梅花流ことはじめ【その11】尼僧たちの動向


静岡県・洞慶院とうけいいんにおいて斯道会しどうかいによるご詠歌の研修が始まり、曹洞宗教団でもご詠歌講の創設を模索し始めていた頃、宗門ではもう一つの動きが生まれていました。それは尼僧たちによるご詠歌研修の活動だったのです。この時期、尼僧がご詠歌の研修をするようになったのはなぜなのでしょうか。

『曹洞宗尼僧史』によると、近代の尼僧の歴史は、その地位向上のための戦いの歩みとも言える厳しいものでした。と言うのは、曹洞宗教団内における嗣法しほう・参政権・布教師任命・住職任命等において、尼僧の権限は男僧にくらべ著しく低く、昭和5年5月14日の第2回全国尼衆大会における「宣言」文の表現を借りれば「悲惨な境遇の下におかれてゐる」状況だったのです。戦争の前中後を通じ、尼僧たちの権利獲得の運動は盛んになり、昭和19年には曹洞宗尼僧護国団が結成されました(終戦後、曹洞宗尼僧団と改称)。こうした動きの中、小島賢道こじまけんどう師は昭和25年に尼僧として全国初の宗議会議員となり(当初次点、後に繰上げ当選)、精力的な活動で尼僧団の活動を牽引しました。昭和26年3月、小島師は曹洞宗宗議会に初登壇し、尼僧の権利について強く訴えます。同年の12月、尼僧3人が密厳流みつごんりゅうご詠歌修学のために、埼玉県の真言宗寺院に派遣されることになります。

当時の様子をうかがうために、平成26年、派遣された一人、笹川亮宣ささがわりょうせん師を東京都のご自坊に訪ねました。訪問時91歳の笹川師は、凛としたたたずまいでお話をしてくださいました。

昭和26年当時、笹川師は曹洞宗宗務院内の尼僧団本部事務所(昭和21年新設)の書記役として務めていました。年令は20代の後半、事務所にはいつも小島師が出入りしていました。曹洞宗教団でご詠歌の研修が始まるという情勢も十分に承知しないまま、笹川師は小島師から「あなた、行ってきなさい」と言われ、その言葉に従うままに始まったのが密厳流ご詠歌の研修でした。同行は野村秀明のむらしゅうみょう師と熊倉実参くまくらじっさん師の二人。野村師は当時40代、熊倉師の年齢はわかりませんが、笹川師が一番若かったそうです。

このことは『梅花流指導必携・資料編』「梅花流年表」の中では「梅花流詠讃歌修得のため、埼玉県川口市錫杖寺しゃくじょうじ、密厳流師範・江連政雄えづれせいゆう師のもとに留学生として派遣」と記されています。これを尼僧団の活動と照らし合わせてみると、それまで活躍の場の少なかった尼僧たちの教化舞台として、あらたにご詠歌布教の場が設けられ、3人はその先駆けとして、当時新興勢力として盛んだった密厳流ご詠歌の研修に派遣させられたことがわかります。 そのご詠歌修学とはどのようなものだったのでしょう。__

秋田県龍泉寺 佐藤俊晃

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