【人権フォーラム】2021年度人権啓発資料について~みんなお寺に来て欲しい~


1、障害のある人たちの置かれている状況

「みんな」とはだれのことでしょうか?

みなさんは「みんな」と言う言葉から何を思い浮かべるでしょうか?

昔、友人に尋ねたときに「『みんな』って言葉から思い浮かぶ人たちの中で、好ましい人たちが『みんな』なんではないかな」とシニカルな回答を貰ったことがあります。非常に腑に落ちる思いでした。

本来は「すべての人」を指すと思うのですが、狭義に「自分の所属すると思うカテゴリの中にいる人たち」として使われる言葉であるかもしれません。

「みんなお寺に来てほしい」と聞いたときに、誰を思い浮かべているでしょうか? それは「すべての人たち」でしょうか? それとも狭義な「自分と同じカテゴリの人たち」でしょうか?

もし「自分と同じカテゴリの人たち」であったときに、そのカテゴリは「誰かを排除」してはいないでしょうか?

 

成人式の話~重度知的障害のある青年たち

私は知的障害のある子どもたちと長く関わりを持っているのですが、あるときに「成人式は、どうするのですか?」と知的障害のある子どもの親御さんに聞いたことがあります。  

「一般の成人式には、同じ学校の子たちもいないし、内容もうちの子どもが理解できる(楽しめる、そこにいたいと思える)ものではないから、行くつもりはありません。特別支援学校では、この子たちのために先生たちが『成人を祝う会』を催してくれるので、そこに行きます。式の内容もこの子たちが理解して、楽しく参加できる内容を工夫してくれていて、お友だちもそっちにいくから」と答えてくれました。

知的障害のある多くの子どもたちは特別支援学校や特別支援教室で小学校、中学校で学び、特別支援教室のない高等学校の時期は概ね特別支援学校で学びます。そして、多くの自治体が開催する成人式は、障害のない多くの子どもたちを対象としてデザインされています。

ある中学校の校長先生が、卒業の式辞の中で「◯◯中学校は◯◯地域の子どもたちみんなの故郷(ふるさと)です、卒業をしたあともずっとありつづけて、みんなが帰ってこれる場なのです」とお話しされていました。私は、この「みんな」には、障害があるために地域の学校に通うことを選べない、その地域の「知的障害のある子どもたちは入っていないんだよなあ」と心の中でつぶやいていました。

 

懇親会での出来事

ある福祉関係のイベントの懇親会がありました。スタッフ、関係者、参加者でワイワイと繰り出して、自分たちの馴染みがある居酒屋に「なにも考えずに」向かったのです。参加者には身体障害があり車椅子を使用している人もいたのですが、そのときに流れで行った居酒屋は二階で、階段は車椅子では入れない状況のものでした。そこにいた人たち(私を含め)は当然、車椅子を使用するメンバーがいることは知っていたのですが、さて入れない人がいるとなり、慌てて違う店を探して全員で入れる店に行ったのです。車椅子を使用する本人はどんな気持ちだったのでしょうか。私は本人に深くお詫びをしたのですが、苦笑いされながら「良くあることだから。でも今度からは気にかけてください」と話されました。その後、私が「また行きましょう、バリアフリー化されたお店をもっと探しておきます」と伝えると「ぜひ。そして、中村さんは良く居酒屋に行くみたいだから、車椅子を使う人と一緒でないときにも、ぜひ、そのお店を使うようにしてみてください」と言ってくれました。

これは、日常的に意識して欲しいということと、バリアフリー化された飲食店は少ないので応援してあげて、の二つ意味があったそうです。

 

2、学びのポイント1 ポスター制作で意図したこと

発信することの意味

今回のポスター制作は、私が曹洞宗人権啓発資料作成に関わり出した2018年から懸案としてあがっていたものです。

曹洞宗で実施した、障害理解の研修(障害平等研修:DET)実施の中で、研修に参加者(主に僧侶)から「うちの寺には障害者、来ないから(来たことがないから)……」と言う言葉を聞くことがありました。

しかし、それは「来ない」のではなく「来れない」なのです。厚生労働省HPには「人口千人当たりの人数でみると、身体障害者は34人、知的障害者は9人、精神障害者は33人となる。(中略)、国民のおよそ7.6%が何らかの障害を有していることになる」と記されています。

障害のある人だけではなく、加齢による身体状況の変化から車椅子等のサポートが必要だが、障害認定を受けていない高齢者もこの数に足されていきます。決して少ない数ではありません。しかし、私たちは目の前にいないために実感ができず、そして、自分の都合に合致しない人たちを「みんな」から排除して捉えているのです。

重度障害のある人たちは様々な場面で、そのような体験をしています。成人式を主催する人にとっては、「成人式に参加できなかった」は一つの事例でしかありません。懇親会に参加できなかったとしても、懇親会の幹事にとっては、一つの出来事でしかないでしょう。その方が「お寺にお参りにいけなかった」ということも住職にとっては、一つの出来事でしかないのではないでしょうか?

しかし、その障害のある人やその家族にとっては、暮らしの様々な場面で、人生の色々な場面で、沢山の障壁=障害があり参加を拒まれてきているのです。

意図的に障害のある人を排除している(排除したい)と考え、実行している人はいないでしょう(いないと考えたいと思っています)。しかし、ここまで記したとおり「意図せず障害のある人を排除する状況」を私たちは作ってきています。そのことに気がついたときに「では、障害のある人が来たら考えよう」と沈黙しながら待っていても、そこは障害のある人たちにとって「自分を受け入れない場所」なので、自ら門をたたくことは稀なのではないでしょうか?

曹洞宗の障害理解の様々な取り組みに関わる中で「障害のある人がお寺にお参りに来ることの障壁について、一緒に考え、悩み、解決していきたい」と意思表明をすることが必要であり、それが障害のある人たちとの「対話」の始まりになると繰り返しお伝えしてきました。

今回のポスター作成は、曹洞宗としての3年間に渡る障害理解と障害者差別解消への学びの具現化だと思っています。新しい発信をすることは、とても勇気のいることであると思います。これまでの学びを通し発信を決意されたことに敬意を覚えます。

前号で触れた、曹洞宗「アース禅堂」のみなさんと環境フェス「アースデイ東京」へのバリアフリーの導入に取り組んだときに、「障害者サポートセンター」の設置と運営を一緒にしていただきました。このサポートセンターには簡易ベッドを設置した更衣室を設けたのです。多くの車椅子用トイレには簡易ベッドはないため、機能障害から座位のとれない方や紙パンツ・おむつなどを使用していて、ベッドでの更衣が必要な人には不十分なことが多くあります。この更衣室の設置をネットやSNSで知らせたところ、当日、3人の重度重複障害のある人たちが、その家族のサポートを受けながら参加しにきてくれました。

サポートをする家族(このときは母親)から「いろいろなイベントに連れていきたいけど、ベッドがあるトイレはほとんどなくて、なかなか行けない。今回、ベッドがある更衣室を用意してくれていると聞き、来ることが出来ました」と感謝を伝えてもらえました。アースデイ東京は12万人くらいの参加者がくる大規模イベントでしたが、私は12万人の中でのこの3人の参加にとても価値を感じました。そして、発信をして伝えていくことの重要さを実感した場面です。

 

3、学びのポイント2 行動が学びを定着させ広げていく

知ることと行動すること

知識を得ることは非常に重要です。しかし、知っているだけでは様々な知識の一つでしかありません。その知識に基づいた行動をもつことで、自分の中で定着していくのだと考えます。知識に基づいた小さな行動の繰り返しが必要なのです。

曹洞宗人権擁護推進主事研修等で実施してきた障害平等研修(DET)でも、障害者ファシリテーターとの対話を通し「障害の社会モデル」視点を獲得し、合理的配慮への理解を深め、最終的に自分が取り組める(実現可能な)行動計画を自ら作成し、実行することが求められます。

今回の「ポスターを貼る」と言う行動は、障害の社会モデル、合理的配慮を知識として理解し、それを実現可能な行動とする一つではないでしょうか? 「いいな」って思ったこと、知ったことは「まず、できることから実行」なのです。

また、行動するということは、その知識や思いを個人の中に留めるのではなく、まわりにいる人たちと共有することでもあります。学校の部活動で「◯◯全国大会を目指そう」とスローガンを壁に貼るのは、儀式だけではなく、共通のビジョンを視覚化してコミュニティの中で定着させていくことが狙われていると思います。このポスター制作の過程で行った、障害のある人たちとの座談会の中でも「ポスターをただ貼るのではなく、関係者などで思いを共有する場面として貼って欲しい」との意見をいただいています。

学びで得た知識を定着させていくために、行動をする、コミュニティの中で共有をする、これは非常に重要な要素といえます。

 

4、ともに悩むことから始まる、「誰一人取り残さない

「何ができるか?」ではなく、障壁を共有することから

見えないところにいる、知らない人が障壁を感じていることに共感をすることは、とても難しいことではありません。しかし、見えるところにいる、知っている人が障壁を感じていることに寄り添い、共に悩み考えることは多くの人にできることなのだと思います。そして、そこから多くのことが始まるのだと思っています。

障害は、環境の中にあり、人の機能障害等の状況によって現れ方は様々です。当然、その解消のあり方も個々で異なります。障害を想像し、憶測し、一方的に環境を整えるのではなく、また、逆に障害のある人と対話をすることなく「できない」と諦めてしまうのではなく、このポスターを貼り、そのことで、お寺を尋ねてきてくれた障害のある人の傍らに立ち、同じ視座からの視点でお寺を眺めて欲しいと思います。そこに見えてくる障壁の解消を障害のある人と一緒に考え、悩む、そこから始まるのだと考えています。

「きっとできない」から取り組まないのではなく、できないことが沢山あったとしても、障壁と向き合い生きている障害のある人と対話し、知り合い、できることも、できないことも一緒に受け止めていきましょう。

このことは、障害のある人に対してだけではないと思っています。SDGsに掲げられている「誰一人取り残さない」と言う言葉を実現するために大切なことです。

「困っている人」を「困っていない人」の視点からみて一方的に手をさしのべるのではなく、「困っている人」の傍らに立ち、ともに困難を見据え、パートナー同士として課題の解決に取り組むことが広くグローバルな社会でも、身近な小さなコミュニティの中でも、求められているのだと強く感じています。

誰一人取り残さない「みんな」であって欲しい、そして私自身もそうありたいと思っています。                                   (了)

NPO法人風雷社中 理事長 中村和利

 

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