梅花流詠讃歌【梅花照星に似たり】⑪
山渓深き 吉祥山
雪しんしんと ふりつづく
七堂伽藍 音もなし
道元禅師 います寺
その名尊し 永平寺
と仏教聖歌・讃歌「永平寺」は詠います。
曹洞宗両大本山の一つ大本山永平寺。私はこの深山幽谷の場所で、昭和59年2月から62年2月までの丸3年、仏道修行の日々を過ごしました。
世俗の生活から一転して、僧堂のルールという枠にはめ込まれた生活に馴れるまではなかなか辛い思いもしました。
私は当初から、亡き父と同じように3年は修行する覚悟でいました。その意志を貫くことができたのは、まず修行の覚悟を試すべく、厳寒の山門前に長時間立たされることに耐えたことや、辛いのは自分だけではなく、共に修行を志した多くの仲間がいるんだという思いが心の支えとなったからだと受け止めています。
綾小路きみまろさんの名ゼリフ、「あれから40年」というフレーズがかつてありましたが、昨年は永平寺に上山から40年という節目の年となりました。
記念すべきこの年の暮れに、昔日、苦楽を共にした仲間100名余りの内、21名が永平寺に結集。南澤禅師さま導師のもと、すでに亡くなった友の供養を営み、夕刻からは宴席にて旧交を温めたことでした。
梅花流詠讃歌「同行御和讃」の一番の歌詞に、
同じ仏の御子として むすぶ心の浄き友
互いに励ましいたわりて 同行同修の道をゆく
とあります。
「同行」とは、同じ道を一緒に歩いて行くこと、心を同じくして共に仏道を修める人々のことをいいます。 み仏の教えを信じて仏弟子となり、仏道修行に精進する者たちは皆、勝れた友として強い絆で結ばれています、ということです。
私にとって、40年前に修行の日々を重ね、兄弟とも言える尊い勝縁を結んだ浄き友との絆は何ものにも代えがたい僧宝( 勝れた友という宝物) といえましょう。この「同行御和讃」は、梅花流講習会の際、閉講式において、講師の先生に感謝の意を表し、また共に研鑽した梅花講員の仲間を讃えあう意味でお唱えすることも多い曲です。
重なり合うご縁でお互いが同じ道を歩む人となることは僧侶の世界や梅花講員さんに限ったことではありません。
今、自分がいる立ち位置で心を尽くし、力を尽くして、それぞれの至らぬ点や過ちを教え合いながら歩んで行きなさい、とこの曲は教えているのです。_
静岡県官長寺 住職 大田哲山



