梅花のこころ~梅花流詠讃歌~ 「聖号」

2020.03.12

毎月発行の『禅の友』では「梅花のこころ~梅花流詠讃歌~」と題しまして、梅花流詠讃歌の曲をもとに、解説や執筆者の想いなどを紹介しています。今月は梅花流特派師範 東京都 宗保院 鬼頭広安による、「聖号」のお話です。

南無本師釈迦如来なむほんししゃかにょらい
南無本師釈迦如来なむほんししゃかにょらい

      「聖号」

ある朝まだ肌寒い中、墓前にひたすら手を合わせている方がいらっしゃいました。しばらく見ていると、わざわざご自宅から持参してきたであろう急須きゅうすにお湯を注ぎ、亡くなられたお母さまに入れたてのお茶を差し上げていたのでした。一杯のお茶を通して、お母さまへの尽きぬ想いを胸に様々な言葉で呼びかけ、語り合っていたに違いありません。

今回ご紹介する聖号の「号」とは、お名前のことを意味します。お釈迦さまのお名前を呼びかける短い曲です。

相手の「名前を呼ぶ」行為が対人関係を築く上で効果的である、というお話を心理学の先生から聞いたことがあります。確かに、「おい」とか「お前」ではなく、名前で呼ばれたほうが親近感を抱きやすいですね。

お墓やお仏壇に手を合わせる時、私たちは面影を偲びながら無意識に故人さまのお名前を心の中で呼びかけているのではないでしょうか。そして、自然と心に安らぎが訪れます。

詠讃歌を唱える、ということは、誰かに呼びかけをすることです。呼びかけることは誰かと「つながる」ことです。その相手は、お釈迦さまや観音さま、あるいは亡くなられた大切な方々、更には同行同修のお仲間です。そして何より自分の心にも語りかけることができるのです。ここに詠讃歌の素晴らしさがあります。

人はつながりを持つと、優しくなれます。もうすぐお彼岸。ご先祖さまとのご縁に思いを馳せて、みずからの生き方を振り返る大切な修行の期間です。あたたかな呼びかけ一つで、きっと心が軽やかになることでしょう。
 皆さまも一緒にお唱えしてみませんか。

こちらから視聴できます

~梅花のこころバックナンバー~