ふくしま故郷再生プロジェクト現地聞き取りレポート(6)  人権擁護推進本部


寺院住所   福島県南相馬市
協 力 者   住職(代表役員) 総代(責任役員)・檀信徒18人
訪 問 日   2012(平成24)年10月16日(火)
位  置   福島第一原子力発電所から約22㎞
地区指定   現在無指定(旧緊急時避難準備区域)
放射線量    室内(本堂内)  0.263マイクロシーベルト毎時 
年間推定積算値  2.30ミリシーベルト
    屋外(境内地) 0.732マイクロシーベルト毎時 
年間推定積算値  6.41ミリシーベルト
備  考   2012年4月16日以降、緊急時避難準備区域指定解除になる。
居住と往来は自由になるが、津波到達で家屋が流出・損壊し、
住民の多くは近隣の仮設住宅等に避難中
     

ふくしまの声 ―聞き取りまとめ ~津波と放射能禍の激流に抗することば~

――本日は大勢の檀信徒の皆さまにお集まりいただき、恐縮です。ご来場の方々について住職さまからご紹介ください

「今回は、当寺の総代長さんと次席総代長さん、それから特に地震と津波災害によって、家族や家屋を失われた檀信徒の皆さん。さらに原発事故で警戒区域になり、先祖のお墓参りもできなくなってしまった、そういった地区の方にお出でいただきました」

「時間が経っても、原発事故からの長い苦しみがあります。それが簡単には収まらないという現実。そのうえ家屋を失って仮設住宅の生活が長引いて、将来の見通しが中々見えてこないという状況の中、皆さんはやっとの思いで暮らしています。(大津波等で)家族を失った悲しさや寂しさを抱えている沿岸地区の方々もいます」
 
「今日はそういったことを自分から話すことによって、それも癒しになろうかと思います。自分の心の重いものや、辛いところをお互いに話し、それを分かって、相手を思いやり、支え合っていくということに繋がればと考えております」


――このお寺は原子力発電所からはどのくらいの距離で、避難に係る地区指定はどうなっていますか?

「約21㎞の距離にあります。当寺と隣寺とは直線距離で3㎞くらい離れています。その中間に警戒区域との境界線がありました。ちょうど1.5㎞離れたところに20㎞圏内の境界線が引かれていました」

「当初は(居住・立入禁止の)警戒区域の外ですが、この寺は最も警戒区域に近いお寺でした。原発20㎞から30㎞圏内の緊急時避難準備区域の指定を受け、屋内退避していた時期もあります」

「緊急時避難準備区域の指定は現在解除されて無指定ですが、一部には放射線量が異常に高い場所も点在していています」


――3月11日の震災による直接の損害や影響はどうですか?

「本堂の漆喰壁がだいぶ剥がれ落ちてしまいましたが、建物の構造自体は壊れていません。意外とこの地区は岩盤が強くて、家屋が倒壊するようなことはなかったのです。あっても屋根瓦の棟が落ちているくらいです。」

「このH地区の檀家では、地震の揺れによって建造物の半壊・倒壊はなかったようです。その後の大津波による家屋の流失、倒壊がありました」
 
「津波によって全部で1000人近い方が南相馬市で死亡しています。当寺の檀信徒では津波による被災で22人ほど亡くなっております。家族で一番多くて3人も亡くなっている世帯もあります」

「震災当初を思い出して、一番辛かったと思うのは、大震災の時に、家族や自宅を心配して戻られた方が大津波に飲み込まれたことです」


――津波でお亡くなりになった方々のご供養は、お寺ではどのようになさっておられましたでしょうか?
 
「原発事故から間もなく、集団避難が始まりました。津波による遺体の捜索も困難な中続けられ、亡くなった方が見つかっていきました。火葬場には次から次と遺体が到着しました。非常事態でしたから、宗教宗派を越えて東堂も含めて、超宗派でご供養を重ねていました。ご遺体の身元確認ができたら一方的に火葬の日が決まります。親族すべてに連絡が着けばいいですけれども、県外に避難している人も多かったので、来られない人がたくさんいました。寂しい読経と収骨状況でした」
 
「4月に入ってガソリンが調達でき、車で移動ができるようになって、火葬場の供養にも多くの方が集まるようになりました。それまでは本当に静かでした。菩提寺住職が立ち会わないままでの荼毘供養もみられましたが、さいわい、私は火葬場に待機していましたので、すべての檀家の荼毘式、供養に携わることができました」


――震災や原発事故以降の避難生活での健康被害はありますでしょうか?
 
「震災と原発の爆発による避難の影響で、病院、郵便局、銀行、新聞などの公共の生活関連施設がストップしました。緊急避難を余儀なくされた重症者が途中で亡くなるという痛ましいケースもたくさんあります」

「地震と大津波そして原子力発電所の爆発事故による震災ショックで、それぞれに過重なストレスがかかっています。とくに家族の命や家屋のすべてを失った方の喪失感や虚脱感は尋常ではありません」

「仮設住宅では家族で4畳半の部屋で暮らしていますし、壁が薄いので隣の物音がとても大きく響きます。物音で隣に迷惑かけているのではないかととても気を使います。仕事もなくて、部屋に閉じこもっているとそれだけでストレスになります」(檀信徒)

「いろいろと考えてしまって、夜眠れません」

「仮設生活のストレスで、血圧は上るし髪の毛は抜けるなどの心身の変調があります」(檀信徒)

「かならずしも同じ地区の人たちが一緒の仮設住宅に避難しているわけではないので、閉じこもってしまう人もいます」

「このような会合にお集まりくださる方はしっかりしていますが、参加できない人の多くは心が病んだり荒んでいます。将来に対する不安やストレスから来るんでしょうね」(檀信徒)



――仮設住宅での住民の健康を増進するような取り組みはありますか?

「ある地区にハウスを建てて、一坪農園を始めました。仮設住宅に移って仕事もできなくなった農家が、近くの一坪農園で作業するようになって、お爺さんがしっかりと立てるようになりました」(檀信徒)


――避難所や仮設住宅へはご家族全員で移動されましたか?

「南相馬市は一般的には全部ばらばらなんです! 事故前は3世帯(世代)一緒にいる家庭というのは珍しくはありませんでした。それで一旦全員が避難して、そして避難先から戻ってきたのが、子どもたちは(放射能汚染が)心配なため、年配の方だけが戻ってきている状態です。長男だけが仕事で地元へ帰ってくることを『震災後逆単身』と呼んだりしています」

「若い世帯が帰ってきたくても、幼稚園や保育園がまだ開設できない状態なので、避難継続の傾向が続いています」


――震災や原発事故で、寺院のさまざまな活動にも影響があると思いますが‥‥

「当寺では寺族と子ども2人は、それぞれ避難しています。家族がバラバラで、住職だけがここに留まっているという状態でした」

「震災と事故から約1年間は人気の少ない、とても暗い感じでしたが、当寺では檀家さんがお出でになれなくても、努めて檀務や年中行事は続けてきました。毎年4月1日には花祭りと大般若会があるのですが、去年の4月の時点では、檀家さんにもお寺さんにもおいでいただけなくて、ひとりでお札の準備とご祈祷をしていました」

「警戒区域ギリギリのお寺でしたので、お寺ではいつも通りの行事を営んでいるということで、皆さんの心の拠りどころになれたらという思いでした」

「当寺では、ボランティアの方にも来ていただいて、このような茶話会を何回か開催しています。ご協力くださった方には本当に感謝しています」


――避難所の檀信徒さんとはどのような交流がありますか?

「震災直後から、火葬場の供養の合間をぬって、避難所を訪問して、各地区の檀家の方の安否を尋ねて回りました。避難所からそれぞれが移転する時点では、ほとんどの檀家さんの所在の確認ができました」

「大津波で家屋が流出した地域の檀信徒には、役員と一緒に1軒1軒まわって、宗務庁から贈呈いただいたカード型三尊仏をお届けしました」


――震災と事故による経済的な打撃は大きいですか?

「福島第一原子力発電所から20㎞圏のすぐ外ですので、屋内退避や避難などにより、居住、移動、財産や生業や雇用では壊滅的な打撃を受けました。地区指定を解除されて居住ができるようにはなっても、主産業である農林水産業はストップしたままです。水田耕作は自主規制がかかっていて、市全域ではやっていませんし、畑作は規制外ですが、流通・販売できません」


――南相馬の田畑では今年も生産できないそうですが、道すがら見ますと、意外と雑草がきれいに刈り取られているようですが

「来年こそ作ろうという思いで耕しているのです」(檀信徒)


――農業などの生業を奪われた方々は補償や賠償などの請求をなさっていますか?

「しています。東京電力から断られる場合もありますし、どっちが被害者か加害者かわからないようなこともしばしばです。東電へ請求書を書くにしても煩雑すぎて頭が痛いですね。書き方が分からないと私たちが会社まで聞きにいかなくてはならないのです。逆ですよね」


――放射能の影響についてお尋ねします。当地での放射線量測定について教えてください。行政で放射能の強さを測って、公表していたのはいつくらいの時期からですか?

「去年(2011年)の5月から、地区の集会場や公共施設など、南相馬市内各所を毎日測りました。この頃は、土・日はしないようになりましたけれども」(檀信徒)


――行政によっては、わざわざ除染した場所で計測して、実際の値よりずっと低いというところもあるようですが

「南相馬市の場合は、環境衛生課という部署が毎日のように測っていますが、これはマニュアルにしたがって正確にやっています。やっていないのは福島県と国です。この人たちがでたらめなことばっかりやっているものですから困ります」(檀信徒)

「私たちは地域のボランティアで、正確できめ細かい放射線量測定をしています。今年の10月5日に東京に行きまして、モニタリングポストの数値と我々の測る数値はあまりにも違うことを、記者会見をしまして、全国でいろんな紙面で取り上げていただきました。あのモニタリングポストという装置で、我々の被ばく線量を積算していますから、将来5年後10年後に病気になった時に、実は半分の積算しかありませんでしたということになるものですから、今ある実際の測定値を、正確に記録していかないといけない」(檀信徒)


当地の空間放射線量はどのくらいでしょうか?

「今このお寺のあるところも、事故前の原発の中より汚れているんです。今この本堂では0.26マイクロシーベルト毎時とおっしゃいましたけれども、表は0.6~7以上もあります。通常、原発の中では、これまで上限で最高の数値が0.6マイクロシーベルト毎時ですね。ですから原子力発電所構内より汚染されておりまして、本来、人は住んではいけないですし、飲み食いしてもいけない。でもそこには子供が住んでいるんですよ! しかし、これがニュースにならないわけなんですね」(檀信徒)

「先ほどに細かく測るとおっしゃいましたが、ここでも10マイクロを超すところがあります。軒下とか排水溝とかでは、大体のエリアで10マイクロ超すところはざらです


――地面の放射線量はどのくらいですか?

「地表を調べれば2000ベクレルなんてもう低い方の値で、何千・何万ベクレルというのが当たり前にあります」


――耕作地土壌のベクレル値は下がっていますか?

「いや、下がっていませんね。マイクロシーベルト毎時という空間線量は大分軽減しておりますが、地面と土壌の汚染はほとんど下がっていません」(檀信徒)


――住民の皆さんは内部被ばくの測定をなさいましたか?

「希望者は測定しています」

「測定器の精度が荒いものですから、200ベクレルくらいまでしか測れない。食品だと10ベクレルくらいまで測れますが、いったん体の中に入ったものは測れません。それから今測ってよいと言っても、当初飛んだ放射性ヨウ素ですと、半減期8日を過ぎると検出されなくなるわけですね。それで今、大丈夫でも、爆発事故当時どんな行動をしたかということが大事でして、今測っても数値は当然出ませんから、当時どんな行動をしたかによって、将来、甲状腺とかに影響がでてくると思います。ですから、私の場合は測るのは意味がないと思って測っておりませんけれども、内部被ばくを測っていらっしゃる方は、当然県民調査ということでやってらっしゃいますけれども」(檀信徒)

「福島県民が放射線被ばく調査のモルモットにされているんじゃないかなと不信感があります」(檀信徒)

「初期の被ばく測定値が一番重要ですが、行政が発表していないので本当のところは分かりません」(檀信徒)


当地で放射能汚染や放射線の被ばくについてのご心配や不安はありますか?

「この地区は警戒区域外で避難しませんでした。当初、強制避難させられた人は本当に気の毒だったんですけれども、今となっては、22㎞(警戒区域外)で避難していないこの地域住民の方が内部被ばくしているわけなんです。遠くに避難している人は当初はかわいそうだったんですけれども、今は補償も多いし、それから放射能の外部被ばくも少ないですから、むしろ健康上はさほど問題がないと思います。反面ここに長く除染もしないままで住んでいる我われは、一番、放射能を体に浴びている可能性が否定できないわけです」(檀信徒)


――住民が安全に生活していくためには当然、除染が必要になると思いますが、お寺や地区の除染というのは実際はどのようになっていますか?

「未実施です。国の直轄除染事業は20㎞圏内と飯舘村のような計画的避難区域だったところだけで、あとは市町村に費用を交付しています。南相馬の場合は400億という枠を貰っているんですけれども、ただ使いきって、お寺さんまで来ないかもしれない。線量が高い山間部の除染が思うようにはかどらないので」(檀信徒)


――当地での除染事業の問題点や障害はありますか?

「南相馬市、福島県や国は、耕作した田んぼの土壌を測って何千ベクレルですと言っているんでけれども、チェルノブイリの場合、1軒1軒の庭の表土を測っているわけですね。そういうことをしないで、耕起した田んぼの線量がこれだから安全ですよ、と言っているわけです。庭の土は耕作しません。そのままの表土ですから放射線量は桁違いに高い。ちなみに私の家の庭は1㎏あたり47000ベクレルです! それでまだそのままです。行政は一切測ってくれません。私たちは日々そこから放射線浴びているわけですから、それを除去して貰えば下がるんですけれども。仮置き場が決まらないということでやってもらっていません」(檀信徒)


――南相馬市は原子力発電所には近い地域ですが、原発事故の前は不安や心配とかは皆さん方おありになりましたでしょうか?

「全然なかったです。安全だって言われていましたから。20㎞圏内も分からなかったですからね。 岩盤が固いから大丈夫って言われたから、事故前は全然不安はなかったです」(檀信徒)

「不安はまったくなかったです。小学校の遠足で発電所の施設見学にずっと行っていまして、安全神話を刷り込まれることもありましたから」(檀信徒)

「ただ、私は去年の2月に友だちと話しておりましたけど、テポドンミサイルが間違って着弾してしまったら、すぐ逃げなければならない。何㎞逃げようかと。その時は、50㎞くらいかなと話はしておりました。1ヶ月もしないうちに事故がありましたけれども、想定はしていました」(檀信徒)

「ミサイルでもなんでもなくて、(全電源喪失のため)自分から爆発してしまったのです」


――原子炉が爆発した当時のことを教えてください

「私の家は発電所から23㎞ですけれども、3月14日午前11時頃に3号機建屋が爆発した時は、自宅までもの凄い音が聞こえました」

「今まで大きい花火がドーンとあがると、鳥も逃げるくらいに地響きがするんですけれども、それよりも物凄い音が聞こえてきました。『これはもう終わりだ!』というか駄目だと思いました。12日午後の1号機爆発の時は、これほどではなかった。それでもすぐに山沿いの方に向かって避難しました。そうしましたら、やはりもう連絡はついておりまして、ちゃんとそれらしい人(編者注:自衛隊の化学防護隊か?)が待機しているわけですね。国は危機を知っていて住民には黙っていたわけです。こういうわけだったのかと改めて思いましたけれども、その爆音を聞いた人は結構いるみたいです。もういよいよ駄目だとその時は思いましたけれども、これまで聞いたことのない空が真っ二つに割れるような凄い音だったことを覚えています」(檀信徒)


最後に皆さまからご意見なりご要望がありましたら、率直にお話しください

「原子力発電事故というのは、まだまだ収束していないということを知っていただきたいのです。これは福島県内に住む者皆そういう思いなんです」

「福島県ナンバーの自動車を仲間はずれにしたり、風評や偏見で福島県を忌避や差別をしないでほしい。私たちを温かく親切にしていただいていることには感謝しております」

「後世というか、後の世代の子孫なりに、その原発のこの苦しみをまた先送りするようなことはしたくありません。やはり原発にこれ以上依存しない、脱原発社会そしてクリーンエネルギーというか、安全なエネルギーの先進国になっていくという理念を大切にしていただきたいなと。それを私たち曹洞宗から宣言していただけたら有り難いと思います」

「私の方から、お願いがあります。ほとんどの人の心が病んでいます。先ほどのストレスですとか、将来に対する不安ということで、不安を抱えてそれだけで具合が悪くなる人たちも多いんです。物やお金ではありませんけれども、私たちが特にお願いしたいのは、心のケアなんです。仮設住宅に避難していますが、日々の仕事もないままで、もう心があまりにも荒んでいるものですから、このような茶話会のようなかたちで結構ですから、心のケアを宗教界の人にしていただけないかなと。それは全員には行き渡らないとは思うんですけれども、心が病んでいる住民はとても多いのです。それはご理解願いたいと思います」






ふくしま余韻 ことばによる治癒

ふくしまではもっとも過酷な現場にあるお寺です。

聞き取りのために、私たちが会場に足を踏み入れたとたん、ただならぬ重く沈痛な雰囲気に圧倒されました。

会場となった本堂の奥には、ご遺骨と遺影などが祀られています。聞き取りに協力くださった檀信徒の皆さんは、祭壇にお参りされていました。大地震と津波にはじまり、原子力発電所の爆発から避難中にかけて亡くなられた檀信徒の御霊です。大津波で自宅が流失したり、お墓に納骨できないなどの諸事情で仮安置されています。

原発事故や放射能汚染の影響についてお尋ねする以前に、大津波の災禍の記憶が生々しい中で、私たちは言葉を失いかけました。

当寺の住職さまは、震災と事故の間、ずっと檀信徒や地域住民と苦楽を共にしてきました。

事故原発から20㎞圏(警戒区域)のゲートに最も近いこの寺院にとどまります。津波被害からはじまり屋内退避や緊急避難で離散している檀信徒の消息を尋ねて巡回し、津波等で亡くなられた方の荼毘に立ち会い、宗教宗派を超えて供養を営む日々がつづきました。震災と事故直後で、檀信徒のお参りもままならないにもかかわらず、お一人で恒例の行持を綿密に修行されました。

住職ご自身にもさまざまな悲嘆や不便があるにもかかわらず、平生底で営まれていること―それは、罹災し避難している方がたを招き「茶話会」を開催し、お互いの辛い体験や思いを語り合うということです。

自然の災禍や原発事故と放射能汚染については、物資的な援助や財政上の支援などがつづいています。しかし、ここで起きていることのほとんどすべては、もはや物やお金で解決したり、その損害を相殺できる類のことではありません。

かつて経験したことのないような甚大な災禍における宗教の役割や存在意義が議論されています。たしかに仏教ボランティアのような目に見える救援活動も必要です。もっとも大切なことは、金銭や物資には還元できない人間の尊厳に関わる価値の再発見と再建に宗教と信仰がどう参与できるかです。

檀信徒のおひとりから「心が病んで荒んでいる住民の話に耳を傾けるような宗教者のサポートを望んでいます」―言葉を失う災禍の現場から、ことばによる治癒が始まっています。 ここにふくしま故郷再生のヒントがあるかもしれません。

(人権擁護推進本部記)