被災地支援活動紹介(12)避難所からのスタート~保育園開園までの道のり~


 東日本大震災発生当時、宮城県石巻市にある洞源院は避難所となりました。避難所閉所後も、ボランティア組織「叢林舎」を立ち上げて、現在まで仮設住宅での行茶活動(傾聴ボランティア)を行っており、さらに4月からは保育園を開園します。地域の復興に奮闘する、住職の小野﨑秀通さんにお話を伺いました。

震災が発生したその日に、避難所を開設されました。その経緯についてお伺いします。

――石巻市は東日本大震災でほとんどの地域が津波により甚大な被害を受けましたが、うちのお寺は比較的高台にあるので、津波の被害は受けませんでした。当時、市から一時避難所に指定されていたので、洞源院には多くの方が避難してきたのです。
最初の1週間は支援物資が届きませんでしたが、お寺で買っていたお米がまだたくさんありました。お寺の行事や、中学・高校の合宿受け入れなどで炊き出しの経験がありましたし、そのための設備もありましたので、満足な量は提供できませんでしたが、温かいご飯を出すことができました。そのことを聞きつけて、他の避難所からやってきた方もいたので、多い時は400人を超す避難者がいました。本堂もそんなに広いわけではないので、畳一畳に3~4人が寝るような状態でした。

多くの避難者をどのようにしてまとめたのでしょうか。

「禅の友」平成24年2月号から転載

――当時は何が何だか分からず、必死で逃げてきた方ばかりでしたし、家や家族を失った方もいらっしゃるので、住職である私がしっかりしなければいけないと思いました。しかし、私がまとめたということではなく、寺族や家族、避難者全員が協力したからこそ、避難所生活を乗り切れたのだと思います。
まず取り組んだのは、避難者の把握でした。すると、その中に地域の区長さんがおられたので、避難者の中から、食料や燃料の調達係、情報収集係、広報係等、適材適所を考えていただき、お願いすることにしたのです。それぞれの担当者と毎日、多い時は1日3回ミーティングをすることで、お互いの意思疎通を計りました。3月の下旬になると、身内を頼るなどして避難所から離れて行く方も多くなり、約半分の200人になったので、全員でミーティングをするようにしました。また、避難所で生活する上での決め事を設け、ミーティングの度に確認するようにしていました。
4月からは、朝のお勤めをするようにしたのですが、決して強制したわけではないにもかかわらず、皆さん一緒にお経を読んでくれました。その後、ラジオ体操をし、散歩するなど、毎日の生活にリズムをつけるようにしました。そのことで、気持ちの持ち方が違ってくると考えたからです。
毎朝読経することでお経を覚えた方もいて、震災から百か日の日に行った浜辺での供養の際には、一緒に読経することができました。一周忌を境に、毎週、浜で供養をしているのですが、今でも参加していただいています。

震災から5か月後の8月7日に避難所を閉所したとお聞きしました。

――その時すでに、ここで生活していたのは10人足らずでした。何もせずに閉所するのではなく、何か形を残したいという話になり、ともに避難生活を送っていた方に呼びかけたところ180人もの方が集まり、閉所式を行うことができました。その時の「また、何らかの形で集まりたいね」という話から、ボランティア組織「叢林舎」を立ち上げることになったのです。
主な活動内容は行茶活動です。仮設住宅に入居したことによって、地域住民がバラバラになってしまったので、洞源院で避難生活を送っていた方が入居されている仮設住宅を中心に訪問し、行茶活動を行ってきました。活動をするための十分な資金があったわけではないのですが、元々お寺で地域の子ども達を対象に日曜学校を行っていて、全国青少年教化協議会の会員だったことから、会より支援していただくことができ、活動を続けることができました。
叢林舎の活動を続けることによって、避難者とは今でも関係が続いており、お寺の行事がある時は顔を出してくれます。

今年の4月から保育園を開園されるそうですね。保育園を始めようと思ったきっかけはなんでしょう。

――震災から2か月経ったころから、学校が再開し始めました。避難所ではお年寄りが子ども達を自分の孫のように可愛がり、自然と会話が生まれて明るくなるのですが、子ども達が学校に行っている昼間は、まるで会話がなかったのです。子ども達が帰ってくる時間になると、外で待っている方もいるくらいでした。その時、地域が復興するためには、これからの将来を担う子ども達の力が必要不可欠であることを知りました。
最初は、震災孤児の施設や、福祉施設を作ろうと思っていたのですが、市の担当者と話を進めている内に保育園を建てることになりました。話は決まったものの、建設資金をどうするかが一番難しい問題でした。資材も高騰しているなか、一寺院で出来ることではありません。しかし、全国の皆様に支援のお願いを申し上げたところ、多くの方から浄財を頂戴することができました。本当に感謝しています。
園の名前は「石巻ひがし保育園」としました。そこには、東日本大震災において東石巻で津波被害を受けなかった地域はない、そんな東石巻に復興してもらいたいという思いを込めています

今年で東日本大震災から3年を迎えます。

――毎週のように活動していた叢林舎も、今では月1回程度になっています。叢林舎のメンバーも新しい仕事を見つけて働いていたりするので、復興に向かって進んでいるという意味では良いことだと思います。仮設住宅もそのうちなくなると思うのですが、活動の拠点を仮設住宅からお寺に移して、永く活動していきたいと考えています。
今年開園の保育園も復興への第一歩だと考えています。先日石巻から20キロ離れた仮設住宅に入居されている方から入園の申し込みがありました。仮設住宅から通うのかなと思いましたが、保育園ができたので、これを期に地元に戻られるそうです。地域に幼稚園や学校があることの大切さを改めて感じたように思います。

 

小野﨑さんは震災発生直後の避難所開設、叢林舎でのボランティア活動等、地域の復興のために活動されてきました。3月16日には保育園の落慶式が行われ、4月から開園します。休む間もなく走り続け、地域の復興のために邁進する姿は今も続いています。

 

洞源院ホームページ

石巻ひがし保育園ホームページ