梅花流ことはじめ【その4】戦後曹洞宗教団の音楽布教


第2次世界大戦後の曹洞宗教団の音楽的方面に関する活動を見てみましょう。

終戦の翌1946年、曹洞宗社会部は民衆教化施策の一つとして「ヘイワ・オンド」(後、平和音頭と表記)を発表します。作詞は山野三郎やまのさぶろう(サトウハチローの別名)、作曲は細川潤一ほそかわじゅんいち(「一本刀土俵入り」「古城」などの作曲者)、舞踊振付は賀来琢磨かくたくま (児童舞踊、童謡詩人)でした。同年6月、大本山總持寺境内にてこの曲の発表会が開催されました。来賓はGHQ司令部の民間情報教育部担当官、曹洞宗管長猊下以下宗門の代表的諸老宿、文部省、日本宗教界、放送局、朝日映画社、新聞各社、音楽関係各社ほか、一般の参集も数千人という盛大なものでした。『曹洞宗報』138号には次の文章が見えます。

幸いにこれが終戦後第1回のお盆を迎へるにふさはしい「盆をどり」として採り入れられ全国津々浦々に普及されて明るい平和日本を建設するの一助ともなれば幸甚である。

この期待どおり、キングレコードから発行された「ヘイワ・オンド」は全国に展開し、数年後には各地で平和音頭大会が開催されるようになりました。

また同じ1946年、『聖典せいてん讃仏歌さんぶっか 』が発行されます。前回お話しした日本の仏教音楽活動の一環としても位置づけられる、仏教歌謡集です。他教団と同じように曹洞宗も戦前よりこうした活動はあったのですが、戦後再び活発化してきたのでした。

さらに1949年に「修証義しゅしょうぎの歌」が新礼讃舞曲(和讃座舞わさんざぶ)として発表されました。これは修証義の原作者でもある大内青巒おおうちせいらんの作詞、本多鉄麿ほんだてつまが作曲(現行の梅花流「修証義御和讃」とは別の曲です)、これに前出の賀来琢磨が振付を考案したものです。また1950年には讃仏歌である「四弘誓願しぐせいがん」(詞・仏典、作曲・小松清こまつきよし)と「のり深山みやま」(作詞・大内青巒、曲・雅楽「越天楽えてんらく」より)をもとに賀来が構成振付をして仏教式典・散華舞曲とまとめたものでした。いずれも曹洞宗社会部からの発表になっています。

このように戦後の音楽活動を通じてみる曹洞宗教化方針は、明るく、楽しく、親しみやすい方向へと舵が切られていたことがわかります。その方針のそもそもの基礎となった戦後仏教教団の布教方針へとお話を進めていきましょう。さきほど『曹洞宗報』の引用文に「平和日本を建設する」という言葉がありましたが、その意味ももうすぐ明らかになるはずです。

秋田県龍泉寺 佐藤俊晃

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