梅花流詠讃歌【諸行無常のひびき】⑫

2023.12.04

道の片隅に咲く野の花、その可憐な佇まいに目を止める人も多いはずです。私たちは気づかずにいますが、草花の一本一本にもドラマがあるに違いありません。

風や鳥などによって運ばれる幸運な種子はほんのひとつまみに過ぎないでしょう。運よく運ばれたとしても、そこが舗装路だったり、池や川だったりすると、種子の運命はそこで終わってしまいます。肥ひ沃よくな土に落ちる種子もあれば、太陽の届かない場所に落ちるものもあるに違いありません。種子ひとつ取り上げてもその運命は様々です。一見不平等に感じますが、それぞれが偶然の場所に運ばれてゆくのですから、これ以上の平等はないと言えましょう。人間も同じです。生を受けるところは誰かが決めたものではありません。「縁」を通じて色々な場所に生まれ、その与えられた場所と時間の中で生きていかなくてはならないのです。

私たち人間は、生まれると同時に死が約束されているという運命を背負っています。私たちがこの世に存在しているということは、誰かの意思ではなく、縁によって生じたとしか言いようがありません。

 一樹いちじゅかげ宿やどりさえ
 しきえにしるものを

 ひとなさけ宿やどかりて
 しばやすろううれしさよ 

突然の雨を避けようとして青葉の茂る木の下で雨宿りすることがあります。自然との交感です。そして別の日にはその木の下で、同じように時間を過ごす人もいるかも知れません。時には、他人の家の軒先を借りることもあります。

報謝御和讃ほうしゃごわさん」の一番の歌詞は、縁の尊さを教えています。私たちの身の回りに起こる全ては、縁によって生じています。縁とは与えられた時間と空間にわが身を置くことに他なりません。

私たち一人ひとりの命は「今」という時間の積み重ねと、「縁」という空間で構成されていますが、その時間と空間のより良い使い方とはどういうものなのか、時には考えることも必要だと思います。

秋田県禅林寺 住職 山中律雄