【人権フォーラム】2025(令和7)年度第1回人権擁護推進主事研修会報告
7月23日から25日にかけて、広島市内を会場に人権擁護推進主事研修会が行われました。
初日は、「『人権と平和』~自分自身の差別意識を見つめる」と題して、長崎県第13番天福寺前住職の塩屋秀見師の講演をいただきました。
2日目は、広島市内での現地研修です。はじめに訪れた世界平和記念聖堂では、「世界平和記念聖堂建設の趣旨」と題し、カトリック中央協議会事務局次長の原田豊己講師による講演と視聴覚学習を行いました。その後、福島地区原爆犠牲者慰霊之碑及び平和記念公園の原爆死没者慰霊碑の前で献花と諷経を行いました。午後は、広島市観光ボランティアガイド協会の方々に説明をいただきながら、平和記念公園内の記念碑をめぐり、その後平和記念資料館を見学しています。
3日目は、「『追悼と誓い』2025年夏広島にて~加害と惨禍の記憶から」と題して、曹洞宗総合研究センター嘱託員の工藤英勝講師より「人権と平和」をテーマに講演をいただきました。今回の人権フォーラムでは、研修会の参加報告をご寄稿いただいております。
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広島県宗務所 人権擁護推進主事 村田昭元
長崎県出身の私は、幼少期より夏になると原爆の日にあわせて行われる平和学習が当たり前のものでした。 現在は広島県にご縁をいただき、人権擁護推進主事として戦後80年という節目の年に、広島での「人権と平和」を主題とした研修会に参加できたことは、また違った視点から平和について考える、意義深いものになりました。

まず、世界平和記念聖堂でのご講演では原田講師による戦時下での部落差別についてのお話が心に残りました。「原爆はあらゆるものを破壊したが、差別という壁は破壊できなかった」という言葉とともに、部落差別の根深さを伝えていただきました。また、最終日の工藤講師のご講義にもありましたが、戦争における被害者・加害者の認識についても多角的な視点が必要であることをお話いただきました。
平和記念公園では、ガイドの方の丁寧な説明に耳を傾けておりますと、その惨状を伝えるとともに平和への思いを強く感じました。
私が知る戦争の実態というのは、数多ある一部の事実でしかありません。最後に訪れた平和記念資料館では、写真や遺品、手紙などが展示されており、その悲惨さに何も言葉が出ませんでした。それでも、戦争は悲劇しか生まないこと、特に広島・長崎でおきた凄惨な被爆の実相を次世代へと伝えていくことは、大切なのではないかと思います。
ところで、戦争の起こりというものを考えたとき、長い歴史の中で生じた小さな歪みが積み重なり、やがて負の連鎖として大きく発展したものであるならば、その歪みとは人と人との関わり方に原因があるのかもしれません。そのことは、初日の塩屋講師の講義にて感じたことです。
塩屋講師からは、僧侶が人権について考える大切さを教えていただきました。特に「切り口の違いで争うな」というお話で、円筒形のものを切ったとき、切り方によって見える断面の形が違う、というものです。 誰しもが同じ尊い「命」、誰しもが願う「幸せ」であるはずなのに、生まれや境遇などという切り口の違いによって争いが起きる。同じものを同じように求めていることに気づかない恐ろしさ、人間の愚かさを教えていただいたように思いました。
多面的多角的に物事を考えない、他者を認めない、そのことで他を否定し可能性をつぶす。その積み重ねが差別や争いを生む。ご老師のお話から平和について考えたとき、やはり根本は人の心が生むものだと感じました。
私たちが僧侶として真理を探究していくところに、また人権としての意識も付随していくのではないでしょうか。一人ひとりの価値観の違いが差別意識、争いの元にならないよう自己を見つめ他者を認め、その違いについて対話を欠かさず考え続ける姿勢が大事であると強く感じた研修会でした。
平和記念公園の原爆死没者慰霊碑にある言葉、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」。あらためて平和への祈りを捧げ、結びといたします。
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長崎県第二宗務所 人権擁護推進主事 加瀬博隆
令和7年度第1回人権擁護推進主事研修会は、戦後80年となる今年、広島市内にて「人権と平和」をテーマに開催されました。
1日目、塩屋講師による「人権と平和」は、ご自身の体験された話、多くの方たちとの出会い。その中で「命の尊さ」だけでなく「命の厳しさ」を強く説くことも大切である。二度と取り替えることもやり直すこともできない、その命のあり方厳しさと言うものを我々宗教者はもっと強く説いていかなければならない、聞きっぱなしではいけない、何か自分自身ができることはないだろうかと常に考えることの大事さを学びました。
2日目、「世界平和記念聖堂建設の趣旨」原田講師の講演で広島は「広島(軍都広島)」「ヒロシマ(被爆地ヒロシマ)」「ひろしま(平和都市ひろしま)」の側面を持つこと、1945年8月6日に原爆が投下された後の様子、罹災証明を発行するときも被差別部落の町名を伝えると治療が後回しにされるなどの差別を受け、「原爆はあらゆるものを破壊したが差別という壁は破壊できなかった」。聖堂が建てられた目的は「原爆の犠牲者の慰霊と平和の印」「平和は力ではなく慈愛が重要である」ことなどを講演いただき、午後からは平和記念公園にて原爆死没者慰霊碑に献花し参加者全員で読経、その後各班に分かれボランティアガイドの方の案内で公園内の記念碑を巡らせていただきました。原爆投下前、ここにはもともと町があり、瓦礫の上に土を盛り整備されて、全国から木々を送ってもらい植樹され平和公園が造られたそうです。いくつもの供養碑を巡り、原爆供養塔の中には七万柱もの遺骨が納められていて、最近は名前のわかっている方の親族が現れることも少なくなってきたことなど詳しく話していただきました。
3日目は工藤講師による「追悼と誓い」の講演では、限られた時間の中で「侵略と加害」「心に刻む被爆と惨禍」「追悼と誓い」3部に分けての大切な講話をいただきました。
平和記念公園でボランティアガイドの方が「戦後80年となり被爆者の方の被爆体験の話をする方も徐々に次の世代へと移ってきている。次の人を育てるために記憶を残そうという取り組みは発展している。若い人たちも熱心で、伝えようとする経験者、体験者もものすごく熱意があります。絵も残してあり、被爆された方が高校生に話をしながらデッサンして、もっと悲惨だった、もっと暗かったという話をして絵に残しています」と話してくださいました。長崎県の小中学校では長崎に原爆が投下された八月九日が夏休みの登校日で平和学習が行われております。実は、学校で平和について学んだ私の子どもが、広島・長崎で原爆が落とされ、戦争で大きな犠牲、悲惨な出来事があったことを話してくれました。そして今年も平和について家族で話す大切な一日となりました。今回の研修を通じて学んだこと感じたことを、聞いただけにせず、伝えていくことの大切さをあらためて学び強く心に刻みました。


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次回、令和7年度第2回人権擁護推進主事研修会は、来年3月11日から13日を予定しています。
人権擁護推進本部 記