【人権フォーラム】ともに生きるセクシュアルマイノリティ~LGBTの枠組みをこえて~


宗務庁庁内人権学習の様子

はじめに

2021年9月、曹洞宗宗務庁職員向けに庁内人権学習会が実施されました。内容は『ともに生きるセクシュアルマイノリティ~LGBTの枠組みをこえて~』(曹洞宗総合研究センター、2021年発行)を講演資料とし、その作成に関わった金子宗元師と本多清寛本部員が解説を行いました。

今回は、宗務庁で初めてウェビナー(インターネット回線を使用したオンライン講演のこと。ウェブ+セミナーを合わせた造語)形式で学習会を開くこととなり、学習会を運営する担当職員は、何度もリハーサルを行い、配信環境を調整しました。このウェビナーは管区教化センターや宗務所でも接続可能となっており、新たな人権学習の手段として変わってきております。

学習会で使用された資料の背景には、「こころの問題研究プロジェクト」があります。このプロジェクトは、自死問題を契機に、曹洞宗の僧侶として相談活動のあり方をどう考えるべきなのかを検討してまいりました。

また、苦しみの渦中におられる方々を支えられるように、僧侶として必要な情報や寺院などでの相談活動における技術などをまとめた資料を作成し、『現職研修』や『寺族研修』でお伝えしております。

講演録『セクシュアルマイノリティの生きづらさ』(総研、2019)

セクシュアルマイノリティの生きづらさ

それらの活動の中で、セクシュアルマイノリティ(性的少数者)とされる人々の自死念慮・希死念慮率が高いという結果の出たアンケート調査がありました。つまり、セクシュアルマイノリティの方々は「死にたい」と思わされる状況に遭遇してしまう確率が高いということが分かったのです。

そこで、「こころの問題研究プロジェクト」ではセクシュアルマイノリティの自死に関する問題として研究をすすめることとなりました。

まず当事者で社会学やクイア・スタディーズ(性的少数者の権利運動に端を発する社会通念を疑う学問のこと)研究者である森山至貴先生をお招きしご講演いただきました。内容の詳細は講演録『セクシュアルマイノリティの生きづらさ』にまとめています。

森山先生のご講演の中で特に印象的だったのは「セクシュアルマイノリティは、みな生存者、生き残りです」という言葉でした。これは公序良俗に関する質問から引き出された言葉です。宗教者は現代において、公序良俗の模範であるべきということが期待されています。この期待に対し、一人の宗教者としてどのような対応をしていけばいいのかという質問でした。

森山先生は2つの考え方を提示してくださっています。1つは「公序良俗なんてどうでもいい」という考え方です。極論だと感じられるかもしれませんが、社会全体のモラルを画一化すれば、それに当てはまらない人々の生き方が無視されます。公序良俗に無視された人々が「公」をどうでもいいと感じるのは当然だとも考えられます。

2つ目は「すべての人々の生活を支えるために公序良俗を作り直していく」というやり方です。

社会を安定させるためには公序良俗がとても重要になります。けれど、その捉え方は人それぞれ多様なものがあり、地域や家庭環境でも変わってきます。つまり公序良俗はとても不明瞭なものなのですが、それを勝手に当てはめられ「普通ではない」という理由で苦しめられる当事者がいます。それが先ほど紹介した先生の言葉にある背景です。誰かを苦しめ、そして死に追いやってしまう公序良俗をそのまま続けていくべきなのか、僧侶としてどうすべきなのかという問いかけだと感じています。

当事者の声を尊重する

前項の講演をふまえ、より具体的かつ広い範囲の方に理解していただくため、リーフレットの作成が計画されました。それが前述の『ともに生きる(略)』という資料になります。作成にはセクシュアルマイノリティ当事者の方と親交があった本多本部員が関わることとなりました。

人権擁護推進本部では2018年から障害に関する資料を作成してきましたが、資料作成の過程で社会にある障害に直面する当事者の声を尊重した内容となるように気を付けてきました。「こころの問題プロジェクト」でも同じように、当事者の声をできる限り反映することとなったのです。

『ともに生きるセクシュアルマイノリティ~LGBTの枠組みをこえて~』

LGBTの枠組みをこえて

このリーフレットは、僧侶が当事者の相談に応じる際に考えておくべきことを紹介する目的があります。相談の場で、最初に意識しておくべきものが「カミングアウト」に関することです。

「カミングアウト」とは内心に抱えた思いを打ち明けることを意味します。セクシュアリティの「カミングアウト」であれば、見た目には分からない性的指向(恋愛感情の方向やその強弱などを含む)や性自認(性別に関する世間との違和感などを含む)が打ち明けられるかもしれません。そのとき、相談される側が考えるべきものを3つ紹介しています。

1つは当事者にとって「カミングアウト」が人生を左右する重要な岐路となり得ること、2つ目は打ち明けられた秘密は安易に漏らしてはいけないということ、3つ目は守秘義務を抱えることで起こる苦しさを軽減するための提案です。

この冊子の特徴として、LGBTを始めとする多くのセクシュアリティについてあまり説明をしていません。それはお寺に相談に来られる方をただの相談者としてお迎えしていただきたいからです。

例えば、体格が男性的な方で女性のような装いをしている方がお寺に相談に来られたとします。このような特徴があると一般的にはトランスジェンダーと判断されるかもしれません。

しかし、目の前の方が社会の中で女性として生きているのか、女装をする男性として生きているのか、性別を変更するための条件を整えている途中で悩んでいるのか、あるいはそれらのどれでもなくただ仏教に関する質問がしたいだけの人なのか、対話をするまで絶対に分かりません。

つまり、相談に応じる際、余計な先入観があれば間違った対応をする可能性が高まります。だからこそ、セクシュアリティの特徴を知るよりも先に、社会の中で少数派とされることで引き起こされる様々な苦しさを知って欲しいと考え、出生から死後までのライフステージで想定される相談内容を紹介することにしたのでした。

それが「LGBTの枠組みをこえて」という副題となった理由なのです。

ともに生きる
セクシュアルマイノリティ

今、この文章を読んでいる貴方が、僧侶あるいは寺族、という立場で「お寺さんは大変ですね」と声をかけられたらどのように感じるでしょうか。ある人は「そうなんですよ」と同調するかもしれません。ある人は「いやいや、お寺として生きるのもいいもんですよ」と返事をされるかもしれません。よくよく考えてみると、お寺として辛いこともあれば幸せなこともあります。時と場合、そして声をかけてきた人との関係性によって返事が変わってくるはずです。

これはセクシュアルマイノリティの方々にとっても変わりません。「同性愛者として生きる」と一言でいっても、そこに苦しさもあれば救いもあります。その言葉の背景にキリスト教やイスラム教があれば、まったく違う意味が生じてきます。

少なくとも、同じ国、同じ社会に暮らす人間であれば、社会の少数派であろうが多数派であろうが、一人一人の実感として「ともに生きる」ことが信じられる、そんな社会の実現を願っています。

人権擁護推進本部記

※本記事で紹介した資料については、曹洞宗総合研究センターにお問い合わせください。

 

人権フォーラム バックナンバー