【人権フォーラム】取材報告 福島の11年間~原発事故被害と福島の人たち~(前編)

2022.09.13

はじめに
令和四年度教区人権学習資料映像として、人権擁護推進本部では『ここから~東日本大震災から10年~』を作成いたしました。当然のことではありますが、映像作成の過程でどうしても収録しきれなかった事実がそれぞれの取材現場に存在しています。また人権本部だけでは把握しきれない個々人の現実もあります。

そのような状況の中、2018~2021年度の教区人権学習資料の作成や『現職研修』テキスト、「人権フォーラム」への寄稿、障害平等研修など研修会運営でもご協力をいただいているNPO法人風雷社中・中村和利理事長から「11年目の福島と私たち」というテーマでイベントを行いたいので協力して欲しい、という依頼がありました。今回、曹洞宗では後援として会場提供を行っております。イベントの詳細は中村氏の記述にお任せしますが、結果的に本部員だけでは知ることのできない現実を知る機会となりました。

今回のイベントで取材報告を行った豊田直巳氏は、過去に曹洞宗人権学習資料映像第15作にご出演いただいた福島県飯館村の酪農家、故・長谷川健一氏の最期を取材した方でもあります。

今月と来月の「人権フォーラム」では、中村和利氏よりのイベント実施報告を掲載いたします。

(曹洞宗人権擁護推進本部 記)

ソーシャルクエスト #1
「取材報告 福島の11年間~原発事故被害と福島の人たち」実施報告①
 NPO法人風雷社中 理事長 中村和利

NPO法人風雷社中主催のオンラインセミナー〈ソーシャルクエスト#1「取材報告 福島の11年間~原発事故被害と福島の人たち」〉を2022年6月26日に開催しました。

東日本大震災と福島原発事故から、11年が経過しました。多くの人々の記憶と話題から消えつつも、被災された方々の苦悩は、実際には解消されず、むしろ深刻化する多くの課題を抱えて、今日この時も続いています。私たちは、再度、この現実を注視し、改めて伴走の方法を考えるときに来ていると考えました。

NPO法人風雷社中は「障害のある人たちの人権の実現と差別の解消」に障害福祉サービスの実施を通し取り組んできていますが、障害福祉の枠にとどまらず、人権の実現と差別の解消を横軸とした社会課題の共有化とネットワークづくりとして、オンラインイベント「ソーシャルクエスト」を2022年度より開始しました。障害のある人への「差別」や障害福祉と「一見関わりのないテーマ」に見えるかもしれませんが、その初年度である今年のテーマは「11年目の福島と私たち」。原発事故から11年を経過した福島と私たちが、今後伴走していく手がかりを探していきます。その第1回目である「ソーシャルクエスト#1」は、2022年3月に岩波ブックレット『福島 人なき「復興」の10年』を出版された、豊田直巳さん11年間の取材報告となりました。

東京電力福島第一原子力発電所事故と豊田直巳さん
フォトジャーナリスト・豊田直巳さんは、事故直後から福島を取材撮影し、被災した住民との関わりを続けながら、映画「遺言」、「サマショール」等で、リアルな福島原発事故被害の状況の記録を発表し続けています。また、『フクシマ~尊厳の記録と記憶』巡回写真展プロジェクトも継続してきました。
『岩波ブックレット フォト・ルポルタージュ 福島 人なき「復興」の10年』豊田直巳著
 福島原発事故から10年が過ぎた。多額の復興予算は、当事者不在の公共事業や検証なく繰り返される除染などに費やされ、さらには原発事故の傷跡を覆い隠す「復興五輪」が強行された。地元住民を置き去りにする偽りの「復興」は福島に何をもたらしているのか。住民らの苦悩と闘いをカラー写真とルポで描くシリーズ第四弾。

オンラインセミナー ソーシャルクエスト#1
「取材報告 福島の11年間~原発事故被害と福島の人たち」

フォトジャーナリスト・豊田直巳氏

世界の出来事と福島の課題
豊田さんの取材報告は、国際ジャーナリストの立ち位置から、チェルノブイリ、ウクライナ、インドネシアの話題から、被災や紛争の中で起きる人々の「分断」があることの再確認がされました。また、パレスチナ取材の経験から、政府による人道支援の課題やマスメディアによる報道の在り方で歪んで伝わってしまう事実について語られ、そして、イラクでの劣化ウラン弾被害の取材をされていた話から、福島原発事故被害の話に入っていきました。世界の出来事に生じている「課題」が、現在の福島と福島の人々が直面していることに結びつく、紛争地域の取材活動を長年されてきた豊田さんらしい導入での始まりとなりました。

除染作業後に重機で解体される家屋

原発事故発災直後から
原発事故発災直後における放射線被害の情報を政府自治体が正しく住民に伝えなかったことから、被曝することとなった人たちがいる問題に触れ、そして、その後の「除染」についての問題を伝えていただきました。「除染」が形骸化している現実を印象的に示す写真を使った説明があり、またその「除染」作業にかかわる作業員たちの被曝に対して言及もありました。さらに「除染」作業が行われた家屋が、その後、解体され更地となったケースをうかがい「除染」に関する構造的な矛盾がとても印象に残る報告でした。意味をなさない「除染作業」(除染作業のすべてではなく、その一部だったとしても)に多額の公費や時間が費やされ、その中で除染作業員は被曝を続けていく状況があることを改めて確認できる内容でした。また帰宅困難地域に残る家屋が荒れ果て、その処理に集まる親族一同の様子。処理が追いつかない除染土。実験として行われている「薄められた汚染土」を水田の下に埋め、その上を汚染されていない土で覆い水田としていく等、放射能汚染と除染、そこに関わる福島の人たちの写真と現実を直視してきた豊田さんの言葉で紡がれていきました。

双葉町に揚げられていた原子力PR看板

双葉町看板問題と復興の姿
マスメディアの報道でも取り上げられた記憶のある双葉町に掲げられていた原子力PR看板「原子力 明るい未来のエネルギー」。この看板は老朽化を理由に解体撤去されたのですが、地元関係者からの「多くの人に原発事故に関心を持ってほしい」と 東日本大震災・原子力災害伝承館への実物展示が求められ、2021年3月に伝承館への展示が実現しました。

しかし、実際に展示されたものはレプリカでした。その経過にも豊田さんは触れています。

また、飯舘村での復興についても言及が続きます。住民のいない町の道路が綺麗に舗装整備されている様子や、同村での10年ぶりの大祭の様子、多くの人が参加し、美しい菜の花畑の中を村民が練り歩く写真が大手新聞報道で掲載されていることが紹介されました。そして同日に同じ様子を取材された豊田さんの写真では、新聞報道と同じ様子を遠景からひいた構図で写されていて、菜の花畑を練り歩く人々の背景に大量のフレコンバック(汚染土を詰め込んでいる黒色の袋)が山積みとされている様子が写し出されていました。

人々の背景に大量のフレコンバック

PR看板にしても、飯舘村のことにしても、政府、自治体や大手メディアが伝えていることだけでは、そこに「嘘」がなくとも、あえて伝えていない事実があり、そのことが福島原発事故被害について、わたしたちが間違った認識をしていくことになることへの危惧を豊田さんから提示されたと感じました。「風評被害」がマスメディアでしきりに取り上げられる中、現実の福島ではいまだ放射能汚染の実害があり、除染後も事故前の数倍の放射線数値をしめすお墓があり、家屋があり、多くの人の「ふるさと」が奪われ続けていることからは、わたしたちの意識や関心は遠ざかっているのではないかと、この取材報告を聞き強く感じました。

甲状腺検査をし続ける子どもたち
そして、事故による被曝の可能性がある、事故当時の記憶もないであろう子どもたちが、現在、そしてこれからもずっと甲状腺がん検査をつづけていかなくてはならない状況にあることも忘れてはいけないと豊田さんは伝えてくれました。「いちど起きたことはひっくり返せない」それをわたしたちが、どう考えるのかと。

福島原発事故とNPO法人風雷社中
東日本大震災が発災したとき、私は横浜で重度知的障害のある子どもの余暇としての外出支援の最中でした。交通機関が止まり、地元の東京都大田区まで、多くの帰宅困難者が溢れかえる混乱した街なかを状況認知の難しい子どもと徒歩で帰路につき、力尽きるように一次避難所に入れて貰い、仲間に車で迎えに来てもらう状況となりました。そのときは「大規模災害はとても大変。だけど、まあ自分と、一緒にいた子どもは無事帰宅できたので、大変だったけど、良かった良かった」と素直に思っていました。

しかし、東北の太平洋沿岸部での津波被害の甚大さ、そして原発事故というとてつもない出来事を知り、まさに頭を叩かれたような衝動を受け、その日のことなど吹き飛びました。特に原発事故に関しては、放射能汚染から「取り返しのつかない状況」が、また日本に起きたのだと強く感じました。活動していた大田区の被災地支援は宮城県東松島を中心に市民やNPO団体が組織される中、地震津波被害が収束していったあとも続くことが予想され、福島原発事故被害への関わりを模索することとなります。津波被害についても「人災」としての側面はあるものの、福島原発事故被害については「人災」であり、都市部に暮らし続けてきた自分自身が、ある意味、その加害的な立場であり、かつ安全圏での安定した暮らしを享受するものとして「なにかしなくてはならない」と感じたのです。

私たち風雷社中は、2011年の福島原発事故の直後に、大田区へ避難をしていた障害当事者家族との縁から、大田区のNPO関係者と、まだ混乱の中にあった福島県南相馬への訪問調査を開始しました。

「なにかしなくては」と思いながらも、手がかりのない中のある日、福島県浪江町から大田区に発達障害のある娘さんと避難されてきていたご夫婦が、たまたま風雷社中の事務所の前を通りかかり「ここは障害者の支援をしてくれるところですか?」と訪ねてくれたのです。ご家族と大田区での障害福祉サービスを結びつける橋渡しや、居住支援の相談への繋ぎなどをさせていただく中、逆に僕から相談をさせて貰いました。

「福島の状況をもっと知りたい、福島で原発事故被害にあっている障害のある人やその家族とつながりを持てないだろうか?」私は、快くご夫婦の娘さんが浪江町で通所していた、NPO法人コーヒータイムの橋本由利子理事長を紹介いただきました。当時、自身が南相馬で避難生活をおくりながら、相双地域の障害当事者や支援者への支援を継続していた橋本さんに連絡をとり、現地の現状を知りたいのでお会いして話を聞かせていただけないかとお願いしたところ、快諾をいただきました。そして前述した訪問調査に大田区のNPO関係者四名が取り組むこととなったのです。

そして、その聞き取り調査に基づき、現地の障害者支援団体の要請に応えるために、南相馬市に取り残されていた、障害者の移動の困難を解消する為の緊急支援事業「さっと事業」の取り組みに参画しました。

この移送支援事業「さっと事業」については、本年8月と12月に開催するオンラインセミナー「福島と障害のある人たち」ソーシャルクエスト2022で取り上げていきます。当時の取り組み詳細と福島で暮らす障害のある人たちのいまについて、「さっと事業」の事務局的な役割を担ったNPO法人おおた市民活動推進機構の中野真弓さんに(8月)、そして、NPO法人コーヒータイムの橋本さんに、福島の障害のある人たちの現在の状況についてお話して貰う予定です。

本年6月22日の新聞報道で、浪江町から二本松市に移転して活動されているコーヒータイムが、新たに浪江町での再開を果たしたと報じられています。その経緯や現状についてもお話を聞きたいと考えています。

(以下次号)