【International】海外研鑚で学んだこと ―欧州4ヵ寺で出会った「正伝の仏法」と温かな絆―
はじめに:研鑽の目的
僧堂での安居を始めて以来、私は日々、海外出身の修行僧の仲間と接する機会に恵まれてきました。言語や文化の壁を越え、日本という異国の地でひたむきに仏道へ励む彼らの姿は、私にとって大きな感銘を呼び起こすものでした。彼らの熱意に触れるうち、私自身もまた、自らの修行への向き合い方を改めて問い直したいという強い思いを抱くようになりました。

本研鑚は、フランス、イタリア、スイスの4ヵ寺を巡り、坐禅や法要、作務、飯台などを共に行ずる中から曹洞宗の教えが欧州の地でどのように受容され、発展を遂げてきたかを肌で感じることを目的として臨みました。
欧州各地での研鑽の日々
2025年10月から約3ヵ月間に及ぶ研鑽期間は、フランスの観照寺から始まり、イタリアの普伝寺、スイスの光雪寺、そして最後にフランスの龍門寺へと続きました。
到着して何よりも驚いたのは、そこでの生活の根幹が、日本の僧堂と驚くほどに共通している点でした。未明の静寂を破る振鈴に始まり、張り詰めた空気の中での坐禅、厳かな朝課、飯台作法、そして日中の作務。これらの日常行持が、日本と何ら変わらず毎日営まれていたのです。
いずれの寺院においても、教義の要諦である坐禅を非常に丁寧に取り組まれており、一挙手一投足に至るまで、日本の僧堂の伝統が忠実に受け継がれていることを目の当たりにしました。特に印象的であったのは、坐禅中の堂頭老師による頻繁な提唱です。現地語から英語への翻訳を通じてその内容に触れると、修行が単なる心のリフレッシュに陥らぬよう、お釈迦さまから両祖さまへと続く仏法を正しく伝えようとする強い意志が感じられました。
また、伽藍の整備においても、聖僧さまを祀った坐禅道場や法堂などにおいて、日本の形式を多面的に取り入れるなど、「伝統」への尊崇の念が感じられました。



多様性の中に見る修行の真髄
一方で、ヨーロッパならではの特色や創意工夫にも多くの気付きをいただきました。例えば「作務」の在り方です。日本の僧堂では全体で行う掃除が中心となることが多いですが、現地では菜園や調理、建築整備など、個々の適性に応じた選択的な作務が行われていました。得意・不得意はあれども「この作務において、自分に何が求められているか」を真剣に考え、まっとうしようとする彼らの姿に触れました。
私は「作務とは単なる労働ではなく、一切の活動が作務であり自己を磨く修行である」という教えの原点を改めて深く認識しました。
また、日常の行持の中に設けられた「カフェの時間」は、堂頭老師から若い修行僧までが垣根なく言葉を交わし、欧州らしい寛容なコミュニケーションの場となっていて、私にとってはとても新鮮で温かなものに感じられました。そこでは仏教の深遠な議論から日々の他愛もない日常会話までが自由に飛び交い、修行者同士の絆を深め、僧伽(サンガ)としての調和を生み出す素晴らしい知恵の場となっていました。
こうした開かれた姿勢は、一般の参禅者への対応にも表れています。集中的な修行期間である摂心には他宗教を信奉する方や初めての方も多く集まります。そうした人々に対しても進退作法を一つ一つ丁寧に教え、疑問や相談に真摯に向き合っていました。さらに、山中のお寺とは別に、町の中に仕事帰りの人でも坐れる「道場」を設け、門戸を広げている彼らのその姿は、現代における布教の実践例の一つであると感じました。
研鑽を終えて
この3ヵ月間の研鑽を通じて得た最大の気付きは、「仏道修行の根本に国境はない」ということです。言葉や風習こそ違いますが、そこには確かな信仰の対象があり、祖師方の教えがあり、それをひたむきに求道する修行者の姿がありました。慣れない異国の地で、意思疎通に苦労する私を、彼らは温かく迎え入れてくれました。
このように、訪れる人々に「安心」を与えること、それ自体が布教の一つの姿であると感じました。その寛容な精神こそが、欧州における仏教の広がりを支える礎となっているのでしょう。こうした環境に身を置くことで、私自身もまた、心静かに自己を見つめ直すことができました。
むすびに
最後になりますが、この貴重な研鑽の機会を与えてくださった諸老師方、多大なるご助力を賜りました関係各所の皆さま、そして私を家族のように受け入れてくださったヨーロッパ各寺院の皆さまに、心より感謝の意を表します。この経験を糧に、今後の修行生活において一層の精進を重ねてまいる所存です。
大本山總持寺特別僧堂 髙橋慈孝



