【人権フォーラム】ハンセン病から学ぶ~2025(令和7)年度「東海管区人権啓発に関する協議会・管区内宗務所教化センター役職員等人権啓発研修会」参加報告~
今回の人権フォーラムは、当研修会に参加された曹洞宗人権教育啓発相談員の井上正信師(静岡県第199番伝心寺住職)にご寄稿いただきました。
ハンセン病の歴史から、その差別構造を学び、得た教訓を今に生かし、二度と同じ過ちを繰り返さない未来のために、ともに考えていただければ幸いです。
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2025(令和7)年9月10日、東海管区人権啓発に関する協議会・管区内宗務所教化センター役職員等人権啓発研修会が、静岡県御殿場市、国立駿河療養所を会場に開催された。
午後1時、講堂で開会、加藤英爾東海管区長より開会の挨拶があり、駿河療養所が作成した映像を視聴した。
続いて北島信一所長より「病理学から見たハンセン病」と題した講演があった。

ハンセン病は増殖力が弱く病原性が低い菌である「らい菌」による感染症である。感染力も弱く、多くの人は身体の抵抗力で発病しないが、稀に抵抗力の弱い人や子どもなどが発病する。発病には戦争や飢餓など、抵抗力が著しく低下する環境が大きく影響するので、現在の日本では感染、発症する条件自体がほぼない。
発病すると、主に手足などの末梢神経が侵されるが、これについて、北島所長から医学的な説明があった。
「例えば、手にコップを持った時に、冷たいという刺激が手の神経を通って脊髄を通って脳に行って、初めて脳で冷たいと感じる。冷たいから手を放そうと脳で思い、それが脊髄を通り手の末梢神経を通って、筋肉を収縮させると手を放しますが、ハンセン病の場合はこの末梢神経の接続が切れてしまっている。だから、冷たいという刺激が脳まで届かない。そして手足を動かそうと思っても、接続が途切れているので筋肉が動かず手足が動かない。
靴の中に石が入ると痛いですが、ハンセン病の場合は痛いという刺激が脳に伝わらないので、靴の中の石がずっとあって、傷がついてもすぐに気づかない。ハンセン病の方にやけどが多いのもそれも同じ。「感じない」というのは身体を守るうえでは大変なことなんです」
ハンセン病は皮膚に症状が現れるので、顔や手足の変形などが起こる。それが他の人が見ても分かるので、ハンセン病差別につながる理由の一つと指摘する。
また、療養所での現在の治療について「ハンセン病の治療はすでに終わっていて、一般の高齢者と同じような病気の治療を行っている。違っているのはハンセン病の後遺症で、障害があるので生活の補助も行っている」と述べた。
続いて、国のハンセン病政策の歴史に触れた。1907(明治40)年の法律第11号「癩(らい)予防に関する法律」から始まる隔離政策、そして二度の法律変更を経ての強制隔離政策などの説明があった。駿河療養所は1945(昭和20)年に開所、最後に設置されたハンセン病療養所で、軍人でハンセン病にかかった方が入る療養所として設置された。しかし、終戦間近だったのでほとんど一般の方の入所であったという。そして最後にまとめとして指摘した。
「皆さんがここに来られたのは、ハンセン病差別をなくそうということですが、主語はハンセン病ですが、実は他の病気でも同じ構図があって主語は変わるんです。
最近では新型コロナですが、今は罹っても薬を飲んで寝てれば治る。最初の頃は、県外に行くのはやめましょうとか、県外からのお客さまはお断りしますとかいう看板が堂々と出ていた。引っ越してきた他県ナンバーの車だといろいろ言われるので、わざわざステッカーをはって、私はここの県民ですとアピールしなければいけない時期があった。この頃のコロナは確かに亡くなる方も多かったのですが、だからと言ってこういうことをして良かったのかということなのです。
当初は病気に対する恐怖や無理解など、いろいろな理由があったと思います。今は変だと分かりますが、当時は大真面目にやっていた。しかし、実はコロナが初めてではなくて、HIVの患者がそうだったし、ハンセン病の方々も同じようなことで差別と偏見を受け、それがいまだに続いている。
来ていただいて歴史を学ぶことは重要ですが、それは歴史の一部ではなくて、その歴史は今に繋がっていて、歴史の教訓を生かすことで、今をより良い社会にするために歴史を学ぶわけです。啓発で学んで、良くないと言われていたにも関わらず、今回のコロナでは同じようなことが繰り返された。ですから、ハンセン病療養所の方々の今の生活や、どういう差別を受けてきたかを理解することで、それを今いる私たち、その先を生きる人々がどう生かしていくかがしっかりしていないと同じことが繰り返される。
僧侶の方はお話しされる機会が多いと思うので、そういうことを伝えていただければと思います」

続いて、小鹿美佐雄自治会長にお話をうかがった。 「私は1942(昭和17)年生まれで、小学校2年生の冬に病気がわかり、駿河療養所に入りました。当時の駿河療養所の最年少で、学校もありませんでした。特効薬と言われたプロミンが1950(昭和25)年に全国療養所で使えるようになっていましたので、私が入ったときはプロミンが使えました。障害が出てきたのはそれから10年ぐらい経ってからでした。
1953(昭和28)年に「らい予防法」の改正闘争が全国療養所でありましたが、その要求の一つに療養所の子どもたちの勉学がありました。そして、岡山県の長島愛生園に県立の定時制高校が作られて全国から集められて、勉強できるようになりました。人数は1学年で約30人ですから結構な数でした。4年間勉強して社会復帰をした人は数多くいます。大学に進んだ人もいますし、大学を卒業して医者になった人もいます。
私は病気が悪くなったので途中で帰ろうかとも思った時期もありましたが、卒業式までいて帰ってきました。その学校は卒業したら一旦、元の療養所に帰る決まりになっていて、帰ってから社会復帰という形がとられていました。現在でも一緒に学んだ人たちとの交流もあります」とご自身のことを振り返った。
そして療養所の将来について、「80歳を超えてから、将来を考えるというわけにはなかなかならない。何とか今の状況を保っていきたいと思っている人が多いです」と入所者の方々の現在の率直な気持ちを述べた。

約1時間20分の講演の後、納骨堂に移動、今研修会を企画いただいた静岡県第2宗務所役職員による慰霊法要が納骨堂前、そして胎児慰霊碑前で執り行われた。その後、納骨堂内でご焼香させていただき、全日程を終了した。
北島所長の講演のとおりハンセン病に関する諸問題を理解するには、まず、正しい知識と政府の政策を認識することが大切である。これは部落差別問題でも同じことが言える。しかし、人権課題が多岐にわたる今、もう一つ大切なことは北島所長が最後に指摘した「差別は形を変えて繰り返される」ことを知ることである。
新型コロナの特に初期に起こった、よく分からないという不安と恐怖から、根拠なくとりあえず排除する差別構造は、福島第一原発事故による福島県の方々への差別にも酷似している。小鹿自治会長も新型コロナが広まってきたとき「ハンセン病と同じじゃないかと思った」と話していた。
私は部落差別問題を学ぶ中で、根拠なく排除する差別構造を学習し、ハンセン病と共通する部分が多くあることに気づいた。さまざまな人権学習で知識や経験を積み重ねていくことで、いろいろな方向から物事を見ることができて、何かが起こったときに「気づく」感性を磨くことができるのではないだろうか。それが、自らのために人権学習を重ねる一つの意味だと思う。
曹洞宗人権教育啓発相談員 井上正信
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次回も引き続き、ハンセン病に関する記事を掲載する予定です。



