梅花流詠讃歌【梅花照星に似たり】⑦
夏山シーズンが訪れました。今年の富士山の山開きは、山梨側が7月1日、静岡側が7月10日です。
日本人の自然観や日本文化に大きな影響を与えてきた富士山は、ユネスコ世界遺産委員会によって「富士山│信仰の対象と芸術の源泉」として、2013年に「世界文化遺産」に登録されました。
その影響もあり、富士山には多くの人が訪れるようになりました。
しかし反面、観光客のマナーの悪さが社会問題となっている現実もあります。富士山をコンビニエンスストア越しに撮影しようとして人が殺到し、近隣住民の迷惑になっているというニュースなどは読者の皆さんもご存知でしょう。
人気の場所で写真や動画を撮り、多くの人に見てもらいたいとの思いから度を超えた行為が行われるのは許しがたいことです。ただ、その背景には富士山に惹かれる何かがあるのでしょう。
富士山に魅せられ、その姿を描いた画家は数知れません。
昨年、家族が島根旅行の際、足立美術館を訪れ、横山大観作《乾坤輝く》というタイトルの富士山複製画を購入し、お寺の廊下の壁際に飾っています。以来、その姿は私にとって、嫌なことを忘れさせてくれる心の清涼剤的存在となっています。実は梅花流詠讃歌には、富士山を詠った御詠歌が一曲だけあります。
大海に雪の姿を映し来て
いよいよ清し富士の高嶺は
この曲は「太祖常済大師瑩山禅師影向第一番御詠歌(伝光)」といい、富士山の姿を通して瑩山禅師のご生涯を奉賛するものです。曲名の「伝光」は、お釈迦さまが説かれた仏法という光を歴代の祖師が伝えたことを意味します。
歌詞に詠われる富士山は美しい曲線を描き、なだらかな裾野が麓に向かって広がっています。
富士山の美しさと延びる麓の情景を、この御詠歌では全国各地に展開していった曹洞宗の教線(教え)の広がりと教えの崇高さに喩え、瑩山禅師のご功績として詠っているのです。
昨今の無謀な富士登山や写真撮影などの現状を鑑みる時、本来の意味としてこの歌詞を理解することはもちろんですが、「いよいよ清し富士の高嶺は」という歌詞においては、すべての人々に節度ある行動を守り、そしてその美しさを共に分かち合うことを広めていく意味としてとらえていくべきではないかと私は思います。
静岡県官長寺 住職 大田哲山