ふくしま故郷再生プロジェクト現地聞き取りレポート(9)

2020.11.05

東京電力福島第一原子力発電所事故と放射能汚染

寺院住所 福島県伊達市霊山町
協 力 者 住職(代表役員)、寺族、寺院役員・檀信徒 5名
訪 問 日 2019(令和元)年12月23日(月)
位  置 福島第一原子力発電所から51.5㎞
地区指定 無指定
放射線量

室内(書院)  0.101~108マイクロシーベルト毎時
年間推定積算値 0.884ミリシーベルト

 

屋外(山門)  0.116マイクロシーベルト
年間推定積算値 1.016ミリシーベルト

※参考値 
福島駅    0.037マイクロシーベルト毎時

 

ふくしま故郷再生プロジェクト現地聞き取りレポート(8) つづき―

④寺院境内の除染状況

――境内の除染は進んでいますか?

【住職】「除染は、鐘楼堂の雨樋はやってもらいましたがお寺の除染としてはその程度です。雨樋で線量が一番高かったのは、玄関を出たところで、なぜ高い値なのかというと、ちょうど四方から雨水が集まるところなんです。あとは、裏道を行くと、どういうわけかグーンと線量が高くなる場所(桜の木の近く)がある。」

「建物自体だったら、たとえば屋根はひと冬の雪でだいぶ放射性物質が落とされますが、それが下の地面に残ってしまいます。」

 

⑤地域の取り組み事例の紹介

――地域の取り組みの事例を紹介してください

私のところでは、どういうわけかお寺さんとご縁がありまして、私のところの「再生可能エネルギー推進協会・霊山プロジェクト」で、東京の若い住職さんの有志グループ「スジャータプロジェクト」から、私どもへ寄付がありまして、ビニールハウスを建てました。そこでトマト栽培を試みました。2年間補助金申請して、採用されて実施しました。
それから静岡の東伊豆の稲取というところにある臨済宗の寺院住職が、東日本震災の復興祈願ということで、マルシェ(フランス語「市場」)を、お寺の敷地でイベントやって、そこで売り上げた浄財を私どもに寄付していただきました。稲取は静岡の原発が近いので、福島での事故は他人事でないと考え、今のうちにしっかり勉強しておこうと思われてのことのようです。今年は、お金のほかに、友好・交流と復興と親善ということを目的として、河津桜の苗を百本積んで、稲取の人たち7人が一緒に住職さんと来て、桜の苗を植樹してこれを復興の目印にしようということでいらっしゃいました。
震災と原発事故にあって、最初に福島市内の寺さんが、「花に願いを」の思いを込めて、ひまわりを植えて放射能を吸収させようということで、私のところでひまわりを植えたりもしました。そのように、われわれプロジェクトは、お寺さんにご縁いただいていろいろとお世話になっています。

 

放射線の人体への影響心配

――放射能汚染の健康被害について教えてください。

【住職】「当初、キノコなんか平気で食べていて、内部被曝検査でひっかかったものの、今は健康で暮らしている例を散見していますが‥」

「なれっこになって、正直、私も食べていますが、孫たちには食べさせない‥‥」

「われわれは、ほとんどあきらめているんだよね。伊達市の子どもたちが、甲状腺がんの測定をやっているのですけれども、けっこう該当者がいるんです。しかし、福島県で発表しているのは、放射能‥‥つまり原発事故との因果関係は証明できないということなんです。」

 

――もう、結論ありきの、それはもう別の要因であろうと‥‥科学的にそうだといえるはずもないのに。

「そうです。とある漫画家が、震災当時に小国地区に来て、私らより年上の方がいろいろと研究して作ったコメが、美味いコメだということで、漫画の題材にしてくれた。その時、小国地区の子どもで鼻血が出ている子どもがいるということで、そのエピソードも描いてくれた。それだけで、多方面から国からバッシングを受けた。けれども、実際には鼻血が出ていた子どもはけっこういるんです。学校でも、あまり騒がないようにということだが、私のプロジェクトに参加している方の孫にもそういう事例はあってね。‥‥そんなこともありますが、福島県の人はほとんどあきらめているということもあります。」

 

――本当のことは発表されないし、本当のことを言うとつぶされてしまう。

「(本当のことを)言った人が悪者になってしまう。」

 

――国に楯突いているということにされてしまう。

「飯舘であれば全村避難させて、いろいろ補償もあるだろうけれども、このあたりは、線量は高かったものの、いろいろ調べはするけれども、中途半端で、住んでいていいものやら分からない。補償がないから避難するにもできないし‥‥」

「小国地区も、避難勧奨地点は多かったけど、川から国道115号線側は、線量高くても避難勧奨地点になったところがないのよね。「あれはどうしてなの?」と聞いてみたら、いろいろと震災の復興活動やるのに、工事車両が通る道路がなくなってしまうということで、道路沿いは避難勧奨地点にならなかったと。福島市渡利地区なんかもかなり線量高いところがあったようですが、渡利を指定してしまうと、県庁が移転になってしまうという噂を聞きました。」

 

――避難させてもいいところ、させてはならないところは、最初から政策的に決められているということですか。

「私の孫たちは、南相馬の原発から30kmすこし離れたところにいたんですが、子どもたちが心配だということで、福島の県庁前のマンションに移ったところ、なんとそこも線量がすごく高かった。どうしてかというと、除染関係で警察車両とか自衛隊の車を全部、県庁にもってきた。その影響ではないかという話なんです。それでここも駄目だということで、福島市内の大森というところに家を建ててそこへ移ったんです。」

「県庁付近がひどかったもんね。あそこに自衛隊の車がたくさん止まっていて、避難してくる時に、タイヤに放射性物質をつけてくるから‥‥」

 

農業への影響 損害補償の現実

――原子力発電所事故から今までの当地での産業とくに農業への影響を教えてください。

【住職】「いまなお困っていらっしゃるのは、農家の方々だと思います。この「残留放射線量測定値」を見てみると、野菜は平成23(2011)年当時は、「農作物の暫定規制値は、500㏃です」という記載しかない。それから翌24年になると、「この結果は販売用には使えません」ということになった。これを見ると、自家用の農作物は、500㏃以下なら食用にできるが(のち100㏃になる)、販売はできないというなんとも片付かない困惑を抱えることになってしまった。農家は自由には出荷できないというのが現実です。」

――何が安全か分からないままで、簡単に規制数値を操作されても困りますね。私は群馬県に住んでいますが、原発事故による放射能の影響は確実に来ているはずなんですが、農作物の残留放射線量を測っているということは聞いたことはありません。もしかしたら福島の方よりも汚染された野菜やコメを出荷しているかもしれません。

「逆に福島のほうが安心です。出荷品は全部検査していますから。「東京電力福島第一原子力発電所」とあるから、まだ東京近辺の方は理解はあるのだけれども、関西へいくと、福島県というのは一律危ないという意識だった。今はそうではないけれども、当時はひどかったように思う。」

 

――同じ日本の住民でありながら、東と西では、相当な意識の濃淡があります。当初、福島の農産物を関西で売ろうとしたら、「なんで、そんな危ないものをわざわざ売るんだ」という反応があったようですね。

「一応は、買ってはくれるんです。でも、手をつけない、食べはしない。買って気持ちは表してくれるんだけれども、食べないということです。ゴミ箱に投げ捨ててしまったりと。」

「そう、そう。そのように聞いています。」

「われわれも、スーパーに行って、県内産と県外のものがあったら、県外のを買っていたもんな‥‥正直なところでは」

「そういう話を聞くと、生産者として本当にがっかりします。両親が70代で亡くなって、それ以後は、ご指導いただきまして、近くなので、今も地元で桃を生産しています。いろいろと厳しい状況なのですが、以前から農協への出荷に加え、贈答品の直売・直送も、かなりあったのです。原発事故以降は、そのような注文はほとんどなくなってしまいました。それはそれでこのような状況ですからしょうがないとあきらめていたんです。徐々に、食べますということで、親戚とか子どもから販売の話をもらって、いま現在は安値ですが、以前の8割がたは回復しているのですけれども、厳しい状況には変わりありません。」

「放射能の影響でまだ出荷禁止が解除にならないところもあります。補償ということになりますと、震災前から売り上げがあったものに対する補償であって、事故から3年か4年してから植栽したものは、補償の対象外なわけです。自家用はいいですが、販売はだめだということです。フキは販売してもいいが、フキノトウはだめだったり。フキノトウは地面に近いものですから。そういうことで収穫はゼロで、ただ、休耕中にしないためだけに栽培しているという状態です。せっかく作っても、それが流通へ乗らないというのは、生産者にとってとても苦しいことです。‥‥」

 

――農産物を作っても出せないということは、つらいことですね。

「専業農家で農協としっかりとした取引のある農家は、前の年の実績から補償は受けられる。私の地域はほとんどが兼業農家ですから、自宅消費と、親戚や友達にお中元やお歳暮を贈って、暮らしをしてきていた。そういう人たちは、作れなくなっても、いっさい補償はない。お金を出して買ってお歳暮などとして贈るようになりました。目には見えないが、そんな負担がかかってきています。」

「それが一番たいへんだね。われわれは、補償は全然ないし、自分で作っていればそれを食べていればいいが、それも買わなくてはならないからね。」

「販売の実績があれば、それを証明して補償は受けられるが、取引の証明ができない農家は、補償の対象からはずれてしまう。目には見えない損失が毎年かかってくる。」

 

避難時の逸話など 飯舘村の住民は

【住職】「原発事故で、福島県双葉郡浪江町津島から新潟へ一家で避難したとある中学3年生が青年の主張で語った話です。いざ避難というときに、介護の必要な祖父がベッドに寝たまま、「俺はいいから、お前たち避難しろ」と。そうしたら、お嫁さんが「それはだめだよ! 爺ちゃんも一緒に行くんだよ!」と一緒に乗せて、その道すがら、コンビニエンスストアに寄るんだけれども、飲み水も何もない。新潟へ入った途端、明かりがチラチラと見えて、新潟の消防の人に会った。「どうしたんですか?」と聞かれて、かくかくしかじか避難してきたと答えたら、消防の人が「ここまで来たら安心してください。新潟の地震のときはたいへんお世話になったから、今度は私たちがお世話する番だから、安心してください」と言って、たいへん力づけられたと。昔語りになってしまいますね‥(一同笑)‥津島というのはいいところでね。かつて、私たちは高齢者講座で、原発を見学に行ったんですよ。そのときの津島のあたりの美しい風景が今でも印象に残っています。」

――3月11日から始まる一連の震災・津波と原発事故で、建屋が爆発した時、風がもし北風だったら、放射能は海の方へ流れていったのでしょうが、あの時に限って南寄りの風で、この状況になったのですね。

「当初は、茨城方面への風だったようです。あの風がまわって、こちらへ向いて、さらに雪が積もったんです。そのために、霊山とか飯舘には、放射性物質を含んだ雪が降ってしまった。もし、雪が降らなかったら、もしかしたら仙台の方がやられたかもしれない。山によって、気流というのはわからないけれども。‥‥その時、うちの会社は放射能なんてまったく関係なく飯舘村で除雪作業していたもの。放射線量がバカみたいに高いときに、平気で作業していた。」

 

――あれだけ原子力発電所から離れていたら、普通だったら直接の被害はないと思いますよね。政府やマスコミも、放射能の影響は同心円状に広がるので、50キロ~60キロ離れていたら、そんな深刻な被害はないということだったのに、飯舘村が一番深刻な汚染を受けた。

「当初は、地震と津波の被害のことばかりで、放射能のことはあまり考えなかった。」

「そうしたら、放射能汚染はこっちの方だったものね。」

 

――飯舘村の帰還者はどのくらいですか?

「ほんとうに子どもたちはいないもの。」

「おそらくこれ以上は戻らないでしょう。帰還者は全人口の20パーセントどまりだそうです。建物はドンドン建てているけれども‥‥補償があるので。飯舘の公営住宅というのは、普通のアパートではなくて、けっこう立派なもので、よそから移住してきている人もいるみたい。新築の移住者には数百万円くらい給付されるから。私が交流している大学の先生が、飯舘村の村長さんの家の前に家建てて住んでいるのですが、畑を作っても、イノシシが来るからフェンスで囲って安心していたら、今度はサルが来て作物をやられた。その先生から「農家の苦しみがすこしはわかりました」というメールが来たりもしました。たしかに飯舘村は手厚い補償は受けられるが、原発事故以前と一緒というわけでない。建物は立っていくけれども、人は寄ってこないのです。これで復興と言われても実感がありませんね。」

 

⑨ 地区の学校や子どもたち

――ここの地区の学校、小学生や中学生の就学状況はいかがですか? 伊達市外に避難したまま、なかなか戻れないとかありますか?

「ここの小学校では、避難先の福島とか梁川とか保原とかからタクシーで通っていたけれども。」

「住むのは町のほうで、通う学校はこちらでということですか。」

「そもそもそんなに多くはないのですが、児童は18名くらい。」

「あと2年くらいで、おそらく統合になるよね。」

「原発事故があったからということではなくて、前から子どもがどんどん少なくなっていった事実はあります。追い打ちかけたのは事故かもしれないけれども。」

「俺らのころの小学校は、400人くらいはいたんだけれども‥(笑)‥」

「ここの学校の子どもたちは、岡山大学とか各国の大使館とか、いろいろなところでいい学習しているみたいです。なかなか普通は行けないところへ行って。」

「原発事故があってから、外からいろいろと、ボランティアが入ってますね、学校へも。そんな交流もとてもありがたいですね、子どもたちとしては。」

 

⑩ 原子力発電とその後について

――福島県の皆さんとしては、原子力発電事業についてどのようにお考えですか?

【住職】「国としては、原発稼働してもよろしいと。しかし、地元の自治体としたら、住民の理解が得られなければ、ゴーサインを出せないでしょう。いっそのこと、再生可能エネルギーをドンドン国が振興していったらいいのになぁと思います。」

「飯舘村なんか、太陽光発電は元農地に大規模に作っているから、すごいね。飯舘村は電力を自給自足できているのではないかな。ただ、冬場は降雪で思うようには発電できないらしい。飯舘村というのは高い山がなくて、中心は平らだから、発電環境としてはいいのだけれども。」

――もし、原発事故がなかったら、飯舘村は文化的にも、とても豊かな村だったのですね。

【住職】「飯舘村は、歴史的に今の石川県のあたりと関係があるらしいです。文化的に特徴があって、住民の意識も違いますね。以前から、少年・少女たちを海外に研修に出したり、飯舘牛を全国へ発信しようとして、東京の銀座で飯舘牛を披露して宣伝したりと、大袈裟に言えばわれわれと発想がまったくちがいます。」

「飯舘村は、震災前からいろいろなことをやっていたからね。ただ、今はその担い手だった若い人たちがいないから。」

「日本の原子力発電所をこのまま稼働させていくと、その燃料棒の処理が飽和状態になる。もう持っていくところがない。10年間はどうにかなるけれども。
どこへ持っていっても、結局、地下水汚染さまざまな影響がある。いま、いろいろ試しているけれども、蓄電器が整備されれば、十分間に合うようになる。毎日でないから、蓄電していきさえすれば十分間に合うようになる。ただ、蓄電器の需要がまだまだ少ないから、単価がすごく高い。何百万円もかかる。東芝に勤めていた人に聞いたら、そんなの30万円もしないと。どうも行政はそれをやりたくないようだね。ソーラーパネルなどで発電された電力は、東電の自然エネルギー買い取り価格が下落している。採算が合わないようになっている。かえって損するから、お客さんに勧められない。群馬県のゴルフ場で、交換でいらなくなった古いソーラーパネルを15枚位もらってきて、それをとりつけてみた。ふつうは、昼間に発電をするため夜は使えないが、蓄電すれば、家庭で使う分ならじゅうぶん間に合う。考えようによっては、自然エネルギーで十分家庭需要をまかなえるようになります。」

 東日本大震災から9年が経過していますが、多くの人々が様々な困難に直面しております。1日も早く人々の安心した生活が取り戻せるように、人権擁護推進本部としましても、この先もふくしまの人々と寄り添い、取り組んでまいります。

人権擁護推進本部 記