【人権フォーラム】平和への問いを未来へつなぐ―広島・長崎の地に響く声に耳を澄ませて―
はじめに
夏、日本各地で平和を願う行事が執り行われる時節を迎えました。多くの人びとが「終戦の日」として記憶する日が8月15日である一方、沖縄では、組織的戦闘が終結したとされる6月23日が「慰霊の日」となっています。また東京湾に来た米艦「ミズーリ号」上で降伏調印式があったのは、1945 年の9月7日でした。
このように戦争の記憶は一つではなく、その終結の日もまた、人びとが辿った経験によって異なります。
本稿では、こうした多様な記憶に思いを致し、曹洞宗の平和への誓願がどのように表明されてきたのかを歴代宗務総長の談話から辿ります。その誓いを現代において実践するための研修会の模様を紹介します。
私たち一人ひとりが平和と人権の課題をどう受け止め、未来へつないでいくべきかを考える一助となれば幸いです。
曹洞宗の平和への誓願 ―懺謝文と歴代の談話―
曹洞宗の平和と人権への取り組みは、過去の歴史に対する真摯な反省から始まっています。その精神は、礎となる「懺謝文」や宗務総長演説、以後の歴代宗務総長の談話の中でも繰り返し表明されており、基本的な姿勢として継承されています。
不戦の原点「懺謝文」(1992年)
1992年11月20日、大竹明彦宗務総長の名で表明された「懺謝文」は、宗門がかつて「海外開教の美名のもと、時の政治権力のアジア支配の野望に荷担迎合し、アジア地域の人びとの人権を侵害してきた」歴史を認め謝罪したものです。この声明は、「二度と過ちを犯すことはしない」という不戦・非戦の誓いを立てており、今日に至る全ての活動の礎となっています。第73回通常宗議会(1995年)
・伊東盛宗務総長
1994(平成6)年は終戦50回忌、1995(平成7)年は終戦50年にあたることを踏まえ、昭和20(1945)年の沖縄地上戦や広島・長崎への原爆投下により第2次世界大戦は終結し、世界では約5200万人の命が失われた。終戦記念日の式典は形式化しつつあるが、亡き人への追悼の念は今も深いと述べました。
戦後、広島・長崎から核廃絶と恒久平和の訴えが続けられている中で、「懺謝文」において自己批判と責任告白を行ったことを総長演説にて表明しました。
談話に受け継がれる平和への願い
「懺謝文」の精神は、その後も終戦の節目や社会状況の変化に応じて、歴代宗務総長により繰り返し表明されています。
・渕英德宗務総長(2007年12月8日)
太平洋戦争開戦66年に際し、日本国憲法第9条の改正論議が高まる中で「不戦の誓い」を表明。「宗教者として、日本国憲法の戦争放棄と戦力不保持・交戦権の否認という理念を護り、全人類の安心を脅かすことのない平和な社会を実現する」と、護憲の立場を鮮明にしました。
・釜田隆文宗務総長(2015年8月3日)
アジア・太平洋戦争終戦70年にあたり、安全保障関連法案が審議される中、宗門の立場として「非戦」という言葉を打ち出しました。「戦争の讚美や暴力の誘引に結びつく行為や思想に同意しないという『非戦』の立場を貫きます」と述べ、単に戦争をしないだけでなく、戦争を可能にする思想そのものに与しないという意志を示しました。
・鬼生田俊英宗務総長(2020年8月1日)
戦後75年の談話では、「非戦」の立場を堅持するとし、「いかなる理由によっても『殺してもよい命』や『殺されてもかまわない命』は存在しません」と仏教の生命尊重の教えを強調。さらに「核兵器のない世界を願い続けます」と、平和への実現を核廃絶という目標にまで拡大しました。
・服部秀世宗務総長(2025年5月15日)
アジア・太平洋戦争終戦80年に寄せた談話では、お釈迦さま、道元禅師さま、瑩山禅師さまの教えを引用し、「和合和睦」「ともに生きる喜び」という仏教の根源的な平和思想に言及。「様ざまな苦しみを抱えた人びとの声に心耳を澄まし、『ともに生きる喜び』を分かち合える世界の実現に向けて努力してまいります」と、より未来を見据えたメッセージを発しました。
現地学習からの報告と展望 長崎の地から学ぶ(人権教育啓発相談員研修会)
去る5月21日から22日にかけて、長崎の地で人権教育啓発相談員のための研修会が開催されました。
講義では、長崎県長崎市・天福寺前住職の塩屋秀見老師が登壇。今は亡き狩野俊猷老師の「(研修に)手弁当でのぞむ時、受け身の傍観者ではいられなくなり、課題と全身で向き合うことで学びを100%受け止められる」という教えに触れ、様ざまな課題への真摯な向き合い方が示唆されました。
翌日の現地学習では、爆心地から約600メートルに位置し、約1,300人もの児童・教職員が犠牲となった旧・山里国民学校などを訪問。参加者は、今も残る防空壕跡や、亡くなった子どもたちのための「あの子らの碑」を前に、静かに手を合わせました。また、自らも被爆しながら救護にあたり、戦後は「如己愛人(己の如く人を愛せよ)」を説き続けた医師であり、カトリック信者として知られる永井隆博士の生き様にも触れました。



広島へと思いを繋ぐ(人権擁護推進主事研修会)
長崎での学びに続き、7月23日から25日にかけては、広島の地で「令和7年度第1回人権擁護推進主事研修会」が開催されます。
この研修会では、平和記念公園内の碑めぐりや広島平和記念資料館の見学といった現地学習に加え、多彩な講師による講義が計画されています。また、曹洞宗総合研究センター嘱託員の工藤英勝師からは「『宗報』に見る戦争と平和」を題材に、宗門自身が戦争をどのように捉えてきたのか、戦争とどう向き合ってきたかを検証する講義など、多くの学びを得られる機会を繋いでいきます。
結び ―人権と平和を「我がこと」として
戦争の記憶も、平和への道筋も一つではありません。長崎で語られた差別の現実、広島が問いかける核兵器の問題、そして沖縄の「慰霊の日」に込められた思い。そうした多様な声に耳を澄まし、そこに宿る人びとの痛みや願いを受け止めること。「懺謝文」に始まる宗門の誓いを自らの問題として引き受け、そこから何を学び、どう行動するのか。終戦から80年という長い年月が過ぎ、戦争体験の声が遠くなる今、私たち一人ひとりが、こうした学びの場で得たものをそれぞれの現場に持ち帰り、人権と平和を「我がこと」として考え、語り継いでいく営みこそ原爆の爆風で倒壊した旧浦上天主堂の鐘楼が、何よりも求められているのではないでしょうか。それは、住職、寺族、檀信徒の皆さまが護ってきた寺院の記憶を紐解くことにもなるはずです。
「基本的人権」は突然現れたものではなく、人びとの日常の努力のつみ重ねから獲得されたことを再度確認し、これからも平和を祈念し、共に穏やかな未来を築いていけることを願っております。
人権擁護推進本部 記