【人権フォーラム】人権思想を理解するために 2 『人権の思想史』を読む


わかりやすい人権思想の概論書

前回の人権フォーラムでは、人権思想の古典として、ヴォルテール『寛容論』を紹介しましたが、他にこれまで数百年間の人権思想のあゆみをわかりやすく解説した概論書はないものかと探してみました。
人権に関する書物は膨大な件数がありますが、なかなか読み物としてお勧めできるものがありません。
ある本は、あまりにも専門的すぎて、予備知識や素養がないとそもそも理解ができない内容ですし、ある本はわかりやすいけれども、あまりにも社会運動論に傾斜しすぎているので、そもそも人権思想にいろいろな素朴な疑問をもっている方には、納得できないような中身でもあります。
そんな中、専門的でもなく、さりとていきなり実践論でもない、初心者にも理解できるような人権思想の概論書がありました。
浜林正夫著の『人権の思想史』(吉川弘文館)という書籍を紹介します。

 

「終わりなき旅」としての人権

この書籍の裏表紙の紹介文を引いてみます。

人権思想の成立を近代ヨーロッパに求め、アジアでの展開など、「生きる権利」を世界史の中に探
る。植民地・女性問題などで、絶えず人権がふみにじられてきたことを通し、人権は「終わりなき
旅」であることを宣言する。

すべての学問は、既成の主義主張や常識という「答え」からではなく、「問い」を学ぶところから出発します。人権思想も例外ではありません。人権思想への素朴な疑問点は、だいたい次の三点に集約できます。
最初は、人権思想とその実践がそんなにすばらしく、万人の安全と平和を保障する営みであるならば、数百年かかっても、いまだにさまざまな差別や暴力そして紛争や戦争がなくならないのはなぜか?という疑問です。
第二には、人権思想は、不可侵の普遍的原理だと言われても、現実には不平等で不自由なことの方がむしろ普遍的に見えるという疑念です。
第三には、人権思想とその実践の内容が次から次へと変化・拡張し、昨日まで当たり前とされてきたことが、今日からは差別や人権侵害とみなされるということがしばしばあります。いわば安定しない人権思想への不信感です。
これらの疑問や疑念にたいして、この『人権の思想史』は「終わりなき旅」とわかりやすく応じてくれます。詳しくはこの書籍をお読みください。

 

 

裏切られた人権宣言

『人権の思想史』には、とても衝撃的な一章があります。普通、人権思想の概説書というのは、近代西欧におけるフランス人権宣言から始まって、それ以降の人権獲得の闘争の歴史を礼讃するような叙述が一般的です。
しかし著者の浜林正夫氏は、あえてそのようなスタイルを採用していません。そればかりか、「裏切られた人権思想」なる章を特別に設けて、人権思想にまつわる光と闇とを問い直すという姿勢が一貫しています。これを浜林氏は「近代の問い直し」(あとがき)であるとしています。
具体的にはこの『人権の思想史』をお読みいただくとして、その中のトピックスは、「女性の人権」という項目です。

 

女性の権利宣言とは

人権思想史の専門家には常識ですが、あまり知られていない事実があります。それは1789年「フランス人権宣言」に関わる問題です。
通称「フランス人権宣言」と呼ばれる有名な宣言文書は、正式名称を直訳すると「人(男性)の、および(男性)市民の権利宣言」となります。
「人権」ということですから、女性も男性も平等に扱われているはずだと現代の私たちは思い込んでいます。しかし、現実の「フランス人権宣言」は、正確には成年男性のみを対象としているのです。
この矛盾については、フランス革命期にすでに問題提起されています。革命運動の実際の担い手として、女性が多く参加しているにもかかわらず、あいもかわらぬ男性優先の志向(王政期ですら一部女性の参政権が認められていました)にたいして、女性劇作家のオランプ・ドゥ・グージュ(1748~1793)が立ち上がります。
グージュは、「フランス人権宣言」に対抗して、その2年後の1791年に「女性および女性市民の権利宣言」を発表(実際はマリー・アントワネットへの請願)しています。
女性も男性も「人」として平等対等だということは、かならずしも当時のフランス社会の一般常識ではありませんでした。
グージュは、この「女権宣言」を公表してから、2年後に反革命の容疑で逮捕投獄され、弁護人ぬきの政治裁判を経て死刑に処せられました。
グージュの至極まっとうな主張は、彼女の生命とともに潰えたのです。
女性の権利で早くも人権宣言はつまずいていたのですが、浜林氏の指摘はこれだけにとどまりません。著者は西欧起源の人権思想とその運動について、どのような人々の何を「人権」とみなすかを検討して、文字どおり「人」であるということにのみにもとづいた権利ではなかったと見ています。
たとえば、欧米列強は世界各地に植民地支配を広げていく中で、その植民地において先住民は虐殺や侵略の対象となっていた歴史を明らかにしています。また、欧米社会にあっても、有色人種や少数民族などは依然として対等な「人」と見なされてこなかった現実も指摘しています。このような問題が、実は現代の様々な紛争やテロリズムの温床となっていることを示唆しています。
このように、人権思想の拡張には、様々な矛盾や逆行・背理が多々あります。ここにあげたような矛盾があるから駄目だというのではなく、それこそが人権思想という営みの本質であることも示唆してくれます。人権思想の闇の部分も含め、そのあゆみを批判的に見直しているのが他にはない本書の特長です。
人権思想とその歴史についての様々な問題意識をもって読むと、かならずや応答してくれます。そのような問いの学びのためにお読みください。

 

著者からのメッセージ

著者の浜林氏は「あとがき」で読者にむけて次のようなメッセージを届けています。

本書を読み終わられた読者にはくりかえす必要はないであろうが、私がなによりも強調したかったことは、人権というものは天から与えられたものでも、人間に生まれつき備わっているものでもなく、人びとの日常の努力のつみ重ねによって獲得されたものであり、これからもそれによって支えられなければならないということである。

人権思想は、歴史や社会の現場で形成された産物ですから、これらについての知識や情報は必要です。ただ、人権は知っていればいいということではないのですから、各々の生活の現場において人権に気づきそして実践していくという日常の営みが大切になります。
そのような実践の場にあって、本書は有益な羅針盤となると思います。

書籍を読んで独習されるもよし、グループで輪読して感想を述べ合うこともよし、研修会の講義テキストとして利用するもよし、いろいろな状況で活用できる基礎的な人権思想の概論書です。

 

書誌情報
▽書籍名称
 人権の思想史
▽叢書名称
 歴史文化ライブラリー68
▽初版発行日
 1999(平成11)年6月1日
▽著者
 浜林正夫
▽発行所
 ㈱吉川弘文館
▽体裁 B6版 229頁 並製本
▽価格 定価 1,700円(本体)
▽目次構成
 人権思想の成立
  生きる権利
  身分制社会とのたたかい
  イギリス革命
  イギリスからアメリカへ
  フランス革命の「人権宣言」
 裏切られた人権宣言
  「人権宣言」の批判者たち
  植民地と人権
  先住民の虐殺と土地「清掃」
  女性の人権
 ヨーロッパのなかの「植民地」
 近世アジアと人権思想
 人権思想の展開
 あとがき

(人権擁護推進本部記)