梅花流詠讃歌【梅花照星に似たり】⑨

2025.09.01

昭和一桁生まれの亡き実母は、昭和20年7月、出生地である福井市でアメリカ軍の空襲に遭った戦争体験者です。私が小学校高学年のころから自身の戦争体験をよく話してくれました。

その内容は、市内を流れる足羽川には犠牲となった人の遺体がたくさん浮かんでいて、母はその川の中に頭を沈めるようにかっていたおかげで空襲から逃れることができ助かったんだ、というものでした。私はこの話を、「耳にタコができる」ほど聞かされたものですが、それはまさに生死せいしの境を生き抜いた母の生き様を物語る言葉でした。

戦争の悲惨さや平和の尊さを知るためには、まず何があったのかを知る必要があります。

先月号で紹介した「平和祈念御和讃へいわきねんごわさん」の歌詞は、とても分かりやすい言葉で綴られており、歌意をくみ取ることは、そう難しくはないでしょう。一、二番の歌詞で戦争の悲惨さ、むなしさが述べられ、三番では不戦の誓いを詠います。続く四番の歌詞です。

衆生みな幸福願しあわせねがいては おのれを反省かえりはげみつつ
仏法のりしたがいみほとけに 永久とわ平和へいわいのるなり

世の人々の幸せを願い、自らの至らなさを常に省みながら、仏の教えに遵い、世界の恒久平和を願い、祈りを捧げましょう、と平和祈念の誓いで結んでいます。

今年の5月15日に沖縄で開催された、梅花流全国奉詠大会では、大会テーマとして、「梅花流詠讃歌の『祈り』と『願い』と『誓い』を、ここ沖縄から」が掲げられ、大会の中では終戦八十周年平和祈念法要が勤められ、参加者全員で詠讃歌をお唱えしました。ホールに響き渡る鈴鉦の音と詠唱の声、荘厳な法要の様子に多くの方が感動を覚えたことと思います。

しかし、こうした場に感動することだけで終わらせてはなりません。戦争というものがどれほど悲惨なものであるかを大会時のみならず、この先も学び続け、語り伝えていくことが大切なのだと大会を通して強く感じました。

実際に戦争を体験された方の言葉には重みがあります。

母が私に話してくれた戦争体験は、何があったかを我が子に「伝えたい」「伝えなければ」という想いの表れだったのではないでしょうか。

「戦争は起こってはいけないこと」は、共通の認識であると思います。私たちは、戦争の惨禍を伝えていくことを、平和の尊さや当たり前に過ごすことのできる日常の有り難さを考える好機にしなければなりません。それこそが戦争体験者の想いや記憶を継承していくことなのです。

静岡県官長寺 住職 大田哲山