梅花のこころ~梅花流詠讃歌~ ─ 「坐禅御詠歌(浄心)」 ─

2019.06.01

毎月発行の『禅の友』では「梅花のこころ~梅花流詠讃歌~」と題しまして、梅花流詠讃歌の曲をもとに、解説や執筆者の想いなどを紹介しています。今月は梅花流特派師範、千葉県新井寺、松井量孝先生による「坐禅御詠歌(浄心)」 のお話です。

 

にごりなきこころみずにすむつき

なみくだけてひかりとぞなる ひかりとぞなる

         坐禅御詠歌ざぜんごえいか 浄心じょうしん)」

 

この歌詞は、大本山永平寺を開かれた道元禅師様が詠まれたとされるお歌がもとになっています。
身体と呼吸を調えて、ただひたすらに坐る。そこには、坐禅以外のことは何もありません。いま・ここ・このことに身体と心をおき、坐禅と自分とがひとつになってどっしりと坐る。おのずから身体と心が安定することに気がつきます。わたし自身の日常には、ざわざわした心、イライラした心、焦る心など、感情や思考の波にまきこまれてしまった自分が、坐禅の後にはリセットされたように落ち着いていたという経験がしばしばあります。

「濁りなき心の水にすむ月」とは、坐禅の心に宿る月と考えられます。坐禅の心で日常生活に向きあうとき、悩みや迷い、とらわれや邪な念い、煩悩といった「波」が砕けて「光」となる。すなわち、行じ続けて深まりゆく坐禅の心が、ゆるぎない安らぎへと導かれることでしょう。

日ごろの詠讃歌のお稽古のはじめに、まずは姿勢を正して坐る。静かに呼吸を調える。さらに、「坐禅御詠歌(浄心)」をお唱えすると、なんとなくざわついていたわたしたちの心も落ち着きをおぼえます。そして、坐禅の心で唱える詠讃歌の響きは、心の闇を照らす光となって伝わります。

わたし自身をふり返ってみますと、身体と心の安定の積み重ねは、そのまま日常生活の安定や安心につながっているように思えます。たとえわずかな時間でも、「坐る」時間を大切にしたいものです。


皆さまもどうぞご一緒にお唱えいたしましょう。

 

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