梅花流ことはじめ【その3】音楽活動と仏教


第二次大戦後、さまざまな流派のご詠歌講が活発になってきたことをお話しました。次には〈ご詠歌〉という小さな世界から、もう少し視野を広げてみましょう。

昨年、NHKの連続テレビ小説で、昭和前半に活躍したある音楽家の半生をとりあげていました。戦後の混乱から復興していく日本社会と、その中で活躍する主人公たちのようすが印象的でした。「青い山脈」や「長崎の鐘」など、希望と平和を志向する歌の数々が、当時の空気をよく映し出していました。まさにあの時代が梅花流誕生の舞台だったのです。

戦時中、多くのことが抑圧されていましたが、終戦を契機に民主平和路線へ国の方針が転換され、それを追い風に新たな動きが盛んになっていました。言論の自由化、女性の社会参加など社会的な変化とともに、音楽活動の活性化もその一つでした。そして一般の音楽シーンだけではなく、仏教音楽と呼ばれる分野でも同様のことが起こっていたのです。

その一つに1948年の日本宗教音楽協会の結成が挙げられます。この協会は「宗教」という名前ですが実際には仏教音楽の普及を図るのが目的でした。『讃仏歌集』シリーズの刊行をはじめ、蓮如上人れんにょしょうにん四五〇回忌記念音楽会(1948年)への楽曲提供など、多彩な音楽活動を展開します。そもそも仏教音楽の活動は明治以後、キリスト教讃美歌に対して日本の伝統的信仰である仏教を、新たに洋楽形式で弘めようとの発想から始まりました。昭和初期には当時の文部省の中に仏教音楽協会が設立されました。つまり仏教音楽の振興は国策でもあったのです。しかし第二次大戦参戦とともにその協会は中断してしまいます。戦後の仏教音楽が再び盛んになってきたのは、その背景に荒廃した国土から再出発するために、心の支えを仏教信仰に求めようという気運があったからです。

このような戦前〜戦後を通じた仏教音楽運動の主要メンバーの一人に、音楽家・権藤円立がいました。権藤は後に梅花流の活動に関わり、重要な役割を演ずることになります。このことはもうしばらくして述べましょう。

仏教音楽活動のもう一つは、各仏教教団の音楽活動です。蓮如上人遠忌おんき記念音楽法要のことは先ほど述べました。天台宗では1949年に立宗記念法要として「音楽法要儀」「新音楽法要伝教大師御影供でんぎょうだいしみえく」が発表されました。また真宗大谷派では門主自ら設立(1947年)した大谷楽苑がくえんがあり、演奏会や「讃仰歌さんごうか 」の発表などを展開し、諸宗の中でも先進的な活動でした。

ではその頃、曹洞宗教団は音楽的な面でどのような活動をしていたのでしょうか。

秋田県龍泉寺 佐藤俊晃

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