彼岸会(ひがんえ) 3月・9月


彼岸会という行事は、特に日本にて盛んに修行されるもので、古い記録では『日本後紀』巻13の「大同元年(806)3月辛巳の条」に、「諸国の国分寺の僧をして春秋二仲月別七日に、『金剛般若経』を読ましむ」と出ています。心ならずも死することとなった崇道天皇(早良親王)の無念を鎮めるためであったということです。それが、徐々に世間に広まり、この一週間は、とにかく善行を行い善い功徳を積む期間として理解されるようになり、お寺参りやお墓参りを行うようになります。

「彼岸」という言葉は、「彼方の岸」の略ですから、つまり煩悩の激流である海の「此岸(しがん)」から、修行によって海を渡りきり、輪廻を超えた涅槃の境地に入ることを意味します。特に菩薩の修行には「六波羅蜜(ろくはらみつ)」と呼ばれる修行の種類がありますが、この「波羅蜜」というのは[パーラミター]の音写で、意味は「修行の完成」になり、それを表す意味の語が「彼岸到(到彼岸)」とされます。したがって、「波羅蜜」=「彼岸到」とは、「修行の結果、行くことの出来る理想的な場所」です。その修行の完成を期する期間が、彼岸会の一週間になります。「波羅蜜」は、具体的には「六波羅蜜」とされ、以下の内容に分かれます。

布施ふせ (衣食住という財物を与える財施と、法を教え安心を与える法施と、他人の恐怖を除く無畏施とがある)与える喜びを知ります。
持戒じかい (身口意の三業に関わる戒律を護持すること)してはいけないと思うことはしません。
忍辱にんにく (他からの迫害や苦難に耐え、恨みを抱かないこと)感情に流されず、辛抱強くものごとにあたります。
精進しょうじん (六波羅蜜を修めることを努力すること)するべきことに少しずつでも励みます。
禅定ぜんじょう (坐禅を修行し、心を集中させること)心穏やかにすごします。
智慧ちえ (智慧を得ること)ものごとの道理を、正しく、深く理解します。

それぞれに難しい修行になりますので、容易に完成することはかないませんけれども、お寺へのお参りの中で、少しでも心を安らかにし、この実践を目指していただきたいものです。我々が春3月と秋9月に行う「彼岸会」には、お墓にお参りをし、お花や線香を供え、真心の合掌を捧げる修行が必要ですが、これはつまり、一度行ったから、後はほったらかしにするのではなく、何度でも何度でも繰り返し行うことが肝心なのです。

お寺とは、死者を追善供養する役割も重要ですが、ご自分やご家族に何かあったときはご住職に相談されるのもよろしいと思います。亡くなってから、葬儀の場という場だけで会うのは寂しすぎます。お彼岸の機会にお参りに行った際、合わせて一言ご挨拶されるのも良いことだと思います。

お彼岸の前日には、仏壇のお掃除はもちろん、仏具などもきれいにして、お花もかえます。花は樒(しきみ)が一般的ですが、季節の新しい花を挿してあげれば、一層よいことです。

お彼岸の入り日は、お仏壇に団子を一対(いっつい)山形にして供えます。

中日(ちゅうにち)(春分又は秋分の日)には、おはぎやぼた餅を供え、明けの日には、再びお団子を供えます。この間、お霊供膳(れいぐぜん)、珍しいお菓子、果物も供えます。

 

【お寺参り】
お寺へは、ご本尊さまやご先祖さまにお餅(もち)、お菓子、果物などを供えてお参リします。

また、お墓参リをして彼岸報恩の行事といたします。遠方でご無沙汰の方は、ぜひお彼岸中にお寺やお墓にお参りいたしましょう。

近所、親戚などへ手づくリのおはぎ、ぼた餅などを差し上げることなども、お彼岸にふさわしい心の温かさを覚えます。

 

【お墓参り】
お墓参りは、まず墓石と墓地のお掃除から。特に汚れやすい水鉢や花立てなどは、念入リに清めます。古くなった塔婆は合掌して抜きとリ、お寺の指図で処分します。お墓がきれいになったら、清らかな水、線香、故人の好物などを供え、お坊さんに墓経をお願いして、まごころをこめ、合掌礼拝します。

食べもののお供えは、お参りのあとで下げるようにしましょう。お供え物が悪くなリ不衛生になることは、誰も喜びません。また、無縁のお墓もきれいにし、お線香やお花を供える想いを持ちたいものです。