曹 洞 宗 宗 歌


 

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  曹洞宗宗歌は、お釈迦さまから今日まで、正しい教え(正法)が脈々と伝えられてきたご様子を表したものです。

  まず、冒頭の「花の晨(あした)に片頬笑み(かたほえみ)」とは、お釈迦さまがお弟子の摩詞迦葉(まかかしょう)さまに法を伝えたという拈華微笑(ねんげみしょう)の故事を詠っています。

  ある時、お釈迦さまが、ラージャグリハ(王舎城、おうしゃじょう)のグリドラクータ(霊鷲山、りょうじゅせん)で大勢のお弟子たちを前に、無言のうちに一本のウドゥンバラ華(優曇華、うどんげ)を手にとって示されたところ、誰もみなお釈迦さまの意のうちを理解できずに黙っておりました。そんな中で迦葉さまだけがその真意を理解して微笑まれたのです。お釈迦さまはその時、「私が修行して得たところの正法眼蔵涅槃妙心(しょうぼうげんぞうねはんみょうしん、仏教の根本真実)を、いま摩詞迦葉に伝える」と宣言されました。

 お釈迦さまの正しい仏法は、お釈迦さまから迦葉さまへ、迦葉さまからそのお弟子さまへ直接的に伝えられ、インド28祖をへて中国へと伝えられることになりました。

 このありさまを「以心伝心(いしんでんしん)」といいます。

 続く「雪の夕べに臂(ひじ)を断ち」の節は、お釈迦さまの仏法が中国に根をおろした次第を述べております。インドの達磨(だるま)さまは仏教を東の地、つまり中国に伝えることを決意され、長い旅路のはてに、梁(りょう)の武帝(ぶてい)と会見された後、嵩山(すうざん)少林寺において、面壁九年(めんぺきくねん)の坐禅を修行しておられました。 そこへ後に中国二祖となる慧可(えか)さまが、教えを請うて参上したのですが、達磨さまはただ面壁するばかり…。時至って大通2年(526)12月9日、身も切れるほどの厳冬に、慧可さまが腰まで雪に埋もれながら、臂(ひじ)を自ら切断し、求道の切なる思いを示されました。達磨さまはそれに応えられ、ついにお釈迦さまの正法が伝えられたのです。

 「しも」は、代々伝えられてきた「道」、すなわち「正法」を強調する言葉です。

 やがてお釈迦さま以来の正法は、道元さまによって日本に伝えられ、瑩山さまによりひろめられました。道元さまが、宝治元年(1247)、鎌倉行化(ぎょうけ)にて詠われたと伝えられる「教外別伝(きょうげべつでん)という詞書(ことばがき)が付された道歌が、続く「荒磯の」という節です。「荒波も届かないほどそびえる高岩に、いつの間にか牡蠣(かき)が取り付くように、たとえ多くの困難が伴おうとも、それらをすべて乗り越えて、経典の言葉を白己の言葉や文字で言いつくし、書きつくして、仏法は伝わるものである」という意味ですが、つまり、文字を波にたとえて、絶え間ない波の果てにやがて牡蠣がつくように、幾度となく言葉や文字、すなわち経典を読みつくして、初めて正しい仏法が伝わるのだということでもあるのです。

 今一度、私たちは、摩詞迦葉さまの微笑みと慧可さまの断臂(だんぴ)のありように、身命をかけた求道の心を静かに学びたいものです。