東アジア出身の強制徴用等の遺骨奉還の取り組み

人権

曹洞宗では、戦前・戦中に日本の強制連行等で日本企業で徴用・雇用され、死亡した東アジア〈韓国・朝鮮・中国・台湾〉出身犠牲者の無縁遺骨についての調査を実施しております。  
この調査は、2004(平成16)年12月の日韓首脳会談で交された「朝鮮出身の軍人・軍属の遺骨だけではなく、旧民間徴用者の遺骨返還に向けて協力する」という合意にもとづいて、日本政府から全日本仏教会を通じて各仏教教団・寺院へ要請のあったものです。  
曹洞宗では、単なる調査のための調査ではなく、人権問題とりわけ曹洞宗の戦争責任と戦後責任の一環として実態調査を始めることになりました。2005(平成17)年11月のことです。  
曹洞宗は、1992(平成4)年に宗務総長名で「懺謝文」を表明し、曹洞宗が過去に関与した戦争協力や侵略と植民地支配について総括をしています。  
この総括にもとづいて、曹洞宗として戦争協力等の歴史的責任を認め、「二度と過ちを犯すことはしない」と誓願しました。 
曹洞宗は、この「懺謝文」のメッセージをより具体化するために、歴史の真実解明と遺骨奉還に向け、誠実に取り組みを進めております。  
遺骨は故人の生命と人格のかけがえのない象徴です。故人とそれに連なる遺族の尊厳、および永年お預りいただいているご寺院の意向が最大限尊重されるよう、遺族への早期の真心のこもった遺骨奉還および必要な情報の伝達を実現できるように努めてまいります。
そして、この営みが東アジアの真実と和解の一助になることを念願します。
   
※旧日本陸軍浅茅野飛行場建設強制連行犠牲者遺骨発掘事業  
遺骨奉還の取り組みの中の大きな柱の1つが、北海道宗谷郡猿払村浅茅野での遺骨発掘事業です。アジア・太平洋戦争末期の1943(昭和18)年から1944(昭和19)年にかけて、この地に2つの軍事飛行場が建設されました。この建設に多くの朝鮮半島出身者が強制連行され、強制労働の中で多くの方が犠牲となったのです。
犠牲者は共同墓地に埋葬され、戦後、新たな共同墓地が造成された際、日本人の墓地は移されましたが朝鮮人犠牲者の遺骨はそのまま残されました。
第1次発掘事業 
戦後60年以上経た2005(平成17)年、地元住民の証言をもとに少人数で試掘をしたところ、ほぼ完全な成人男性の遺骨が掘り出され、以降、大規模な発掘となったのです。  

遺骨発掘はこの旧共同墓地で、これまで3度に渡って大規模に行われ、合計39体分の個別性の確認できる遺骨が発掘され、現在、隣町の曹洞宗寺院に仮安置されております。  

犠牲者は共同墓地に埋葬され、戦後、新たな共同墓地が造成された際、日本人の墓地は移されましたが朝鮮人犠牲者の遺骨はそのまま残されました。
戦後60年以上経た2005(平成17)年、地元住民の証言をもとに少人数で試掘をしたところ、ほぼ完全な成人男性の遺骨が掘り出され、以降、大規模な発掘となったのです。 
遺骨発掘はこの旧共同墓地で、これまで3度に渡って大規模に行われ、合計39体分の個別性の確認できる遺骨が発掘され、現在、隣町の曹洞宗寺院に仮安置されております。  
曹洞宗は代表役員が実行委員会会長職に就任するなど、主催者団体の1つとして参加してまいりました。  
これは、曹洞宗寺院で安置・供養されているご遺骨も、異国の地の土の中で戦後60年以上にわたり眠っている遺骨も「命の尊厳の象徴」でありますから、この遺骨を掘り出し、記録と記憶とともに遺族の元に奉還するという事業は「極めて宗教的な取り組み」であると考えたからです。 
今後、死亡者名簿の整理・絞り込みや遺骨の身元確認など、奉還へ向けては課題が山積しておりますが、多くの方々と連携をとりながら取り組んでまいりたいと思います。
  
『東アジア出身の犠牲者遺骨問題と仏教』
東アジア出身の強制徴用等の遺骨問題」について、取り組みの意義と曹洞宗の方針を説明し、
さらに、北海道にて行われた遺骨発掘事業の模様を掲載しています。