曹洞宗のふるさと―天童山と道元禅師

 中国の禅がもっとも栄えていた宋代に、ちょうど道元禅師が天童(てんどう)山に行かれたわけですが、天童山の入口には寧波(にんぽう)があります。そこには甬(よう)江という川があります。ここを船で上がりまして、寧波の町へ行きまして、それから天童山を目指されて、ここで本当の禅を学んで日本に伝えられたわけですが、この甬江というのも大変な川です。上海から寧波まで現在、船が出ております。大変な大河です。東シナ海の波濤を蹴破って、暴風雨に遭いながら甬江に入ったときは、禅師さまもどんなにか安心されたことと思います。もう海ではありませんので、川ですから、静かです。そこを上がられて寧波の町を通ったわけです。

 そこには、ご存じのように、阿育王(あいくおう)寺というお寺が現在も寧波の郊外にありますが、そこの、61歳の典座(てんぞ)和尚さんが椎茸を買いに船に来られたというような逸話があります。

 炊事をするなんていうのはお若い道元禅師にとっては、雑用としか思われなかったわけです。ところが、偉い61歳の人が炊事係をやっているわけです。それで、どうもわからないのです。どうして、こんな立派な方が椎茸の買いつけに来るんだろう、と思ったら、その中国のお坊さんが、お前さんは外国の立派な人のようだが、まだ修行ということも、よくわかっていないのではないか、と言うのです。本当の修行というものが何であるかということが、よくわからないのではないかと、こう諭されたわけです。それを後になりまして道元禅師は述懐しておられます。

 現在、天童山には曹洞宗の方がみなお参りに行きますが、うっそうたる山林の中に伽藍があります。道元禅師が行かれたときとは、場所が少し違っておりますけれども、周りの 環境は同じです。ああいうところで修行なさいまして、それを日本に伝えてくださったのです。

 さて、真の修行とはどういうことかを、阿育王寺の61歳の老僧から学んだ道元禅師は、さらに慶元府出身の用(ゆう)和尚から、真の弁道とは何かを教わりました。

 用和尚は68歳で、典座で真夏の炎天下で苔を晒す仕事をしていました。手に竹の杖をつき、笠もかぶっていませんでした。地上に敷きつめた瓦も、夏の太陽に熱せられていました。用和尚は流れる汗をぬぐおうともせず、一生懸命にその仕事をしていました。その姿は、苦しそうに見えました。背骨は弓のようにまがり、眉毛は鶴のように真っ白でした。

 道元禅師はその老僧に年齢をたずねました。68歳ということでした。道元禅師は思わず「あなたはそんなお歳であるなら、誰かに手伝わせてはどうです」と言ったところ、老和尚は「他はこれ吾にあらず」と答えました。

 自分の弁道は、修行はどこまでも自分の修行であって、他人の修行とはかかわりがないのです。他人にその仕事をやらせれば、他人には修行になっても、自分の修行にはならないのです。道元禅師はこの言葉を聞いてはっと思いましたが、老僧があまりにもお年寄りであるために、「こんな暑い日中にやらないで、もう少し涼しくなってなさったらいかがですか」と言うと、用和尚はすかさず「更にいずれの時をか待たん」と答えたのです。

 明日は死ぬかも知れないのです。この今の弁道を明日にのばすことはできないのです。今日できなければ明日やればよい、ということは絶対に許されないのです。道元禅師はこの用和尚との出会いで、今まで自分が考えていた修行とはまつたくちがった、本当のただひとすじの道が見えてきたのでした。

 天童山で修行を続けていた道元禅師は、宋の国の叢林の生活のなかでさまざまなことを学びました。外国に行くと、その国の風俗や習慣にびっくりすることがあります。道元禅師の心を強くうったのは、宋の禅僧が、僧堂において袈裟を着用する時に、袈裟を頭上に頂いて偈文を誦えてから着用する風習てした。この尊い風習は日本の僧院にはありません。いまだかつて見たこともない、この宋の僧院の風習をごらんになった禅師は、「歓喜(かんき)身にあまり、感涙(かんるい)ひそかにおちて衣襟(えきん)をひたす」(『正法眼蔵』袈裟功徳巻)と、後にその感激を語られたのでした。

 袈裟を頂く風習は、たんなる儀礼だとして軽んじてはなりません。この儀礼こそ正伝の仏法の威儀の一つなのです。この形式のなかに無限に深い哲学がこめられているのです。形式や儀式を軽んじる現代の人びとには分からないかも知れませんが、一ひとつの儀礼を正しく行うことにこそ、人間の精神が凝集してあらわれていることを知らなければなりません。威儀(いいぎ)こそほんとうの宗教なのです。

 その修行中の、宝慶2年(1226)の夏安居の時、如浄禅師が僧堂にきて、坐禅しながら居眠りしている僧を叱咤(しった)しました。この声をきいて、道元禅師は、豁然として身心脱落、大悟徹底して、如浄禅師の印可を受けました。かくして「大白峯の浄禅師に参じて、一生参学の大事ここにをはりぬ」(『正法眼蔵』弁道話)の確信が生まれたのです。

 そして、この如浄禅師の教えは道元禅師にそのまま伝えられ、今日に至るまで不滅の法灯を伝えているのです。


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