梅花流ことはじめ【その16】密厳流音曲をもとに

2022.04.01

『梅花流詠歌和讃教典壱』に収録された御詠歌・和讃はすべて密厳流の音曲に曹洞宗の歌詞を載せたものでした。このことをもう少し詳しく見てみましょう。

表に示したように、密厳流の木揚きあげは梅花流では『大聖釈迦牟尼如来御詠歌だいしょうしゃかむににょらいごえいか』の曲となりました。以下、京節きょうぶし(後に密厳)は梅花に、また密厳流の花山節かざんぶしと修行和讃を合わせて承陽大師じょうようだいし常済大師じょうさいだいしの修行和讃となったのです。

曲譜の表記の方法も密厳流の譜を踏襲しました。密厳流では五線譜ではなく、音の高低と長さを、線の向きと長さで表現する方法が用いられていました。図のようにドレミの音階を9種類の線で表します。線の長さは音の長さを表しました。梅花流もこれに従いました。

たとえば密厳流京節の『興教こうぎょう大師御詠歌』は「根来ねごろなる五百仏いおぶの山に澄む月の光はながく世々よよを照らさん」という歌詞ですが、これを道元禅師作と伝えられる「荒磯あらいその波もえよせぬ高岩たかいわにかきもつくべきのりならばこそ」という歌詞に替えたのが梅花流『承陽大師御詠歌』で、曲譜はご覧のようにまったく同じものでした。

このように最初の梅花教典は、密厳流の音曲と曲譜に曹洞宗の歌詞を載せたものだったのです。

秋田県龍泉寺 佐藤俊晃