【人権フォーラム】「狭山事件」と関わって~新潟県内での活動~

2023.10.10

1974(昭和49)年10月31日は「狭山事件」二審の有罪判決が出された日です。毎年10月31日には「狭山事件」の再審を求める市民集会が、日比谷野外音楽堂で開かれ、全国各地から多くの参加があります。

曹洞宗では、「狭山事件」を部落差別に基づく冤罪事件として取り組み続けています。今月の人権フォーラムは「狭山事件」の再審開始に向けて取り組む、曹洞宗人権教育啓発相談員、新潟県薬師寺・寒河江文洋師にご寄稿いただきました。

(人権擁護推進本部記)

「狭山事件」とは

「狭山事件」を知っていますか?と質問すると「聞いたことはありますが、詳しくはわからないです」という答えをよく耳にします。皆さんはいかがでしょうか。私自身も実際にそれに関るまではそうでした。そこで、今一度「狭山事件」がどのような事件なのか振り返ってみたいと思います。

1963(昭和38)年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が行方不明となり、身代金を要求する脅迫状が届けられました。警察は40名もの警官を張り込ませながら身代金を取りに現れた犯人を取り逃がし、3日後女子高生が遺体で発見されるという、警察に世論の非難が集中した事件です。

捜査に行き詰まった警察は、付近の被差別部落に見込み調査を集中しました。遺体が被差別部落の近くで埋められていたこともあり「あそこの人たちはやりかねない」という市民の予断と偏見を利用したのではないかと考えられています。

そして、同年5月23日石川一雄さん(当時24歳)を別件逮捕し、1ヵ月にわたる取り調べの末、の自白をさせて犯人にしました。一審は死刑判決、二審は無期懲役が確定しています。

石川さんは再審請求を申し立てましたが、第一次・第二次再審は棄却、1994(平成6)年12月仮出獄、2006(平成18年)5月に第三次再審請求をして現在に至っています。

「狭山事件」とのかかわり

私が「狭山事件」に関わるきっかけは、人権擁護推進主事を拝命している期間に参加した日比谷野外音楽堂で行われた「全国狭山事件の再審を求める市民集会」でした。全国から集まった大勢の人が石川さんの無実を叫び、再審をすることを訴えている姿に、何も知らない自分が恥ずかしく思って帰ってきたことを覚えています。

以来、市民集会、「同宗連」の「狭山」現地調査学習会、住職地である新潟県内で行われる研修会等に参加していくごとに「狭山事件」は被差別部落に対する差別意識が引きおこした冤罪事件であること、石川さんがいまだに苦しめられていることを学び、自分ができることで再審無罪を勝ち取る支援を続けていこうと思っています。

近況と新潟県での取り組み

「狭山事件」についてアピールする曹洞宗新潟県第一宗務所 星賢道所長(2023年8月23日)

「狭山事件」第三次再審請求では、逮捕当日に石川さんが書いた上申書や警察での取り調べの状況などを録音したテープ等が証拠開示されました。狭山再審弁護団は開示された証拠資料をもとに専門家による科学的な鑑定を行い200を超える新たな証拠を提出しました。昨年、2022年8月29日には東京高裁に事実調べ(鑑定人尋問・鑑定)の申し立てをしています。狭山事件においては第一次再審請求がなされて以来、一度も鑑定人尋問などの事実調べは行われていません。新たな証拠があっても再審を行わないのであれば、公正・公平な裁判と言えません。現在、全国で再審を求め、様々な活動が行われています。

新潟県内においては、2022年11月1日に「狭山事件の再審開始を求める新潟県実行委員会」が結成されました。これは本年が「狭山事件」から60年という節目を契機となることから、それまで「新潟同宗連」などの団体及び個人にて取り組んでいたものを、県民運動としてさらに大きな広がりを創り出していくことを目的としたものです。さらに下越・中越・上越・県央・佐渡等の地区実行委員会を順次設立して、県内隅々において取り組みを推進しています。

2023年2月に設立した「狭山事件再審を求める中越地区実行委員会」は委員長に曹洞宗新潟県第一宗務所所長が就任し、毎月23日街頭にてスタンティングや署名活動を先頭にたって活動をしています。継続していくことで「狭山事件」は冤罪事件であるということを知ってもらい、一人でも多く活動に賛同協力する人を増やすことができるよう取り組んでいます。私も微力ではありますが一緒に取り組んでいきます。

「狭山事件」再審を求め、署名を呼びかける街頭活動(2023年8月23日)

最後に

全国では「狭山事件」の再審開始・事実調べを実現するため、インターネットも利用して署名活動を行っています。皆さまにも是非協力をお願いいたします。その署名一つ一つが再審開始への力となります。

無実を訴え続ける石川さんには「見えない手錠」がかかっています。その手錠を外すまでは「両親の墓参りも仏壇にも手を合わせるわけにはいかない」とお話になった姿と声が今もなお脳裏に焼き付いています。私も何ができるのかを考え、今後も行動を続けていきます。(了)

曹洞宗人権教育啓発相談員 新潟県第332番薬師寺寒河江文洋 記