梅花流詠讃歌【諸行無常のひびき】⑤

2023.05.02

をさなごに戻るなら母になりませう 日溜りに君のシャツを揃へる

                            石川 京子

満開の桜見上ぐる 告げられし余命のときがいま過ぎてゆく

                            石井紀美子

これらの短歌作品は2014年に開催された「国民文化祭」において、上位に入選したものです。私も選者を務めましたが、選考会にて話題になった作品で、どちらにも「生老病死」が歌われています。

一首目、「君」とは夫のことです。一番頼りにすべき夫が認知症を病んだのでしょう。「をさなご(幼児)に戻る」は、だんだん症状の進行する様子を捉えたもので、もしかすると、妻である作者のことさえ忘れてしまったのかも知れません。洗濯を終えたシャツを揃えながら、押さえきれない寂しさが歌われる一方で、今まで自分や家族を支えてくれた夫を、今度は私が「母」になって支えてゆくという確固たる覚悟も表現されています。

二首目の歌は痛切です。作者は満開の桜の下にいて花を仰いでいます。その作者はすでに余命宣告を告げられており、満開の桜の下で、わずかに残された「余命」を、何ものにも代えがたい時間として受け止めています。みずからの終を悟った人の澄明な世界と言ってもいいでしょう。作者はすでにこの世にいないかも知れませんが、満開の桜を仰ぐことによって生じた、かけがえのない

時間を大切にして生きた人の思いが伝わってきます。

どちらの歌も、「老」と「病」、そして「死」を真正面から受け止めています。

  双樹の沙羅は咲きみちて 

  ま白き花は匂えども 

  散るを定めの花なれば 

  はらはら散りてすべもなし

「大聖釈迦如来涅槃御和讃」の二番の歌詞です。命あるものの定めが、散りゆく沙羅双樹の花と重ねられて表現されています。限りある命と、時の移ろいの儚さに心を寄せる時、人生はより濃密になってゆくに違いないと私は考えています。

秋田県禅林寺住職 山中律雄