梅花流ことはじめ【その2】戦後のご詠歌事情


1952年に始まる曹洞宗の梅花流は、他の流派のご詠歌講にくらべると後発だったことを前回お話しいたしました。各流派の成立年を見ると、1911〜1936年までに真言宗系諸流や臨済宗系花園はなぞの流が発足し、その後は1945年の浄土宗系吉水よしみず流など多くのご詠歌流派が続々と生まれてきたことがわかります。1945年は、第二次世界大戦終戦の年でした。つまり戦前に先行するご詠歌諸流が始まり、戦後に再び多くのご詠歌流派が出来たということになります。

これについて真言宗智山派密厳流みつごんりゅう遍照講へんじょうこうの歴史をまとめた『密厳教会遍照講五十年史』(密厳流史)をみると、同講の活動は戦争直前の1939年頃から停滞し、同じ真言宗系の大和やまと流、金剛こんごう流もともに戦時中は「漸次下火ぜんじしたびとなって」いたとあります。そして戦後の1948年より「遍照講の再出発」がはじまり、「戦争が終わり、平和な社会にもどるとこれまで下火となっていたご詠歌は、再び燎原りょうげんのように発展していった。戦争で亡くなった人たちへの慰霊とともに、戦時体制の中で押さえつけられたものへの反発が強かったのであろう」と述べています。

また臨済宗妙心寺派公式HPの「花園流御詠歌の歴史」によると、1936年に花園流大慈教会が結成されましたが戦争によって停滞し、戦後再興の気運が高まり1950年に花園流無相むそう教会として再出発したことがわかります。

こうしてみると、戦前に成立していたご詠歌諸流も戦時中はその活動が停滞し、戦後になって復活してきたと言えるでしょう。密厳流史によって1948年後のようすをうかがうと、

1949年 全国各流讃仏歌大会(世界平和祈願並万国英霊追善法要行う、約3000名参加)

1950年 各流讃仏歌奉詠大会(日比谷公会堂、NHKニュース全国放送)。世界平和確立祈願詠歌和讃奉詠会(5000人参加)。世界平和祈願戦没英霊追善讃仏奉詠大会(2500人参加)。

1951年 東京真福寺にて新曲講習会 

1952年 総本山本堂落慶慶讃大法要(NHKラジオ全国放送)。釈尊成道奉詠全国詠歌大会(日比谷公会堂、約3000人参加)

と大規模な奉詠大会等が相次ぎ、しかも世間の注目を集めていたことがわかります。

戦争に先んじて成立していた他流の事情も、ほぼ似たようなようすだったのではないでしょうか。そして戦後に成立する多くのご詠歌流派は、こうした状況を背景に生まれてきたのでした。梅花流もその一つだったと考えられます。その頃、世はご詠歌ブームとも言えるような状況だったのです。

秋田県龍泉寺 佐藤俊晃

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