【International】十方世界に生きる仏法

2026.06.11

お釈迦さまをはじめ歴代の祖師方はみな旅をされました。私自身の旅は、祖師方に比べれば取るに足らないものですが、日系ブラジル人として生まれた私は、周りの多くがそうしていたように、より良い生活を求め、日本に移住したところから始まりました。大学をやめ、見知らぬ土地の工場で働き、希望していたとおりの十分な収入を得ることはできました。しかし、ただお金のためだけに仕事をする生活では心が満たされませんでした。

この思いが心の安らぎを求めるきっかけとなり、私は毎日出勤前、瞑想をするようになりました。そしてある日、ブラジル人の曹洞宗僧侶との出会いがあり、洞松寺専門僧堂へと導かれたのです。

かつての修行仲間と(前列右から3番目筆者)

洞松寺専門僧堂は30ヵ国以上のさまざまな国から僧侶が集う修行道場で、やがて私の大切な拠り所となりました。そして洞松寺で出家して4年以上が経ち、私は曹洞宗の僧堂掛搭僧海外研鑽というプログラムのおかげで、ヨーロッパのサンガで3ヵ月間研修する機会をいただきました。その研修の旅で、彼らもまた、私と同じように、自らのルーツと言葉を探し求め、仲間たちと苦労と希望をともにしている姿を垣間見ることができました。

歴史的な視点からみると、約2500年の歴史を持つ仏教を100歳の人間に例えるならば、キリスト教は79歳、イスラム教は56歳、曹洞禅が32歳となります。一方で、アメリカでは1960年代初頭、鈴木俊隆老師によって禅が伝わり、約3歳。ヨーロッパの禅は1967年に弟子丸泰仙老師によって伝わり、2~3歳程度です。このように西洋の禅とは、まだ生まれたてであると言えます。

浅い歴史ゆえに、ヨーロッパの禅は、二つの課題が突きつけられていると感じます。一つは「立ち上がり、歩むこと」、すなわち、地域社会に受け入れられ、自立を達成することです。そしてもう一つは、「言葉を学ぶこと」、古来の叡智を裏切ることなく、人の心に響く言葉を見出すことです。現代社会が急速な変化を見せる一方、ヨーロッパは特に伝統を大切にする文化を持つゆえ、禅がその本質を失うことなく西洋社会に根付き、独自の声を確立していくことは、とても大きな課題だといえます。

海外研鑽僧としてヨーロッパに滞在したのは、令和7年10月から令和8年1月までの3ヵ月間です。私はフランスで3ヵ所とオランダの1ヵ所、滞在することができました。

最初はフランス、ロワール地方の禅道尼苑。ちょうど現職研修会が開催され、出席するヨーロッパ各地から集まった僧侶の皆さんに会えました。かつての洞松寺安居者も参加しており、まるで大家族に再会できたような雰囲気でした。禅道尼苑を開いた弟子丸老師についても教えてもらい、活気に満ちた60年代の様子がありありと想像できました。

理想に燃える若者たちが、荒涼とした社会を目の当たりにし、その希望の答えを禅に求めた時代。そして今、こうして多くの随喜者たちが、黒い衣をまとい、頭を剃り上げている姿に、私はヨーロッパに起こった社会と個人の変革を垣間見た思いでした。最大の革命とは、内面にあるのです。

禅道尼苑を出発し、次の目的地は、同じくフランスのアルデシュ地方、スイスアルプスの絶景を望む静かな隠れ家、栴檀禅寺。ピレ鎮霊老師は私に深い感銘を与えてくれました。体を悪くされ、肉体的に衰弱している一方、老師は他者の心を読み取る鋭敏さをお持ちでした。老師の澄んだ瞳を通して、私はこれまでもしかすると疑っていたかもしれない、自分自身の仏性を感じることができました。これは私にとってかけがえのない贈り物です。

その新たな光に導かれ、次に、ヨーロッパでは比較的古くに開創された、リモージュ市近郊の観照寺へ向かいました。森と湖に囲まれた静かなこの地では、夏に授戒会の開催をひかえ、修行者たちは鐘楼堂の建設と法堂の拡張作業に励み、まさに道元禅師の教えにならう「頭燃を救う」がごとき求道の姿でした。サンガの堅固さ、そして人々の深い献身に私はとても感銘を受けました。

建設中の鐘楼堂(観照寺)

人々の年齢は四世代にまたがるほどまちまちですが、調和し、共存しており、流動的で儚い人間関係が蔓延するようになった現代社会において、まさに宝といえるような共同体です。火山のような情熱とエネルギーもつフォーレ泰雲老師は、その勢いのある炎を絶やさない力強さをお持ちでした。

そして風に導かれるように、次に私はオランダへと向かいました。果てしなく広がる平原は、異なる風景と、別なる修行の世界を予感させます。

たどり着いた禅川寺は、より学術的で、開放的で、折衷的であり、原始仏典や多様な伝統を取り入れた道場でした。コペンズ天慶老師のアプローチは、まるで蜂がそれぞれの花から最良のものを抽出し、自らの蜜を作り出すような印象を受けました。今まで訪れた道場のなかで最も国際色豊かなサンガであり、さまざまな文化が混ざり合う場所。活気に満ち、そこに身を寄せる多くの人々にとっての安息の地でありました。

今回体験させていただいた海外での研鑽において、修行における日本との明確な違いが浮かび上がってきました。日本での修行は常に厳粛であり、行の学びはゆっくり、身体を通して磨かれます。教えは暗黙のうちに示され、その概念はめったに現れることなく、霧が気づかぬうちに衣を湿らせるがごとく、法は静かに身に浸透していきます。

一方、西洋での修行とは、活気に満ちており、言語と説明を多用し、日本と比べるとより知的探求の要素が強いです。私は、この差は対立ではなく、むしろ補完関係にあると感じます。たくさんの枝葉が生い茂った偉大な木々には、それを保つ深い根があるということを想起させます。

多様性に富み、活気に満ちたヨーロッパという広い環境のなかで、もう一つ特筆すべき点は、女性指導者たちの活躍です。各道場で、たくさんの素晴らしい女性指導者にお会いできました。それぞれの視点をもつ彼女たちの光は、仏法に新たな共鳴と明晰さをもたらしてくれるでしょう。時代に即した新たな真実性と広がりで、これまでの伝統の色彩をさらに豊かにしてくれるに違いありません。

しかし激動の時代であるゆえに、修行はこれまで以上に必要不可欠となります。仏法とは古から存続する木のようなものです。古来より張り巡らされたその根は、時代を超えた叡智をもって、今の時代の問いに答えてくれることでしょう。

西洋の禅に深く触れたことで、仏法とは生きた叡智であり、常に変化し続けているということを知りました。しかし、時代や場所によって異なる形で現れるものの、その本質は変わりません。あまねく衆生が心に抱える普遍的な問いに、いつでも応じてくれるものが仏法なのです。

洞松寺専門僧堂 アイダ・エンドウ 悦道