なぜ食材を制限するのか

食べる修行~命をいただく~

なぜ食材を制限するのか

私たちの欲には限りがありません。

では「なぜ、現在の修行道場では植物性食材による調理を徹底しているのでしょうか」と疑問に思われることでしょう。

食欲は生物の生存に深く関わる、非常に強くて制御しがたい欲です。お釈迦さまが説く「どんな食事でもありがたく頂く」という教えも、表面的な浅い理解だけではその根源的な欲求の前では意味をなさないことが往々にしてあり得ます。

美味しい物をおなかいっぱい食べたいという欲望は、現在のわが国は昔に比べれば比較的容易に実現できてしまうでしょう。しかし、その先にあるのは真の満足でしょうか。欲望が際限なく膨らみ、どこまでいっても満たされない中、やがて健康を崩すようなこともあるかもしれません。

そこでいかにして食に向かうべきかを常に点検、反省し、お釈迦さまの教えを実践を通じて身体で覚えるために、道場では厳格な食に関する制限がなされ、毎食ごとにその教えを口に唱えて再確認しながら、常に自らをいましめつつ、慎ましく食に向きあっているのです。

野菜中心の菜食で、分量や味付が過剰にならないように配慮し、欲が暴れないように努めることは、心と身を調える生活習慣を実現し、結果的に僧たちの命を大切にすることにつながっています。なお尊い修行として台所に立つ者の実感としては、実際のところ食材の制限に対してつらさや不便さを感じることはほとんどありません。むしろ、その条件の中でいかにして皆が満足できる味を出そうか、という面白さや楽しみさえ感じるものです。制限を苦痛に感じるのではなく、逆にそこから無限の可能性と楽しさを見い出すか、これもまた禅的な捉え方といえるでしょう。

前へ(食べ物の命に差は無い)