ふくしま故郷再生プロジェクト現地聞き取りレポート(3)  人権擁護推進本部


寺院住所   福島県田村市
協 力 者   住職(代表役員) 護持会役員(責任役員) 檀信徒  原発メンテナンス会社職員
訪 問 日   2012(平成24)年3月6日(火)
位  置   福島第1原子力発電所から約26㎞
地区指定   緊急時避難準備区域(地区全体避難)
放射線量    室内(庫裏)  0.511マイクロシーベルト毎時 年間推定積算値 4.48ミリシーベルト
    屋外(地表土) 1.289マイクロシーベルト毎時 年間推定積算値 11.29ミリシーベルト
     

ふくしまの声 ―聞き取りまとめ―

―事故後のお寺の家族状況を教えてください
「原発の爆発事故直後は、埼玉県の知人宅に避難しました。ある程度落ち着いてからは、寺族と子どもは避難させていますが、私は一人で寺に残っています」
 
―住職さんはこの地区のご出身ですか?
「私はもともと農家の息子です。この寺の息子でなくて、総代の一人息子なんです。実家も跡取らなくてはいけないんですが、農家をやりながら、ここの菩提寺の住職になったというのが実情です」
「立場上、住職は『住む職業』と書きますのでね。やはり住んでいないといけないという義務感から寺を一人で守っています。住職にいてもらってるというだけで安心だという、その安心感を与えるためにも‥‥」
 
―お寺と近隣地区はどんな避難地域になりますか?
「この寺の檀家はすべて『緊急時避難準備区域』です。そうなる前は、『屋内退避』の期間もありましたし、いろいろと名前が変わりました。最終的につけられたのが『緊急時避難準備区域』です。福島第一原発から20㎞から30㎞圏内というのは、あくまで、屋内で退避するか避難してください、各々自分で判断してくださいという選択だったんです。ただ、ここの地区としては、もう全員で避難しましょうということになりました」
「当初は300軒全戸が避難しました。現在でも200軒くらいは4箇所の仮設住宅と借り上げアパートなどで各々避難生活を送っています」
「避難区域ですが、警戒区域ではないので、自宅への往来には交通規制はありません。地区の人たちは時々自宅へ通って、避難所にもどるという生活をしています」
 
―3月11日の地震の被害はどのくらいでしょうか?
「本堂や庫裏の一部が破損しました。墓石については8割程度の倒壊や損壊が出ています。檀家さんのお宅も倒壊こそなかったものの、壁や屋根には相当な被害がありました」
 
―原発事故から避難住民受け入れ、まもなく全戸避難の経緯を教えてください
「最初は、この町も避難民を受け入れる側だったんです。3月12日の一日だけでもの凄く変わったんです! 12日の朝には行政放送で、『毛布やタオル等が不足していますので、提供し協力してください』ということで、(原発立地の町村から)避難して来ているんだと。私たちは逆に避難者を迎え入れる立場だったんですよ。それが12日の午後。その後、避難区域が20㎞圏内まで広がったんです。この地区も20㎞圏内にかかる場所があったので、町全員避難ということに決まったんです。それで12日の夕方には、もう全員避難しなさいということになりました」
「私たちは避難住民を受け入れる側と、避難する側、両方を3月12日の一日で経験しました」
 
―避難による不便やご苦労はどうですか?
「震災と原発事故以前からすでに過疎化と全国でもトップレベルの高齢化率にさらに拍車がかかっています。当地区に戻っている世帯は高齢者ばかりで、子どものいる世帯はすべて地区外の仮設住宅やアパートへ移住しています。子ども人口はゼロです。学校の再開も、周辺の放射線量の高さなどから見通しが立っていません」
「大家族も避難によってバラバラですし、実家と避難所との二重生活を強いられています」
 
―当初の避難についての行政の対応は?
「田村市の場合、当初は役場の人間自体が混乱していて、動きが鈍かった。田村市の当地区だけが避難地区だったので、市ではなくて、地区出身の職員で対応しなさいと市長が言ったと聞いています(後に訂正)」
 
―放射能汚染や避難生活による健康被害はどうですか?
「子どもだけは内部被曝検査をしていますが、大人の方はホールボディーカウンターを検査やっていない。内部被曝の正確な測定がないと、診断も治療もできない」
「放射能の影響かどうかはわかりませんが、救急車で運ばれる人が増えています。避難生活の長期化による過重ストレスや頭痛、不眠症、脂質異常などによる体調不良が目立っています。これまで農業等で適度な運動ができていた人が、運動不足による成人病発症や悪化が見られます。生業が奪われてうつうつとしていますので、アルコールなどの依存症も増えているようです」
「私もそうですが、みなさん血圧は上昇しているようです。これからのことを考えると、心配と不安とで夜に寝つけなくなってしまう」
 
―震災・原発事故後の寺院の宗教活動や檀信徒との関係は?
「事故直後半月は私も避難していましたし、檀信徒の所在も把握できませんでした」
「地区内での自宅葬儀はなくなり、すべて地区外の会館葬儀です。年忌法要も減少していますし、弔問者も少なくなっています」
「住職の立場では、先祖と故郷を大切にと言いたいところですが、きびしい現実との狭間で葛藤しています」
 
―当地区の生活文化や経済的な損失はどうでしょうか?
「自然の恵みをいただいて、宗門のグリーンプランで目指しているような、自然と共存している地域でしたので、その文化や習慣が根こそぎ奪われています」
「避難区域は農作も畜産もできません。自家消費も含め、山菜やキノコは高濃度の放射能汚染で採取できません。現金収入はなくても、自然の恵みで生活していたのがすべてダメです」
「全世帯避難によって、地区の経済活動や流通が停止したり、工場閉鎖による強制解雇や失業が起きています。これからは失業保険支給の打ち切りによる困窮が心配です」
「原発事故の影響で、土地・建物等の資産価値が実質ゼロになっています。檀信徒は財産処分して移住もできませんし、東電や国からの補償もありません。警戒区域と異なってすべてが中途半端なままです」
 
―行政とは別に放射線の測定はなさっていますか?
「行政は安心だ、安全だといいますが、当初の測定は放射線量の低いところそれも屋内での測定だったので、信用できないのです。自己測定で防衛するしかないというのが実状です。公表されている数値の数倍はあります」
「中国製の簡易測定器を自費購入して使用していました。誤差や数値の揺れがかなりありました」
「銅板屋根の本堂は放射性物質が降雨や降雪で流されて比較的低めですが、瓦屋根は高線量のままで、全面葺き替えしないと効果はないようです」
「行政による農地・耕作地の土壌測定方法への疑問や不信感がぬぐえない。表土と地中を撹拌して、実際の線量よりも低く測定している。これで安全と言われても、作物への移行は高くなります」
 
―寺院と地域の除染について教えてください
「お寺と近隣地区全体の除染はまだ実施していません。原発20㎞圏内では今年の2月に除染しましたが、あまり効果がなかったようです。20㎞圏内の方が当地よりも放射線量が低い地域が多いのです。放射能汚染の濃淡は必ずしも原発からの直線距離の遠近ではありません」
「学校敷地の除染は実施しましたが、通学路や生活圏内の線量は高いままです」
「対症療法で住宅地をいくら除染しても、1ヵ月も過ぎるとまた元に戻ってしまう。山林から放射能が降りてくる」
「田村市の8割以上を占める山林除染が先決だが、膨大な費用や労力確保の見通しが立たないのです」
 
―原子力発電所事故後の放射線管理についてどうお考えですか?
「レントゲン室などの施設には、放射線のマーク(黄色地に赤紫三つ葉)ありますよね。一時間あたり0.6マイクロシーベルト以上になる可能性ある場所には(放射線)管理者が必要で、普通の人は入っちゃいけませんという場所に、私たちは住んでいていいよと言われているんです! それは法律違反だと言いたいです」
 
―お寺として東京電力や国に賠償や補償を求めていますか?
「寺として賠償請求はしていません。地区全体としても今のところその動きはありません。避難している世帯には補償金はありますが、他の地区から『放射線量はそんなに高くないのに、あんたのところは補償金もらっているからいいね』と言われるのが辛い。同じ被害者なのに、補償金をめぐって差別が起きています」
「行政の判断によって恣意的に線引きしないで、各々の状況に応じて平等に補償してほしい」
「農作物や酪農の被害については、農協が全部一括して補償の請求をしています。個人単位での請求は難しいのです」
「東京電力へ損害賠償を請求しても解決しない場合には、紛争解決センターに行きなさいということになっていますが、実際には機能していません。警戒区域の住民への対応で手一杯で、私たちのような住んでいいのか悪いのか曖昧な地域はまともに相手にされないようです」
 
―曹洞宗や社会へのご意見やご要望があれば
「宗務庁から放射線量計を貸与していただいて、とても感謝しています。個人で気軽に購入できるような機器ではなかったので、とても助かりました。事故当初は行政が正確な数値を測っていなかったのですから、檀家さんもある程度の線量がわかって安心した部分もあります」
「当初に貸与された線量計に故障があったらしいので、国産の計器を補充してもらえればありがたいです」
「普通の状況ではないのですから、宗務庁への見舞金申請はもう少し簡略化していただけたらと思います。檀家数はすでに届出しているのですから。建物の被害修復の見積りも現場では立込んでいてなかなかできない状況なんです」
「この寺は兼務地になったことはないので、複雑な思いがありますが、警戒区域・避難区域の寺院住職には、希望に応じて本務地を紹介・斡旋(あっせん)するシステムがあればいいなと思います」
 

事故現場の声

福島第一原子力発電所のメンテナンスを請け負っている現場関係者からも貴重な証言をいただいたので、以下にその要旨を掲載します
 
―今は、具体的にはどういうお勤めを?
「私の所属している会社は、東京電力の水力・火力・原子力発電所の元請企業ということで、メンテナンスを一切合財やっています。私も最近まで、福島第一原子力発電所にいました」
 
―地震と津波が起きた当初は?
「地震が起きた当日は、私の会社は600人で稼動していました。その日は誰一人怪我なく避難できました。3月11日の午後4時過ぎには、作業員全員には家に帰ってもらっています。私も含め現場の責任者だけは残りました。当日の夕方、午後6時頃に東京電力の社員がバッテリーを探しに来ました。というのは、内部電源も外部電源もすべて喪失してしまって、監視・制御のための計測用電源がないという状況になっていたからです」
「11日夜の8時半頃に、免震棟、要は対策本部のある建物に、私ほか数人で様子を見に行きました。そうしたところ、蜂の巣をつついたようなありさまで、怒鳴りあって、右往左往しているだけ。要は現況を現場は何も掴んでいないわけです。一向に東電から指示がないので、夜9時すぎに、私もちょっと家が心配だから帰らせてもらうということで、原発から帰ったのですが、その後、東京電力の方から、構内に残っている人間全員に集合が掛かったということです。そうこうしているうちに、12日午後3時半頃、1号機が爆発してしまったわけです
 
―3月12日の爆発事故前後の避難の動きを教えてください
「11日真夜中から翌早朝、茨城交通の大型バスがここを何十台も原発へ向かって下がっていったわけです。それを見て私は『これはもう地域住民総避難がかかったな』と直感しました。それはまったくその通りで、12日の朝、大熊町、双葉町、富岡町、あの辺の町民の方は皆バスで避難です。今で言う20㎞圏内の大熊町、双葉町、浪江町、富岡町の町民の人たちは、十分な着替えとか、生活用品を持たないままで、極端な話が、財布も持たないで集会所に待機していたその大型バスに乗り込み、この田村市、この地区に避難してきたわけです」
 
―避難住民を受け入れるどころの話じゃなくなって
「そうです。いったんは大熊、双葉などの原発立地・近隣地区からの避難住民を受け入れてから、今度はこの地区も一緒に船引町の方に一斉に避難したわけなんです」
 
―避難されてからの活動は?
「私の場合、12日いったんは、船引町の避難所になっている福祉センターというところに行ってみたんですけれども、もう入るスペースがないんです。寝るスペースもないということで、朝方まで自分の車の中で寝袋に入って寝ていました。ついで大熊町の大半の人が避難所に到着したというので、避難者の中に社員がいるかチェックしました。今度は、午後になって、川俣町に双葉町の町民が入ったという知らせを受けて、川俣町の避難所を全部チェックして社員名簿を作りました。さらに、浪江町の町民が津島地区に避難したということで、自分の会社の社員が何人いるのかチェックして、上司の方に報告したわけです。私は13日の午後、川俣とか浪江町の津島地区をまわっていたんですけれども、ちょうどその場所、その時に2号機の原子炉建屋から出た放射性ガスが、北西方向に流れていたんです」
 
―それが一番高濃度な‥‥
「1号機、3号機ではなくて、二号機から高濃度の放射能がその時出ていたんです。13日の夕方、浪江町の津島地区の避難所名簿を確認して、家(避難所)に戻ろうかという時には、もう自衛隊員がフル装備でもう待機していたんですよ、津島地区で。この人たちはすぐ第一原発に乗り込んでいくなと思って見てきたんですけれども、ただその時には、もう早い話が国とか自衛隊とかは、放射性ガスが北西方向に飛んでいるというのは分かっていたんですよ! 知らされていなかったのは、その地区の人たちと避難してきた人たちです」
 
―原子力発電所で作業されていたから、どれだけ危険なことをやっているかということは分かるわけですね
「私は原子力発電所の仕事に従事し、35年目なんです。でも、よもやこんな事態になるという認識はなかったのです。根本的に電源設備がすべて喪失するっていうことは誰も思ってないんです! というのは、非常用ディーゼル発電機もありますし、外部電源は、要は東北電力から引き込んでいる。誰もそんなことを思ってなかったんです。ところが、蓋を開けてみたら、実際は外部電源一系統来ていても、津波の海水で電気室が全部水没してますから、要は6900ボルトの元電源が機能しない。電源がすべて駄目になってしまった。だからどうしようもない。それで今度は、政府が東電に指示して電源車なんか配置したんですけど、それもミスマッチで、要は電源容量と電源ケーブルが合わない、使えない。かき集めて持ってきた電源車が実際には機能しなかった。使い物にならなかったということなんです」
「現場では、私の会社の社員なんかも、1号機がどかーんと爆発した時に、現場に調査に入っていたため、実際に放射性物質を内部取り込みしている量がすごい量です。ただ、それですぐに、それがもとでガンになって命取られるとかそういうことは、そんなに簡単に言える話じゃないですけれど、普通に考える基準値より大量の放射性物質は取り込んだということです」
 
―作業員の当初の被曝限度線量と引き上げについて
「(原発作業員の年間被曝限度線量は)年間50ミリシーベルト以下。事故後、政府が『緊急作業に関しては年間250ミリシーベルトまで大丈夫です』なんてとんでもないこと言ったでしょう。でも、あんなことを守ってやった会社どこにもありません。それぞれの会社で大体一人の作業員が年間50ミリシーベルトが許容限度の線量ですから、それ以下で抑えようということで動いています。ただし、建屋が爆発していったあの時期、3月12日、13日、14日、15日、あの時期に現場で調査とか対策に走り回った人たちは、100ミリシーベルトを超えた人もいます。通常の国の決まりの50ミリの倍被曝した人もいます。だから、はっきり言うと、第一原発の当時の吉田所長はじめ、現場対応に走り回った東電の社員、協力企業の社員は本当の決死隊だったんです。海水注入されるまでの間はね。現場を右往左往して調べてね、対策したメンバーは大変な目に遭った。私の会社の社員も、呼び出されて現場に行って対応して、その時は寝る時間もない、食べ物もろくにない、一日一食ぐらいで2日間ぐらいはやったらしいです。これは本当に異常事態であって、その時、現場にいた人間は決死隊ですよ!」
 
―原発事故後の対応について教えてください
「そもそも、あの原子力発電所事故は想定外といわれていますが、最初から大津波対策を考えて動いていなかったのです。海水を注入して、原子炉を冷やすと後処理が面倒だから、ダムの淡水を注入しなさいということで、本社へ提案したのですが、その時はもう自衛隊が主導権を握って私らは何もできませんでした。海水を原子炉に注入してしまって、今になって、原子炉で塩作っちゃった状態ですからね、はっきり言うと。これから冷却水入れて塩分が溶け出したのを回収して処理するのに、今、苦労しているわけです」
「これから、汚染水タンクを設置するエリアが段々なくなってきてるんです、実際のところ。溜まったタンクの水は、薄めて海洋へ排水することができないので、そのまま保存しないと駄目。新たに処理した水を溜めておくタンクが必要です。燃料を取り出すまでこれがずぅーっと続くわけですよ」
 
―汚染水を保管する敷地が足りますか?
「いっぱいになります。だから今大変な状況です。周辺の、例えば農家の土地を国が買い上げてタンク基地にするとか、そういう見通しでやっていかないと将来的にわたっては対応できません。廃炉にしたとしても、その後の処理には膨大な労力と時間がかかります」
 
―原子力発電所の事故現場で心配されていることはどういうことですか?
「今、現場で一番問題になっているのは、高濃度汚染水です。燃料プールと原子炉の水と処理した後の低濃度の水を混合して、冷却水として原子炉内へ注入していますから、それがまた、戻ってきてさらに処理している。その処理しているところが(放射)線量が高いんです」
「汚染水の処理自体が、機器の故障や汚染水漏れで当初は全然機能しなかったのです。それだけではなくて、プラント内の線量があまりにも高すぎるために、人が1時間もいると命取られる。そういうところが、今度、周りの環境除染、要はその建屋も含めて、立体除染と私たち言うんですけど、すべて、この除染作業するのには、作業員が一人3分とかでそういう具合で切り替え、切り替えやっていかないとできないんです」
「多くの作業員が必要です。ただし、そのスキルを持っている人はどんどん減っていきます。だから、この辺のミスマッチが将来出てきます。ある程度、技術持っている、資格持っている、そういう人が乗り込んでやらないとできません」
「原子力発電所というところは、正常に動いている時は、私らもそんなに疲れる仕事はないですし、気楽な現場という捉え方がありました。ところが、いざこうなってみると、負の遺産がもの凄い。もろに負の遺産です。負の遺産の管理は、核燃料の回収と廃炉まで行っちゃうわけですよ。これからが大変です」
 
―昨年末には政府は事故収束宣言を出しましたが
「実際は今現在、冷温停止状態であると発表しましたが、冷温停止にしても、底に固まった燃料を取り出して保管管理しない限り、今後とも多少放射性ガスは出ていますし、それから、また水が全部切れたら、核分裂に入る可能性も否定はできません。膨大な使用済核燃料も心配です。だから完璧に冷えて固まった燃料の塊をクラッシャーにかけて回収して、すべて取り除いて初めて今度、この原子炉建屋なりタービン建屋をぜんぶ解体して撤去できるわけですけれども、現場の感覚ではっきり言うと今でも冷や冷やものです!」
 
―福島県内で除染活動が始まっていますが、除染の目安や効果はどうでしょうか?
「はっきり言いますと、平地の住宅を除染作業しようとしても、周辺の山、山の枯葉、あるいは山の土が強風で煽られて飛んでくると、また、元の放射線量の数値にまた上がってしまいます」
 
―だから、アスファルトやコンクリートの市街地だと、除染を徹底してやればそれなりの効果は維持できますか?
「効果は出ます!」
 
―こういう自然が豊かなところは、自然が豊かなだけに完璧な除染はできないということですか?
「山林の土や枯葉をすべて取り除くということは、現実ではほぼ不可能に近い。除染しても除染しても、次から次と放射性物質が供給されてきますから。除染で除去できる放射能と自然に逓減(ていげん)していく放射性物質とどちらが効果的かはわかりません」
「セシウム137の問題は、半減期が約30年ですね。その半減期でさらに30年ですよね。そこから、半分にするのにまた30年ということになりますから、完璧に能力が薄れるまで。そうすると、何世代にもわたって、放射線は周りにあるんだよということです」
 
―田村市の除染活動は進んでいますか?
「田村市の場合も、ここの地区の除染をやろうという計画はできているのですけれど、要は国が定めた『放射線に関する電離則』(電離放射線障害防止規則)という法律がありますから、その電離則に則った計画書が本当にできるのか? ということが問題なんです。今度はそれに則った作業をやっていかないと駄目ですね。これは大変なことです。資格も知識も技術もない素人ができる作業ではないのです」
 
―福島の放射能汚染の実態について教えてください
「はっきり言うと、福島県の中通りも深刻な放射能汚染地域なんです。というのは福島市、二本松市、郡山市、そっちの方がここより(空間放射線量率は)むしろ高い。倍です。数値は2倍。その間ずっと、あっちの人はそこで生活しているわけですから。距離が遠いにもかかわらず、放射線量が高いのです」
 
―福島の中枢ですから、そこを避難区域にしてしまうと新幹線が今度、通れなくなる
「そうです。高速道路もです。はっきり言って、ここの人よりも、福島市や郡山市の向こうの方の人が大変な生活しています! ただ、何十万もの人がいっぺんに避難する場所はどこにもないでしょう。だから、そのまま置き去りにされている」
 
―隠れた被曝の危険性について
「私が一番危ないと感じているのは、この国道沿いですね。国道の両側。これは、20㎞圏内を走り回った車のタイヤにセシウムが全部染み込んで、粉塵となって道路周辺に飛び散っています。そうすると、やっぱりこの道路の両端はこれからも汚染が進むんじゃないかと心配です」
 
―現場状況を踏まえて、政府や専門家に対してどのような感想を持っていますか?
「私らからいうと、政治家もいろんな大学の教授の人たちや、原子力工学やった人たちが、テレビとかで好き勝手なこと言っています。『あなたたちは実際一度現場に入って、全面マスク装備でじっくり現場を見なさい。現場の実態を見てからしゃべりなさい』と私らは言いたいです! 机上の空論だって、私らから見れば。どれだけの知識を持っているにしても、現場の実態は全然知らないわけです」
「逆にこういう時につけ込んで誇大に話を大げさにするグループも必ず出ますからね、現場の実態以上に恐怖心を煽(あお)ってね。そういうのも困りものです」
 
―あと、福島県知事はもう原発はいらないという宣言(脱原発宣言)をしましたが、皆さん方は聞くまでもないことなんでしょうけれども、原子力発電にはどういう考えをお持ちですか?
「私は、今現在は東京電力の関連企業なものですから、表立っては言えません。ですが、5号機、6号機、福島第二原発の1号機から4号機は、津波で壊れた部分を再復旧すれば、いつでも運転できるプラントです。そうすると、政治家や東京電力は、運転してまた発電したいという考えを持っています。ただ、一福島県民の立場では『絶対それは駄目だよ!』と言わざるを得ない」
「県内でも所得が低い地域経済が、原発関連の需要や雇用である程度潤ってきたことは事実です。土木作業でも、普通の工事の倍の報酬がありました。恩恵を受けて表立って反対してこなかった人も、内心は『こんな迷惑なものは必要なわけないよ!』というのが本心でしょう」
 

ふくしま余韻 ふくしまからのビジョン

ふくしまとその一帯が被った放射能禍は、向こう数年の短期でも、数十年先の中期的な見通しも、決して楽観できる状況ではありません。これまでお届けしたふくしまの声にもその失意や不安が響いています
現場には一歩も入らない在京の評論人たちは「何も心配はいらない」と気休めにもならない感想で現場の人びとの不安を誤魔化します。さらに「除染すれば帰郷して生活できるという愚かな幻想は捨てよ、震災前に戻りたいという願いもしょせんは絵空事だ」と教え諭すような口調で切り捨てます。
しかし、「それにもかかわらず」とあえて反論しましょう。どんなに困難や危険の壁が高くぶ厚くたちはだかっていても、ふくしまの人びとの苦悩とともに、長期の再生ビジョンを掲げることは、いまを活性化することだと。崩すことなどあり得ない壁と対峙することが「面壁」なのだと。その時、そんなことは幻や画餅として冷笑されていたことが逆に希望や夢となって、ふくしまと私たちを支えるにちがいありません。
「幻(ビジョン)を持たない民は滅びる」という言葉があります。ビジョンを生きる力としたいと思います。
今回訪問したところは、お寺を含め地区全体が、緊急時避難準備区域に指定されています。多くの住民の方が仮設や借り上げ住宅での避難所生活を過ごしています。
3月12日の爆発事故後、原発立地町村住民の避難受け入れから一転して、町全体も避難することになりました。
住職さんは、事故当初はご家族で埼玉県に避難しましたが、現在はお一人で檀信徒や地域の人びとに「安心感」をもってもらうために、お寺に文字通り「住職」としてとどまっています。
避難区域ですが、警戒区域ではないので、自宅の往来はできますが、震災の被害や地域の産業や経済活動がほぼ停止しています。避難生活の長期化と見通しがたたない中で、さまざまな問題や健康被害が出ているというお話しをお聞きしました。
福島第一原子力発電所に近いこともあって、当地では原発関連の仕事に従事している住民も少なくなく、そのお一人から貴重な証言をいただきました。実際の現場では何が起こっていたのか。時々刻々の状勢の変化のなかで、どのように対処したのか、という現場の生の声をお伝えします。