


編 集 後 記

 

 本年は道元禅師さま御生誕800年です。講員の皆さん、梅花流をとおして道元禅師さまの教えをより深く理解する好契機です。21世紀を目前にし、梅花流が人類を、世界を、そして地球を救う大きな力となるように一人一人が精進しましょう。

 大本山總持寺での座談会では、貴重なご意見をお伺いすることができました。詠道課一同、深く感謝しております。

 皆さまの梅花講で、新しい講員さんの募集方法や高齢化に備えての工夫、また梅花流についてのご意見、ご要望などありましたら詠道課までお寄せ下さい。

詠道課T記

 

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