梅花流ことはじめ【その5】新日本建設の方針から正法日本建設運動へ


第2次世界大戦後の曹洞宗教団の音楽的方面に関する活動を見てみましょう。

戦後仏教教団の布教教化方針、その原点の一つと言えるのが、第二次世界大戦終結の翌1946年1月1日に発せられた「新日本建設ニ関スル詔書」でした。これは天皇の人間宣言としても有名な詔書ですが、その中に次のような一節があります。

旧来の陋習ろうしゅうを去り、民意を暢達ちょうたつし、官民拳げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、もって民生の向上を図り、新日本を建設すべし。

つまり戦時中の軍国主義的方針を転回し、民主平和路線へ切り替えた新しい日本を創ろうというものでした。これによって社会の各層、各分野において「新日本建設」をテーマにした再出発が模索されていくことになります。

仏教界においてもそれは同様でした。宗教専門紙『中外日報』のその頃の記事を見ると、田村圓澄「再建日本と宗教」(1946年)、春日禮智「新日本建設運動としての仏教」(1950年)、鈴木宗忠「再建日本の行くべき道としての仏教」(1951年)等、新日本建設へ向けて仏教の立場からどのようにアプローチすべきか、そんな提言が他にも50件以上掲載されていました。

そして仏教各教団ではそれぞれの教団の教化方針を、この大きなテーマに沿わせていくことになります。【その4】で、曹洞宗が1946年にヘイワ・オンドを発表した際、「明るい平和日本を建設するの一助ともなれば幸甚である」と述べていたのは、こうした背景があったからでした。

この新日本建設を、曹洞宗教団はさらに独自の形で進展させます。それは1952年に発表される「正法日本建設」という教化方針でした。同年7月号の『曹洞宗報』に掲載された当時の宗務総長・佐々木泰翁はこれについて次のように述べています。

吾が曹洞宗では、今年度の社会教化運動として「正法日本の建設」なる幟標のもとに、全国的にこれを展開する(中略)。「正法日本の建設」とは、教主釈尊より嫡々正嗣せる仏法即ち曹洞宗義に立脚せる理想社会の建立であり、この地上に正法国土を顕現することである。言わば、曹洞宗の教えを基軸とした理想社会の実現というところでしょう。

この運動理念を弘めるために「明るい日本、正しい信仰、仲良い生活」という3つの標語を掲げました。これをもとに正法日本建設運動はその後しばらくの期間、曹洞宗の基本的な教化理念として掲げられていくことになります。そしてこの3つのスローガンは、この年から始まる梅花流梅花講の基本理念ともなっていくのです。梅花流にご縁の方にはもうおわかりのように、今日の梅花流「お誓い」は、ここに端を発しているのです。

秋田県龍泉寺 佐藤俊晃

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