二祖峨山韶碩禅師大遠忌 四国管区予修法要が執り行われました


20140516-15月9日(金)、徳島県海陽町の城満寺において、大本山總持寺二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌 四国管区予修法要が、大本山永平寺貫首、福山諦法禅師を大導師として執り行われました。

徳島駅から鉄道で約2時間半の海部駅から、内陸部に向かって約5キロのところに位置する城満寺は、正応4年(1291年、一説には永仁3年〈1295年〉)、後に總持寺初祖となる太祖瑩山紹瑾禅師によって開かれた四国最古の禅宗寺院です。

瑩山禅師はまだ幼い頃に永平寺二祖孤雲懐弉禅師に就いて得度、懐弉禅師が83歳で亡くなると、さらに三祖徹通義介禅師に就いて修行に励まれました。十代の後半に諸国行脚の旅に出て、正応4年、大乗寺開基であった富樫家尚の依頼を聞き入れて、阿波の城満寺(当時は城万寺)の住職に就かれます。このとき、瑩山禅師は永平寺の当時の住職であった4世義演禅師より授戒作法を授かり、城満寺で多くの衆生に広く仏法を知ってもらうために、盛んに授戒会を行っています。授戒は、城満寺の最初の首座である眼可鉄鏡をはじめ、4年にわたる城満寺住職時代に70人余に及んだと伝えられています。

20141516-2瑩山禅師はその後、永仁6年(1298年)に義介禅師のあとを受けて大乗寺の住職になり、元亨元年(1321年)には定賢律師から能登の諸嶽寺(もろおかでら)を譲り受け、總持寺として開創されます。

城満寺の開かれた正応4年は、峨山禅師が比叡山で出家、菩薩戒を受けた年であり、その6年後の永仁5年(1297年)、京都で峨山禅師は瑩山禅師と出会ったとされています。

城満寺はその後、天正3年(1575年)に長宗我部元親の進攻による戦火に遭って焼失したとされ、その後大正年間まで廃寺でありましたが、昭和27年に復興。昭和44年に大槻哲也師が住職に就任すると伽藍の復興に尽力され、平成9年には現在の本堂、平成19年には僧堂が落慶、昨年には庫裡が新築されています。
現在は平成23年に住職に就任した田村航也師が、ご本山の協力などを得ながら寺院の護持運営、信徒の教化に務めております。

このように瑩山禅師から法を継いだ峨山禅師にとって、たいへんゆかりの深い城満寺において四国管区予修法要は執り行われました。

四国管区は全ての寺院を合わせても約230か寺と、決して大きな管区ではありません。しかし、この日は、管内各地から多数の僧侶と200名を超える檀信徒が訪れ、管区を挙げての大法要となりました。
全ての方が本堂の中には入りきらず、約半数は、外に張られたテントの下で法要に参加されました。

当日は晴天に恵まれ、この時期としては気温が上がりましたが、海からのさわやかな風のおかげで、心地よい気候の一日となりました。

20140516-3午前10時、佐々木宗務総長の挨拶の後、予修法要が始まりました。
管内の宗務所長、教区長が両班を、四国管区教化センター主監の本山良宗師が維那を勤め
福山禅師の導師により、十八拝差定という宗門で最も丁寧な作法に従って予修法要はすすめられました。
導師が退堂した後、大本山總持寺監院・大遠忌局総監の乙川暎元老師より「ぜひ来年の本法要では大本山總持寺に足を運んでいただきたい」と参加された皆さまに挨拶が述べられました。

20140516-4法要の後、特命布教師で福島県興国寺住職の辻淳彦老師より「み教えを受け継ぎ迎えし大遠忌」と題しての講演がありました。峨山禅師のご一生、足跡をたどりご法話を賜りましたが、辻老師が若かりし頃、夜遅く城満寺の伽藍復興のお願いに訪れられた、大槻哲也老師の思い出話が披露され、時を経てここで法話ができる喜び、善き人とのめぐり合い、善縁の大切さをお話されました。

法要中の詠讃歌で詠題をお唱えした、お隣の牟岐町から参加された梅花講員さんは「初めて見る法要でとても感動した。禅師様の前でお唱えし緊張したが、良い思い出になった」田村住職は「峨山禅師さまが太祖さまに遥々会いにおいでになったようで、善縁により法要をお勤めさせていただいたことは本当に有難く感激の極みである」と感想を述べられておりました。

20140516-5たくさんの方のご協力と善きご縁により、営なまれた今回の予修法要は、瑩山禅師、峨山禅師のみ教えをいただく私たちにとっても、たいへんありがたいことでございます。報恩の気持ちを新たに、今後の予修法要、さらには来年の本法要をお勤めさせていただきたいと思います。