【人権フォーラム】2024(令和6)年度第2回人権擁護推進主事研修会報告

2025.06.11

2025年3月25日から27日にかけて、人権擁護推進主事研修会が行われました。

初日は、「人権と平和~人間性侵害と戦争の歴史から考える~」と題して、人権思想と平和、宗門の戦争史などをテーマに、総合研究センターの工藤英勝嘱託員が講演を行いました。

渡辺祥文師によるオンライン講座

2日目は、まず2025年度教区人権学習会についての諸説明を人権本部より行い、次に『基礎テキスト人権』第一章中の「一仏両祖と人権」をテーマとした映像教材の視聴と講座を行いました。総合研究センター宮地清彦常任研究員が瑩山禅師のおことばを、小早川浩大常任研究員が道元禅師のおことばを解説しました。その後、「釈尊のみ教えと人権」と題し、福島県・長秀院住職の渡辺祥文師のオンライン講座を受講しました。

3日目は、法政大学教授の金子匡良氏より「宗教と基本的人権」についての講演があり、人権の歴史的過程から宗教と人権の考察など詳細なお話をいただきました。それぞれの講義後には、班別分散会を行い、最後の全体会では各班の発表を行いました。 今回の人権フォーラムでは、研修会の参加報告をご寄稿いただいております。

研修に臨む各宗務所の人権擁護推進主事

▶東京都宗務所 人権擁護推進主事 上杉憲廣

今回の主事研修会は、東京グランドホテルを会場に3日間のスケジュールで開催され、「人権と平和」についてさまざまな視点からの講義を拝聴し、参加者が意見交換をするという形式で進められました。

1日目の工藤講師の講義「人権と平和」は、講師もおっしゃっているように広いテーマから始まり、「戦争と曹洞宗」について知る時間でした。知っているようで大きく勘違いしている点や、そもそも知らなかった戦時中の宗門と僧侶の動きについての講義を拝聴しました。戦争が「体験」から「歴史」に変わっていきつつある中、私たちは何を伝えていくべきなのか。「過去は変えられないが、歴史の意味は変えられる」という言葉が心に残りました。

2日目は、お釈迦さまと道元禅師、瑩山禅師の教えを踏まえて私たちが人権とどう向き合うかというテーマの講義を、「基礎テキスト『人権』」の視聴覚教材に出演されている諸老師方よりいただきました。教義と人権を無理やりこじつけるのではなく、私たちが僧侶として生きる中で人権に対する意識をしっかりと持つこと、他者の苦しみに寄り添い「思いあう」こと。他者に求めるのではなく、まず自らがそうあるように歩み続けることが僧侶のあるべき姿であるという教えをいただきました。

3日目は「人権と宗教」についての講義でした。1日目の講義と対照的に、今度は人権の視点から「人権と宗教」のあり方を学ぶ講義に感じられました。講師の「人権に宗教者がどう向き合うかの提示は難しいが、『人間の尊厳』にその究極の根源があると思っている」という言葉に、私たちへの問いかけがあるように思えました。

また、今回の研修では今後の教区人権学習を受講者が積極的に参加できる研修にするための組み立て方について、人権本部より説明がありました。 今回の主事研修会で学んだことを活かし、僧侶として人権の意味するところに向き合えるような研鑽を続けてまいります。

▶山形県第一宗務所人権擁護推進主事 國分敏英

令和6年度の第2回人権擁護推進主事研修会は戦後80年の節目に合わせた「人権と平和」および、令和7年度教区人権学習についての研修会となりました。本部の方針を確実に各教区長へお伝えし、その上で当宗務所管内の地域性を活かした研修会のアイデアを全国の人権擁護推進主事に教えていただく大変貴重な研修会でした。

人権本部より事前学習の資料をいただいておりましたので、ある程度は講義一の「人権と平和」について知識を得、考えを持ちながら講義を迎えました。これまでの人生の中で、戦争を実体験として捉えたのは1996年に訪れたサイパンと2002年に訪れたハバロフスクでした。各地には戦争の負の遺産とも言うべきものが残っていましたが、特にハバロフスクの日本人墓地に着いたときには、何とも言えない深い悲しみが湧いてきました。日本からはるか遠くこの凍てつくような大地で、故郷の家族を思いながら辛い労働に耐えていたかと思うと、胸が痛む思いでした。

さて今回の講義一ですが、工藤講師による講義で、サブタイトルは「人間性侵害と戦争の歴史から考える」。この副題からも戦時下における曹洞宗教団の歴史が学べると思いました。事前学習の資料には日露戦争における曹洞宗教団の従軍布教師の派遣や、檀信徒への忠君報国法話、戦死病没した宗門僧侶への法階贈補等、積極的な戦争推進の態度を取っていたとは驚きでした。

私の自坊の西室中には明治35年に奉納された絵馬(ムカサリ絵馬のようなもの)があります。明治35年と言えば日露間の対立が激しくなりつつある時期で、折しも日英同盟が結ばれた年です。その絵馬には青年将校らしき人物が軍服姿で脇に銃剣を刺し、目の前には軍服を着、旭日旗を持った子どもが橋を渡るのを静止しているような絵馬です。これは、小さい子どもを亡くし、死後の世界では戦争に行くなと静止しているかのように見えます。まさに三途の川を渡らないでくれといった様子に見えます。

しかしながら、この様子は帝国主義が日本中に満ち溢れ、山形県の山間の村まで浸透し、挙句の果てには死後の世界まで戦争が美化されているのには驚きを隠せません。工藤講師が質疑応答の中で、教えというものが国から寺へ、寺から村へ正確に伝わっていたかは甚だ疑問だとおっしゃっていました。この絵馬を見る限り、軍国主義は確実に伝わっており、マスメディアに翻弄された人々がいると感じました。

現在(令和7年4月現在)102歳になる東堂が以前話しておりました。「私はラジオから流れる玉音放送を村役場で聞いた(当時書記官として働いていた)。その放送に涙したが、周りの人たちは誰も理解できず、涙してる私に訳を聞きたがった」と。当時の年齢を考えれば徴兵されてもおかしくない年齢ですが、不幸中の幸いと言ってはいけませんが、幼少の頃の高熱が原因で足に障害があり、徴兵には行きませんでした。これだけ軍国主義が蔓延していたのですから、ある意味悔しさはあったかと思います。寺の長男として生まれ、二男は予科練に入隊し雑誌にも掲載されたとも聞いています。そういった思いがあの玉音放送で終結したと感じたのではないでしょうか。

また、今回初めて衛藤即応師の「出陣学徒壮行の辞」を読みました。在学大学生までも戦地に赴くことになり、その壮行会で「諸君覚悟はよいか」と何度も問いかけたそうです。私は安易に「死ぬ覚悟はあるのか」と捉えてしまいましたが、「仏法は死を要求するのではなく、生きることを要求する。真実の仏法者の覚悟は、生きて生きて生き抜くところにある」(一部抜粋)その意味を知ったときに、戦争の悲惨さのみを聞きかじった自分が恥ずかしくなりました。

私の師匠は102歳になるまで弱音を吐いたことがありません。たった一度94歳のときに夫婦で交通事故に遭い、「この歳になって交通事故を経験するとは思わなかった」と言ったのが唯一弱音らしい言葉でした。昨年のお盆には、入所している介護施設で読経をしたそうです。この年齢でも力の限り宗教者として生き、師匠もまた「生きて生きて生き抜く」覚悟があることを講義で感じました。